甲府城(山梨)
最新登城日:2008年3月31日
平山城跡、甲府城。鶴が舞っているような美しさから、別名舞鶴城と呼ばれます。
現在は整備され、舞鶴城公園として解放されています。駅からも近く、観光地としても人気です。
甲斐の国、というと武田信玄を連想しがちですが、甲府城が築城されたのは、武田氏滅亡後。
滅亡直後は一時織田信長の領国になりますが、本能寺の変後は徳川家康の支配下におかれます。
その後豊臣秀吉が天下を取ると、豊臣の領国に。
その時代に、秀吉の命令によって甥の豊臣秀勝を中心に築城を開始、関ヶ原の合戦以降、甲府城は再び徳川のものになりました。
江戸初期には徳川一門が城主になる特別なお城だったそうです。
初代甲府藩主、かの柳沢吉保(5代将軍綱吉の側用人だった人)が城主だったこともあるほど。
吉里(吉保の子)の大和郡山への移封後は、大名が置かれることはありませんでした。
現在の姿はほんの一部。にもかかわらず、すごい広さです。
関東でこれだけの石垣づくしは珍しいはず。
かなり整備されてしまっているけれど、天守台が残っていたり、一部に礎石が現存していたりと、意外に見どころある城址でした。
もう3月なのに、お隣の長野の山間は雪景色。
山を下り南下するにつれて、おもしろいように気候が変わり、甲府は桜満開!1日に冬と春の両方を見ました。
遊亀橋と書いてゆうきばし。かわいい名前ですね。
亀には会えませんでしたけれど、水堀のどこかで遊んでいるようです。
左/天守曲輪の石垣 中/天守台へ向かう階段 右/天守曲輪から天守台を臨む
公園全体はかなりきれいに整備されていてなんとなく歩いて終わりますが、
切り込みハギ、打ち込みハギ、野面積みの天守台など、多彩な石垣は見応えあり!
左/本丸・天守台への入口、鉄門跡。 中/銅門跡 鉄門跡&銅門跡ともに、礎石は現存。 右/本丸櫓跡
天守台。かなり大きいです。
天守閣があったかは謎のようですが、これだけの規模の天守台なのだから・・・妄想のしがいがあります。
高台にあるため、街を一望できてとてもよい眺め。
観光地だからなのか、市民憩いの場になっているからなのか、らくがきだらけで残念でした。
下段左から/天守から見下ろした、数寄屋曲輪、稲荷曲輪(右上に見えるのが稲荷櫓)、天守曲輪
城内の資料館には、甲府城の歴史、発掘の記録などが展示されていていました。
ここ10年で本格的に発掘事業が行われているようで、さらなる進展が期待できそうです。
それにしても、咲き誇る桜が見事!!
中央線で分断された北側も、歴史公園になっているようです。次回は立ち寄ってこようと思います。