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備中高松城(岡山)

最新登城日:2010年6月18日

豊臣秀吉の水攻めで有名な備中高松城。
歴史のターニングポイントの地でありながら、今はなにごともなかったかのように平和な公園になっています。
そこのあるものを見るのではなく、想いを馳せるお城です。

 

  
そんなに広くない車道を、対向車線同士が譲り合って通るような、フツーの街中。
ふっと現れる高松城は、まるでそこだけ時間を切り取ったようにのどかでした。
なんというか、過去があったからこそ今平和があるとふと思ってしまう雰囲気。
私はここで、“運”についてぐるぐる考えてきました。

 

  
まずはこのオブジェで、豊臣勢の各陣地を確認。立体的な赤い凹凸が、なんだか緊迫感をあおる(笑)!
時はまだ織田の時代、そうそうたるメンバーが下っ端として名を連ねてます。
 

秀吉の天下獲りへの道<水攻め&中国大返し>というキーワード、耳にしたことくらいはあるでしょうか?
織田信長の命によりここ高松城を攻めをしていた豊臣秀吉。
わずか12日間で高さ約8m、上部の幅約12m、長さ約3kmの堤防を築き、高松城(城主清水宗治・毛利軍)を孤立させる。
必死で絶えしのぎ続け、なかなか降伏しない清水宗治。
とそこへ、高松城へ向け出発した織田信長が本能寺の変で自害したしらせが入る(しかも毛利の密使で情報ゲット)。
秀吉は毛利軍に信長逝去を知られる前に、⟨清水宗治さえ切腹すれば、主家安泰、5,000の城兵も助命⟩という
かな〜りゆるい条件に大急ぎで変更、ダッシュで和議を取り決める。
で、ここから明智光秀を討つため猛スピードで中国大返しをして、天下統一まっしぐら!という流れです。

なんだろう、このタイミングのよさは!!
清水宗治さん、あと数日決断を伸ばせば切腹することはなかったかもしれない・・・
(そして、秀吉は天下を取っていなかったかもしれません)

 

  
さて、そんな水攻めについての詳細は、資料館でじっくり資料を拝読することができます。
それにしても水攻め音頭(写真/中)って(笑)!会長が振付までなさってますね。いったいどんな踊りなのでしょうか?

 

  
戦国ドラマの地だけあって、資料はかなり充実していました。鳥瞰図などもいっぱい。
水攻め前後の海抜まで示された、立体的なジオラマで当時の様子を脳内再生。

だけれど・・・むむ?

高松城、堤防から意外と近いんですよ。実際歩いてみると、歩いて10分もかからない。
それに、勝因は神がかり的な大雨と言われますが、この地域はそもそも水害が多いそうで。
資料にあった大雨による被害の写真がなんだか新しいので聞いてみたところ、
「ああ、これが数年前の写真。このへん水浸しで大変だったんだよー」とのことでした。
う=ん、これなら3日あればなんとかなっちゃうかも?
壮大なスケールを想像していると、ちょっと肩透かしをくらうかもしれません。

 

  
本丸跡は、立派な蓮池になってました。咲き乱れたらきれいでしょうねー。

 

  
清水宗治公辞世の句が刻まれた石碑(写真/左)と、供養塔(同/中)。
近所にある和菓子屋さん<清鏡庵>のご主人は、だれよりもこの地の歴史に詳しい方だそう。
ぜひ立ち寄っていろいろ伺うとよいでしょう(私は会えなかったのだけれど)。
宗治饅頭、備中栗、水攻め饅頭なんていうお菓子も置いてありました。ちょっとしっとりしてました(笑)

 

  
清水宗治公はただの“負けた武将”ではなく、自分の命を引き換えにこの地を救った英雄として祀られていました。
後を追い、家臣が互いに刺し違えて殉死したという、ごうやぶ遺跡も残っていました(写真/中)。

 

さて、運の話。

 

手回しのよさ、有能な部下、運のよさ。
秀吉が天下を取った理由に挙げられるポイントはないでしょうか。

秀吉の手回しの万全さはいわずもがな。数えきれないほど逸話がありますね。
水攻めのときも、賞金をつけてまで早急に石を集めさせたというのだから、さすが金ですべてを操る男。
高松城近辺でも、墓石の掘り起こしが多発したことがわかっています。

そして、有能な部下。
水攻めを進言したのは、黒田官兵衛(のちの如水)と、これまた有能。
まあ、有能な上司でなければ有能な部下はついてきませんけれど・・・幸運な財産ですよね。
黒田如水はかなり若くして家督を息子に譲り隠居しますが、
有能すぎて秀吉に恐れられ、目をつけられていたからという説もあるくらい。
ちなみにダウンタウンの松ちゃんが黒田如水を推してます。松っちゃんらしい(笑)

そして、運のよさ。
《運も実力のうち》という言葉通り、運ってある程度、実力で引き寄せている気がします。
運=チャンスをものにできるかどうかでその人の力量は問われますし。
ラッキーにすがりたい人間としてはちょっと《運も実力のうち》なんてちょっと悲しいけれど、
チャンスなんていくらでも溢れているものかも、と考えたら希望も生まれますよね。
もちろん「こればかりは運、どっちに転ぶかわからない」ていう状況もたくさんあるし、
「な〜んにもしていないのにラッキー!」ってこともあるのですが。

梅雨時だからこの作戦を考えついたわけだし、
3日間集中豪雨があったことは幸運だけど、水攻めに関しては運だけじゃないよねぇ?
でも、まさか織田信長ら謀反に合うなんて思っていなかったか?
・・・と、ブツブツひとりごとのように考えてしまいました。

 

  
ちょこりと史跡も残ってます。説明の看板にもっとも歴史を感じる(笑)なんだかあオカルトだなあ。

 

  
清水宗治公の巨大パネル、ジャンボな大鳥居を見ながら、水攻めの堤防・蛙が鼻築堤所へ向かいます。

 

  
なんとものどかな公園になっていました。
 

  
逃してしまいそうな場所に、こんなものが。骨って・・・なんなのでしょうね(笑)?

 

  
なるほど親切な、高さ表示。
後ろに見える山が、秀吉が陣を構えた場所。その向こうに毛利の軍が控えています。

この位置関係も“運”を感じずにはいられない。
もし、秀吉が毛利の密使を捕らえていなかったら?
偶然だったのか運だったのか、ぬかりなかったのかはわかりませんが、
いずれにしてもやっぱり引き寄せるものを持っている人だったのだと思います。

 

  
全然関係ないのだけれど、田んぼってこんなふうに足跡がつくんですね(写真/右)。
いや、当たり前ですけど・・・初めて見たので新鮮でした。苗、踏んじゃいそうですね。

 

中国大返しをしていなくても、秀吉は天下を獲ったのかなあ。
歴史に“もしも”はないのだけれど、ついつい妄想。
小さな出来事が積み重なって、歴史ってつくられるんだね、としみじみ思いました。