城メグリスト

コンテンツ

  • プロフィール
  • お仕事実績
  • 活動予定
  • 日本全国城ある記
  • 城メグ日記
  • お問い合わせ
  • リンク集

松代城(長野)

最新登城日:2008年3月29日

別名、海津城。
超〜有名な武田信玄vs.上杉謙信の「川中島の合戦」ゆかりのお城です。
お城のつくりや遺構を学ぶよりも、戦国最大の激戦地だったという事実を感じてほしいです。
長い年月がつくる深くて重い雰囲気、同じ地で同じ風に吹かれるという神秘を。

川中島の合戦では、武田信玄がこのお城に本陣を置きました。
初代城主はかの有名な高坂弾正、縄張り(設計)したのは、大河ドラマでおなじみの山本勘助といわれます。
勘助があの「きつつき戦法」を信玄に進言したのも、この城内だったそうな。ふむふむ。

 

   3方を山に囲まれ、千曲川(日本最長河川)を堀に。
   今はおだやかに流れる千曲川ですが、
   かつては簡単には越えられない、激流の河川だったとか。
   大規模な高石垣があるのが、必ずしも強固な城ではありません。

   この松代城のように、地の利を生かした天然の要塞もあなどれない。
   こういう立地は、戦に強い。自然には勝てない。

 

ところで、きつつき戦法って、誰が命名したのでしょうか。
まさか自分で「・・・名付けて“きつつき戦法”です、じゃーん!」
なんて言えるムードでもなかったでしょうし。
しかも結果的に失敗しちゃいましたしね。

 

 

上田城を居城としていた真田家。
関ヶ原の合戦では父昌幸と次男幸村が豊臣方、長男信之が徳川方につき、対立する立場になります。
が、これは真田家が決裂したからではなく、どちらが負けても家が滅亡しないための昌幸の作戦。
真田家らしいといえば真田家らしいですが(伸之の妻が徳川方だったため仕方なく、だった説もあります)、
真田家に限らず、この時代、家を存続させるためにはあることだったとか。
(ちなみに徳川方にいた伸之のはからいで、昌幸・幸村父子は豊臣滅亡後も命をとりとめます)

数年後、豊臣氏の滅亡後、信之が居を構えたのが松代城。
真田伸之はキレ者の武将だったようで、
そのすぐれた統治力で松代の地を大いに繁栄させたたのだそうですが、
弟の幸村の栄光が華々しすぎて、ちょっと影が薄いかも。
資料によると、享年93歳。超ご長寿!!ホントかな!?

 

 
復元された   前橋、橋詰門、太鼓門。



本丸跡には天守台跡が。
築城初期のものと思われる石垣や、いざという時は叩いて埋めるのであろう門など、
周辺には貴重な遺構もぽつりぽつりと残っています。

 


真田邸、真田宝物館。近隣には興味深い施設がいっぱい。

城下町の名残を感じながら歩いてみるのもすてき。
和菓子屋さんなんかもたくさんあります。

 

  
武田信玄と上杉謙信が対決した、 第4次川中島の合戦。
あの一騎打ちをしたといわれる現場は、松代城から目と鼻の先です。

 

    信玄危うし!
    この状況では明らかに負けだろう。