小谷城(滋賀)
最新登城日:2009年2月13日
浅井長政の居城、小谷城。浅井家滅亡の地であり、浅井長政とお市の方の悲劇の舞台でもあるお城です。
琵琶湖線河毛駅(無人)に着くと、長政&お市の方がお出迎え。
定期巡回バス《こはくちょうバス》(ハイエース改造車)で小谷城の麓まで向かいます。
<バスの運転手さんがいろいろ教えてくれるものの、お国訛りでよくわからず・・・。
とりあえず帰りの交通手段を確認してみると、
「12:47バス停発。それを逃すと14:30駅発。でも14:30のは自分で電話しないとバス停まで来ないからね」とのこと。
電話して来てもらうということは・・・タクシースタイル?
であれば別に14:30前後じゃなくてもいいってことですよね・・・?
と思い聞き返すも、 「雲行きが怪しいから早く降りてきたほうがいいと思うけどね〜」とだけ返され、
山の麓に降ろされました。不安すぎる・・・。
ここから登城開始! 小谷城は日本五大山城に 数えられる本格的な山城。登山に近い、長い道のりです。
いきなり「熊出没注意。鈴やラジオなどなしに入山しないでください」の警告が・・・!
熊に遭遇したときはレジャーシートを勢いよく開いて
バサバサ音を立てながら 背を向けずに後退するのがベスト、とテレビで見ました。
熊は目が悪いから、大きく広げたレジャーシートを見て大きな生き物だと勘違いするのだと。
一応バッグの中を漁るも、音が出る持ち物などはなく・・・ちょっと怖じ気づく私。
でも、ここまで来て帰るわけにもいかないし。
叫べばいいのかな?と、なんとなく遭遇時の対応策をイメージしながら入山。
大手道を進みたいところですが、 熊にビビって断念。
アスファルトの道に。
中腹まで車で行けますが、私はもちろん徒歩。
ひたすら40分、坂道を登り続けます。
〈華麗なる一族〉でもあるまいし、
まさか銃殺されるなんてことは・・・
登りはじめてすぐある出丸。
ハンターに狙われてるかもしれないので、
長居はいけません。 先に進みます。
だいぶ登ってきました。
下界との距離を感じると、
自分で来ておきながら、ちょっとさみしくなる。
看板の左にある金吾丸。
この後、なぜかそのまま途中まで下山してしまうという失態を。
この峠、さっきも見た?・・・と思ったら逆流してました。
ハンターには狙われるは、迷子にはなるわでプチパニック。
再び登って、約20分のロス。遠いよー、怖いよー。
再び登山口へ。
さっきなぜ間違えたのか?それは、進入禁止かと思ったから。
「これは勘違いするだろ!」とひとり憤ったあと、気を取り直してリスタート。
ここから20分かけて、山王丸跡まで登ります。
熊と間違えないように、と注意書きがあるけれど、
カモシカは人間にとって危険ではないのでしょうか?
遭遇した場合、どうすればよいですかね?
首据石。
殺害された今井秀信の首をさらしたとされる石。
怖い・・・。
「ここから中へは気安く入るなよ」とでも言いたげな場所に
まるで見せしめのように配置されています。
右へ進むと、浅井長政が自刃した赤尾屋敷跡。
織田信長に追い込まれ、滅亡を迎えたまさに浅井家最期の地です。
長政とお市の方の間の3姉妹が その後歴史に重要な役割を持つ人物であり、
血筋は途絶えず生き続けたことを考えると、 浅井長政の決断は偉大。 優秀な戦国武将だったのかもしれません。
そんなことを思いながら、感慨深く歩きます。
小谷城が落城したとき 本丸に浅井長政、小丸には父・久政がいました。
ちょうどその間にある京極丸というエリアが敵である豊臣秀吉に占拠され、
連絡通路を分断されたことで最終的に追いつめられたとされます。
3つ並んだ小山の真ん中に敵が割り込んできたことでコンタクトが取れなくなり、機動力ゼロになったのです。
そのつくりを自分で確かめようとしていることに、テンションアップ!
中丸跡。
大堀切を抜けたところにあります。 アップダウンが激しい。
刀洗池跡。
このあたりになると、もはやどこが道がわかりません。
特に進路は記されていないため、
うろうろしているうちになんとなく到着します。
京極丸跡。
いよいよどこが道なのかわからない・・・と思ったら、進路の目印らしきリボンを発見!
このリボン、かなり救われました。
行きは最終目的地に向けた勢いのせいか、さして道に迷わなかったのだけれど
いざ帰ろうとしてみたら、来たはずの道がまったくわからない・・・!
方向には強くそんな経験はあまりないので、一瞬焦りました。
よくよく見たら、あちらこちらにたくさんのリボンが!
建物があったとはいえ、かつても方向感覚を失いがちな山だったのかしら。
命のリボンです、ありがとう。
小丸跡。
なるほどなるほど。
こりゃ、京極丸を占拠されたら逃げ場なし!
・・・と、ひとりで完敗宣言。
最終目的地・山王丸跡へ。
うっそうとしてます。
これが見たかった!大石垣。
かなりの遺構ですぞ、これは!!
タイムスリップした錯覚にすらおちいる、見事なたたずまい。
ガサゴソ木をかき分けて森ガールになりながら来た甲斐がありました。
森の中の宝を見つけた気分です。
山王丸跡。
今回のゴール地点です。
いやはや、寄り道しがいのある最終到着地でした。
私の小谷城攻めはここでタイムアップ。
小谷城はほかにもルートがたくさんあり
とても城全体をじっくり見たとは言えないけれど、
リアルな歴史の舞台に立てて、満足。
なんだかうれしくて走って下山(超元気!)
浅井長政にりんごを献上したという記録があって、
それは、戦国時代にりんごが存在したことを記した唯一の文献なのだとか。
和りんごは現代のものよりかなり小ぶりで、すっぱいそうです。 どんな味なんでしょうね。
《こはくちょうバス》には間に合わなかったので、 近くの小谷城歴史資料館を経由して、徒歩で駅へ向かうことに。
近隣にも遺構が残っていて、ちらちらと立ち寄りながら歩きます。
資料館で「駅まで歩いたら20分くらいで着きますよね?」と確認すると、
「13:50<発のバスがそこから出てますよ。14:21発の電車に乗るんでしょ?14:10に駅に着くから」
と 即答されました(笑)※電車は1時間に1本しかないのでみんな熟知している
・・・あれ、14:30のバスの話は?
資料館は児童館を改装したこじんまりな建物でしたが、興味深い展示が満載。
年表などもていねいに分かりやすくまとめてありました。
「せっかくこんなところまで来てくれたから」と、資料もたくさんいただいちゃいました♪
帰りのバスでは、運転手さんから小谷城内の様子について質問攻め。
未知の領域のようで・・・地元の方にとってはただの山なのでしょうか?
こちらが質問したかったのだけれど(笑)
ちなみに本当に熊が出るのか聞いてみたところ、「出ませんよ」とあっさり。
「このへんじゃ、とりあえず熊に気をつけろって書くからねぇ」と。
う=ん、無駄にビビったぜ。