彦根城(滋賀)
最新登城日:2009年2月12日
*2007年3月30日撮影の写真も含みます
日本4名城、国宝・彦根城。現存天守12城のうちのひとつです。
いろいろな種類の破風(飾り窓みたいなところ)を多用して、絢爛。
小粒ながらも厳かな雰囲気を醸す、デザイン性の高さが魅力です。
天守内部もさることながら、いくつもの重文の櫓や玄宮園などみどころも満載。
二重の堀に囲まれた城郭がほぼ昔のまま残っている、
江戸時代にタイムスリップようなスポットです。
お城のムズかしいことは抜きにしても、
どこまでも続く土塀をのんびり眺めたり、おだやかな堀に癒されたり。
ノスタルジックな町家風の商店街《キャッスルロード》もありますから、
好きなポイントをてくてく歩くだけでも楽しいと思います。
いろは松から見た中堀。
松が47本あったからいろは松。
隣は舗装されたアスファルトだけれど、ここから城内へ向かう景色は昔と変わらない。
想像するのも楽しいものです。
彦根城は、なかなかお気に入りのお城。
ガイドさんにマンツーマンで5時間もガイドしてもらったこともあるほど。
開府150周年のこの年は、特別展示も充実していて、資料もたくさんもらえた♪
レゴの彦根城を発見。《週刊安土城をつくる》の我が城も、
このくらいの大きさになると思うと嬉しい。
重要文化財の馬屋。
馬屋が城内に残っているのは彦根城だけ。
昔の馬は、いわゆる現代の競走馬のような姿とは正反対で
背丈が低く足が短かかったと言われますが、ここの馬がそれを再現した大きさなのだそう。頭デカっ。
重要文化財・天秤櫓。
長浜城の大手門を移築したといわれます。
両隅の棟の方向が違っていたり、格子窓の数が違ったりと、
城好きにはたまらない、マニア心をくすぐる小ネタが満載の櫓(笑)
特に、おもしろいのは、左右の石垣の積み方の違い。わかります?
右は牛蒡積みといって、築城当初の積み方。左は落とし積みで、幕末の積み方。
積み方だけでも、時代の違いがわかるのですよ。
戦になって表道から敵が攻め登ってきた場合、この天秤櫓の橋の下を通り回りこまなければ本丸へ侵入できません。
万が一のときは橋を壊してしまえば、この高い石垣を登るしかなくなるのです。
こういうところからも、この櫓の重要性はもちろん、この城がいかに堅固がわかります。
さらにいうと、城には必ず築城した時代背景や情勢が反映されているもの。
(こういうところが城の魅力であり歴史のロマンなのです!)
彦根城は天守閣だけでなく広い範囲で城郭が遺っているところが魅力ですが、
建築物だけでなく、こういったルートやしかけを垣間みれるのも、城歩きの奥深いところです。
ちなみに棟の方向の違いは諸説ありますが
時代柄、片方は京、片方は江戸を向いているという説もあるのだとか。天秤櫓の中も入れます。
てくてくと、そのまま進みます。
以前ガイドさんに特別に裏手までご案内いただきました。コーフンしたなあ(笑)
メインストリートを逸れると空気が変わって、時が流れなくなる。
表では見せない、威嚇みたいなものにあふれています。
整備がされていなくてもかつての役割のままずっと息づいていて、一度朽ち果てた植物も、力強く芽吹いていて。
そんなところが城跡歩きの魅力。
時報鐘。
3時間置きに鳴らされ、時を知らせます。
心地よく響く、いい音。
「どんな方が奏でているのかしらー?」とちょっとドキドキしていたら
・・・ご担当は彦根ジャンパーを着たおばさまでした。
昔の人が、どうやって3時間の経過を確認したのかを知りたい。
太鼓門櫓。
ここも謎が残るミステリアスな遺構。高欄つきの廊下はかなり珍しいです。
手彫りの柱。こういう小さな手仕事を発見するのがけっこう好き。
指先で触れたときの、なみなみした感触が、なんだか気持ちいいのです。
石の年輪?
もっとも城周辺を広範囲に見渡せる、着見台跡。
その階段と、そこからの景色。石田三成の居城・佐和山城も近いです。
左/矢挟間、鉄砲挟間の間隔が狭いのも大きな特長。
右/いざというときは壁を突き破る。
隠し部屋なのか、破風をつくった結果できた建築上の空きなのか、謎のスペースも。
天井の組み方は、建築物としてとてもすばらしいらしい。
ガイドさんに詳しく説明してもらったのですが、感動したわりには失念・・・
海外からもわざわざこの天井を見に来る建築の専門家もたくさんいるのだとか。
2階の武者走り。
ここ、わかります?微妙に床が斜めになっているのです。
建物の外側(写真右)に向かって、少し下がってます。
これは欠陥建築ではなく、走りにくさが計算されたもの。
私は言われるまで気づきませんでしたが、敏感な人は気分悪くなるらしいです。
外観の印象とはうらはらに、内部は広く感じるかもしれません。
お花柄の紋様がちょっとかわいい!井伊の家紋ではないと思うのだけれど?
西の丸方面へ。
私は彦根城の後ろ姿はけっこう好きなんです。
急に黒が締まって、表から見るよりサイズも大きく感じます。
表は装飾があるのに対して裏はシンプルなので、どこかさみしく、背中に隠された刹那みたいなものも感じます。
背後に広がる二の丸跡は、現在は梅林です。この左手の高石垣がとても素晴らしい。
見事な堀切(攻め込まれないために掘られた溝)。
馬出し(戦の時に使う待機所)としても使われたとか。
左/抜け道的な裏通路。
ちなみに彦根城には敵の侵入防止のための「渡り石垣」が5か所もあります。
不思議なところに石の壁を設置して、敵をおびき寄せ攻撃するしかけです。
中&右/てくてくと、殿の中庭散歩気分。これだけの長さが残る内堀も、とても貴重。
すぅ〜と伸びるその姿、心おだやかになります。
井伊直弼の生家といわれる楽々園。
楽々園に隣接する玄宮園。
遠くのほうに天守閣がちょこんと見える、とても美しい庭園。
時代劇の撮影にもよく使われます。
紅葉の時期が素晴らしいそうなので、死ぬまでに一度訪れたいところ。
こちらでお抹茶を頂けます。
今回のお茶菓子は彦根銘菓・いと重の《埋れ木》。
佐和山多門櫓の向かいにある、井伊直弼が過ごした「埋木舎」が由来の和菓子です。
ほんのり甘い白餡がもちもちの求肥で包まれています。
まわりにまぶしてある上品な和三盆と抹茶が決め手。私の中のマストバイ銘菓です。
天皇陛下にも献上されたものなのですよ。彦根に行ったらぜひどうぞ。
ちなみに「埋木舎」とは・・・この門の建物。
4男で家督相続とは無縁と思われた井伊直弼が勉学に励んだ屋敷のことで、
日陰の生涯であろう自分の人生を埋もれ木に例えてこう呼んだそうです。
(ちょっと切ないけど、なんて自虐的な人なんだろう)
安政の大獄などの政策で人道卑劣なイメージのある井伊直弼ですが、
とても勤勉で、茶の湯で一派を創設するほど芸術センスも抜きん出ていたのだとか。
とてもグローバルな思想の持ち主だったようです。
外堀をぐるりと眺めつつ、彦根城終了です。
ひこにゃん。
ひと目見たときから「かわいい!」とは思ったけれど、社会旋風を巻き起こしましたねー。
街の石材屋さんにも突然ちょこんと座ってました(笑)
ところで、ひこにゃんのモデル=招き猫だって知ってました?
井伊直弼が一匹のネコに手招きされて居場所を変えたところ、落雷の難を逃れたのだとか。
命の恩人(恩ネコ?)として、井伊家ではネコをたいそう大事にし続けているのだそうです。
その誘導したネコが招き猫=ひこにゃん、というわけです。
ちなみにその場所は彦根ではなく、東京世田谷区豪徳寺。井伊直弼のお墓も豪徳寺にあります。