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盛岡城(岩手)

最新登城日:2010年8月1日

盛岡城は、会津若松城、白河小峰城と並ぶ、東北三大名城のひとつ。
奥州(東北)にしては珍しい、総石垣のお城です。

 

 

盛岡城跡公園となり、桜の名所として知られています。
かつては岩手公園という名称でしたが、開園100周年に伴い、2006年に改称されました。

見どころは、なんといっても石垣!
西日本では当たり前ですが、東日本でこれだけの高石垣はとってもレアです。
石のひとつひとつが大きくて、おお~!っと圧倒。
すらりとそびえ立つ高さと、勾配の美しさも見事です。石は盛岡産の花崗岩が使用されています。

このような織豊スタイルのお城を建てたのは、奥州屈指の武将としてのプライドだったのでしょうか。
それとも、そうせざるを得なかったのか・・・。憶測をめぐらせながら進みます。

 


<寺の勾配>と呼ばれる、ゆるやかな勾配。
表面がつるんとキレイに整った“切り込みハギ”の石垣は、わりと新しい時代のものですね(江戸時代かな)。

 

「ちょっと登るだけで、だいぶ視界がいいね」
「なんだか急に涼しい」と、ご案内した方からふと感想が。
そうそう、お城って、なんだか違う空気に包まれているんですよ。
(霊じゃない・・・と信じよう)
やっぱり選ばれた特別な場所なんだな、と思わせる、不思議な魅力があります。

腰曲輪跡をくるりと見渡して、本丸へ向かいます。

 

 

本丸御門。一般的な本丸への入口です。
このあたりの石垣は、古い積み方ですね。
自由ですね~(笑)もう、幼稚園児の積み木みたいなやんちゃさ!
本丸跡はすっかりのどかなスペースになってます。

 

本丸と二の丸にかかる、御廊下橋という朱色の橋。
門を通らずに本丸へ渡れるこのスタイルは、ちょっと珍しい。
かつては屋根付きの立派な橋だったそうですが・・・今はちょっと色が鮮やかすぎ?

 

 

二の丸跡も、庭園のようにキレイに整備されています。
本丸よりもやはり、ちょっと緊迫感から解き放たれた雰囲気があります。

やはり東北の地は敵が攻め込まれる心配がなかったからなのでしょうか。
築城開始は1598年。築城技術の最盛期だったにも関わらず、盛岡城はさほど戦闘仕様ではない印象でした。
徳川幕府の時代が訪れても、備中・備前などは緊迫したお城づくりが感じられますが、
南部家がガッチリ主導を握っていたのでしょうか。
もしかしたらその逆で、徳川幕府に細心の配慮をしながらの居城だったのかもしれません。
そんなことを考えながら、歩きます。

 


二の丸跡には石川啄木の歌碑があります(写真下段左)。
石川啄木も、この美しい石垣を愛した人のひとり。
この場所から臨む岩木山の景色がとても好きだったそうです。
おじさまたちが石碑の前でなにやら談笑。一句詠んでいるのでしょうか。
そびえ立つ石垣は、三の丸の石垣(写真右)。江戸時代につくられた、表面が整った切り込みハギです。

 

車御門跡。
カクカクと進路が折れているのは、敵から侵入されにくい工夫です。
カクカクとした石垣の上に、櫓と呼ばれる攻撃部屋があって、
上から監視し、攻撃できるようになっています。

 

 

この石垣はちょっと珍しい。
盛岡城の石垣は基本的に切り込みハギと呼ばれる表面がキレイに整った積み方なのだけれど、
場所によっていろいろな積み方がされていて、石垣好きには目が離せません。
城内案内によると、<笑い積み>っていうらしいです。

 

これもとっっても珍しい!!
岩盤と石垣がコラボしてます。
どうしても、この岩盤を動かすことはできなかったのでしょうね。
それにしてもダイナミック。それっぽく調和させちゃってるところがアートです。
なんかもう、木の根っこvs岩が合戦をはじめちゃってます。
築城時はどういう状態だったのでしょうね?

 

三の丸に入ると、さらに開放的なスペースになってきます。
・・・とそこへ見えて来たのが、<お休み処 不来方>。
盛岡はかつては不来方(こずかた)とう名称で、盛岡城も別名不来方城と呼ばれます。

一応入口が設置されていたので、暖簾をくぐって入ってみました(笑)
お抹茶と、盛岡の干菓子2種をいただき、ひと休み。
お抹茶を飲み干したら、寿の文字が現れましたよ。ちょっとハッピー。
石垣をなで、木々をすり抜けてきた風に吹かれながらいただくお抹茶は格別です。
しかもお抹茶セット、300円とリーズナブルでした。

 

 

三の丸跡にある、烏帽子岩と呼ばれる巨石。
築城時にこの地を掘り下げたときに現れました。
この地が城内の神域にあたるため、南部藩のお守り岩として崇拝されてきたそうです。

 


瓦御門を抜けて、いわゆるお城エリアを出ます。
このあたりの石垣も、なかなかユニーク。
角の部分の算木積み(さんぎづみ)も、石が大きいので説明しやすい。
長方形の石を互い違いに組むことで、建物の重さに耐えられる丈夫さが生まれます。

この、石のギザギザの部分は、矢穴(やあな)という大きな石を割った跡。
ここにノミなどを当てて、テコの原理で大きな石を分割します。
盛岡城が築城された時代になると、
割られた石は、表面を削り、形を整えて積まれるので、ここまで割りっぱなしはスゴイかも。
他のお城でもたま~に発見しますが、ここまで矢穴だらけなのは類をみないです。
「表面を削って整える時間がなかったのか?」とか
「石が固すぎてムリなのか?」とかいろいろと考えが膨らみます。
理由はどうあれ、もとの石は相当大きいってことは間違いないですね。

 

 


櫻山神社が盛岡城を守っています。
カラフルなお守りがたくさんあって、ついつい手に取りそうになるけれど、
店番の“なんぶくん”に見張られているので気をつけて!

 

 

石垣ばかりに目が行きがちな盛岡城ですが、
中津川と北上川が合流する三角地帯をうまく利用して築かれた、連郭式平山城であることも魅力。
広範囲にぐるりと城郭を見てみてもおもしろそうです。

 

 



時鐘。城下町に時間を知らせる鐘です。
明治維新後に今の場所に移築されました。
この日はさんさ踊りの日だったので、街中お祭りモード。
歩いているだけでテンションが上がるけれど、道ひとつ逸れるとこの静寂。
往時の堀の一部を眺めながら、南部氏の長い歴史に思いを馳せるのもいいですね。