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津山城(岡山)

最新登城日:2010年6月25日

岡山から特急電車で約40分。岡山県津山市にある津山城です。
吉井川と宮川の合流点に立つ小高い鶴山(つるやま)に築かれた城。
本丸を二の丸と三の丸が階段式に囲んだ、連郭式平山城です。

 

一般的には知られていない津山城ですが、実は隠れた名城。
規模の大きさ、入り組んだ経路設計、壮大な高石垣etc.
実践に備えたその凝った造りは、姫路城を連想させるほど見事なものです。
中国地方は5層天守のメッカですが、津山城もその代表格。
建物が少しでも残っていたら、日本のお城の中でもっと有名になっていたでしょうねー。くぅー!

 

津山城の何がスゴイのかというと、大きく分けて3つあります。

1.櫓の数
櫓とはさまざまな目的で建てられた建物のこと。
もともとは敵を監視する物見台が発展したものですが、
鉄砲を保管する鉄砲櫓、時を知らせる太鼓櫓、お月見をするための月見櫓と、役割や用途はさまざまです。
津山城には、なんと77棟もの櫓がありました。日本でNO.2という、輝かしいランキング!
比較的コンパクトな面積の中にこれだけの建物がひしめき合っていた姿は壮観だったことでしょう。

2.石垣の高さ
本丸までの高さ、なんと45メートル!
壮大としかいいようのない、ダイナミックかつ美しい石の芸術。
石垣好きな私もうならざるをえません。
津山城の石垣のスケールの大きさは、全国屈指です。

3.四季折々の美観
お城の特長としては少しズレますが、
現在鶴山(かくざん)公園と呼ばれる津山城跡は、全国屈指の桜の名所として有名。
日本の歴史公園100選、日本桜の名所100選にも選ばれています。
春は数千本の桜が咲き乱れ、夜桜の美しさは、それはもう幻想的なのだそうです。

 

では、津山城歩きをはじめましょう。

 

津山城は、森忠政により1604~1616の13年かけて築城されました。
森忠政は、織田信長のお気に入り、本能寺の変で討死にした森蘭丸のお兄さんです。

 

<忘れ去られた石>。
石垣に使うための原石ですね。
ボコボコ開いた穴は、矢穴(やあな)。
この穴に木や蚤を差して、テコの原理で石を割り、好みの大きさにカットします。
お城にはよく“残念石”という置いてけぼりの石があるのですが・・・一度割られたあとのものがほとんど。
こんな大きなカタチでそのまま取り残されてしまったとは、明らかに残念です。
<忘れ去られた石>という名称も、ちょっぴり切ない・・・。

 

お城歩きの必需品、レンタル杖。
杖があるということは、普段歩かない人にとってはそこそこキツい道のりだと心得ましょう。
帰り道、おそらく何の気なしに登城してしまったと思われるおじさま軍団に
「頂上まで遠いの?」「どれくらい時間かかるの?」と質問攻めにされました。

 

高~く積まれた石垣と、美しい勾配にコーフンしながら、歩き出します。

 

道幅が広いことにビックリ。
現在舗装はされているものの、この幅はかつてのものと変わらないそうです。
「こんなに広かったら、大量の敵がダッシュで攻め込んじゃうじゃん!」と思ったのですが・・・
そんなことはありませんでした。その理由はあとでわかります。

 

先に何があるのかわからないような入り組んだスペースでさえ、
まるでそこへ導くように、立派な石段が組まれています。
それは、経路が複雑で、建物に囲まれていた証拠。
地下通路や渡り廊下など、迷路のような城内だったのでしょうね。
突然ナゾのでっぱりがあったり、まるで石の大迷路です。

 

四御門から二の丸へ入るとすぐ現れる、鉄砲櫓。
あれだけ道が広かったのに、門の手前で急な坂道になって、キュッと道幅が狭くなる。狙い討ちの場所ですね。
弓櫓、辰巳櫓と、櫓がじゃんじゃか登場します。

 

2006年に復元された、備中櫓は、いまや津山城のシンボル。備中櫓については、後ほど。

 

本丸まで45メートルもある石段なので、ふと下を見るとけっこう高いところにいる。
そしてふと気づくと、敵を袋小路にする小径がいっぱい!
ほぼ90度で上から見下ろす感じ。これは敵もそうそう登ってこれません。

 


表黒鉄門を抜けて本丸に入ったあたりの石垣は、表情豊かでおもしろい!積み方もいろいろ。

 

時を知らせる、太鼓櫓。

 

スケールでかすぎ!な櫓群。そして、もう放ったらかしの残念石。
ここまで大胆だと、むしろアート。わざと置いたのかと疑っちゃいます。

 

粟積櫓からの眺望。
北側を一望できる、物見台のような役割だったのでしょう。
意外と高いので、降りる時は足元にご注意を。

 

長屋櫓、腰巻櫓と珍しい名称の櫓。

 


井戸も残ってました。

 

備中櫓の隣から見下ろすと、これまで登って来た道のりが丸見え!
さっき登ってくるときは「道幅が広くて大丈夫!?」と思ったけれど、
こりゃ、むしろ道幅狭くしてほしいですね。
木々もないので隠れようがない。計算された設計に、ほえーと感心。

 

復元されたばかりの備中櫓。
景観的にもシンボル性が高く、内部構造も独特。
奥向御殿のさらに奥という立地、そして御殿の一部として機能していたことから、
藩主あるいはその家族という限られた人のための空間であったと推察されます。
外から見るとふつうの櫓、だけれど藩主たちのプライベートルームとして使われていたというのは
全国でも類をみない特異なもののため、復元されました。

津山の昔の国名は、備中ではなく美作(みまさか)。
それなのになぜ備中櫓という名称なのでしょうか?
それは、森忠政の長女と四女が嫁入りした娘婿、鳥取藩主の池田備中守長幸が由来。
彼が津山に来るときにつくられた櫓だから、なのだそうです。
彼は役職が備中なだけで、備中にいたわけではないところがややこしいのだけれど、
とにかく人の名前にちなんだ名称も珍しいですね。

 


内部はかなり広いです。
二階には、御上段というエラい人のための空間も。
襖の引き手は金ピカで、森家の家紋、鶴丸があしらわれています。
襖にも家紋の透かしが入るなど、細部まで凝った格式高いお部屋。
エラい人が出入りしていたことがわかります。

そうそう、備中櫓の一階のお部屋で「よみがえる津山城」というDVDを観たのだけれど、
これがファンタジックですばらしかった!!
津山城築城400年記念事業協賛者へのプレゼントだったようで、非売品。
今は幻となった津山城の全貌が、CGで再現されていて、本当によくできているんです。
こういう映像を、お城を知らない子供たちをはじめ世の中の人に紹介すれば、
お城の魅力が分かりやすく伝わって、もっとお城ファンが増えるのに、と思いました。販売してくれないかなー。

 

室内は森の家紋でも、外観は徳川の家紋。将軍家の強さが垣間見えますね・・・。

 

いよいよ、天守台へと向かいます。

 





今は土台である、天守台だけがどっしりと残ります。
櫓と石垣のビッグスケールに対して、天守は意外にもシンプルなものでした。
窓などで装飾がされていない、層塔型と呼ばれるシンプルデザインの典型。
同じく層塔型天守の小倉城を参考にした説もありますが、
徳川幕府からクレームが入ったことが原因とも言われます。

あまりに立派な津山城の天守は、徳川幕府から目をつけられます。
「たかだか18万石の大名が、5層天守とは生意気な!!」とでも言われたのでしょうか。
慌てた森忠政は、瓦を剥がしたり瓦に紙を貼って3階建てに見せかけるという戦法に出ました。
そして、「5層ではなく、3層だ!」と言い張ったのだそうです。
なんて強引かつ大胆なんでしょう(笑)
徳川幕府の制圧もすごいけれど、
5階のくせに「3階だ!」と言い通した森忠政もタダモノではありませんね。さすが蘭丸の兄!

 

裏鉄門を抜けて、ぐるりと廻って三の丸へ戻ります。

 

このあたりは裏手になるせいか、整備が明らかに手薄に・・・。
階段、今にも崩れそうですけど大丈夫でしょうか?
私はこっちのほうが好きですけどー。

 

もう、櫓がありすぎてフォローできなくなったのか、看板もテキトー。
「ヤグラ」の「グラ」が埋まっちゃってます(写真/中)。

 

そして、ついにはこんな状態に(笑)

 


このあたりは地元の小学生がかならず写生会に来るポジションなんだそうですよ。
津山が生んだ日本のスター、津山名誉市民であるB'zの稲葉さんも来たのではないかしら?
子供の頃からこんなにすばらしい遺構に触れられるなんて、羨ましい限りです。

 

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恒例のマンホールチェック。
津山城内のマンホールは、津山城とカッパのコラボでした。
そういえば、町にはカッパのオブジェ、ごんごバス(ごんご=カッパ)も走っていたような。
なにか特別なカッパにまつわる伝説があるのか聞いたところ、
「特にないです。どこの町にもカッパ伝説ってありますよねー」とのことでした(笑)

 

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津山駅の近くの商店シャッター。
こんなところにも津山城の資料を発見。
確実にに営業していない店の前で立ち止まる私は、ちょっと怪しい通行人。

 

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二代藩主、森長継が京都から作庭師を招いて造営したという衆楽園も、津山の見どころ。
回遊式の庭園で、お天気がよければ中国山地の借景が楽しめるそうです。
ダイナミックな石垣が印象的な津山城に比べて、
灯籠もなくてとってもシンプルな庭園でした。
蓮の花が一面に咲いたら、キレイでしょうねー。
鯉を一匹、二匹と探すのが、なんだか楽しい。

 


城東むかし町家(旧梶村家住宅)は、訪れてよかったです。
江戸時代に建てられた母屋から、昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。
手漉きガラスの窓、格子戸。時代の最先端の芸術と、手仕事がいっぱい詰まっていました。
インターホンの役割を果たすらしい、玄関先にある鳥小屋みたいな木の道具がかわいい。
ちょっと鳴らしてみたかったのだけれど、ピンポンダッシュ(カラカラダッシュ?)になっちゃうので断念。
武家屋敷も残っていて、NHKの朝ドラ「あぐり」のロケ地、中島医院も見学できます。
トンテンカンテン、いまだにわずかに残る家鍛冶屋さんの音が、街並みとマッチしていました。