安土城(滋賀)
最新登城日:2009年2月11日
(2007年3月29日、2005年1月25日の写真も含みます)
私がいちばん好きなお城、安土城。
京都からJR琵琶湖線で45分。けっして行きやすくない場所にありながら、何度行ったことか。
安土城は、織田信長が天下布武を掲げて築城したお城。
天主を初めて確立させたのも安土城(安土城に限り「天守」ではなく「天主」といいます)、
金のシャチホコを初めて乗せたのも安土城。
いわゆる今イメージされる“お城”のスタイルの先駆けとなりました。
そして、それまでの「戦のためのお城」から「権威を見せるのお城」へ。
贅を尽くした建造物としてのクオリティの高さはもちろん、
そもそものお城の位置付け、概念を打ち砕き、すべてにおいての常識を覆しました。
そもそも、織田信長の功績は何だと思いますか?
まず、群雄割拠の時代を終わらせ、室町幕府を終焉させたこと。
新しい戦い方を取り入れ、そして兵農分離を行ったことで日本は一気に近代化、
中央集権国家をつくろうとしたのだから、日本の基盤を築いたともいえます。
宗教戦争を終わらせたことは、現代の常識で考えてもすごいことですよね。
それから、楽市楽座の制度化も、経済政策の成功例。
延暦寺を焼き討ちにしたり、身内をも構わず討伐したりと
血で血を洗うような抗争もいとわず、冷酷極まりない事実もたくさんあるけれど、
犠牲をもってしても成功を手中におさめられるのが、真のカリスマなのかもしれません。
安土城築城に見られる斬新な発想の数々は、
「天下統一」という信長の野望と思想、その生き様すべてが反映された
信長の分身のようなものだったと言っても過言ではありません。
信長という男の出現が日本史のターニングポイントであったのと同じように、
安土城築城は、まさに築城史のターニングポイントでもあるのです。
さすが、時代の覇者は、スケールが違うぜ。
しかも、豪華絢爛、海外までその名を轟かせた建造物が
完成後わずか3年後に消失してしまうなんて、ファンタスティックすぎる〜!
さまざまな憶測と謎でヴェールに包まれたまま400年以上の時を経ている、
これぞまさしく歴史ロマン!な幻のお城なのです。
琵琶湖線安土駅で信長像に挨拶したら、駅前にあるいきつけのレンタサイクル屋さんへ。
おじいさんが、オリジナルの地図をもとにルートの相談に乗ってくれます。
発掘に関する地元新聞のコピーなどもくれますよ。
安土城跡は何の気なしに行くとただの山。
ポイントを見逃さないためにも、まずは城郭資料館と信長の館で予習するのがオススメです。
実際に城跡に立ったときの想像力もテンションも、ぐぐっとアップしますよ。
信長の館はなかなかあなどれないスポット。
<信長とはどんな人?>からはじまり、
<なぜ安土城をつくったか?><どんな意味があったのか?>などがひととおり、ほどよい量でまとめてあります。
ジオラマや映像、レプリカなどでビジュアル化されているので、
安土城入門編としてわかりやすく、楽しめると思います。
そもそもそこそこ城好きでなければ安土まで来ないと思うけれど(笑)、信長の館はいろんな人に見てほしいなあ。
安土城考古博物館は、信長の館よりちょっと上級編です。
安土城の発掘や復元についての資料のほか、信長侵略以前の中世城郭や近江についての資料が揃っています。
安土侵略の経緯などは、とても興味深いところです。
さらに自転車をこいで5分、安土城址へ到着しました。
通常の大手門の枡形虎口、武家専用の西虎口、当主御成門、行幸門・公家専用の東虎口と
類を見ない4つの門構えであったらしいことが発掘調査で明らかに。
ここにも信長の想定されたと思われる特長があります。
訪れるたびに整備されていく大手道。
少しずつ明らかになっていくミステリーがあるのも、お城のズルい魅力。
杖の貸し出しもはじまってました。城歩きはなかなかハードですからね。
大手道を進むと、
左手に伝羽柴秀吉邸、右手に伝前田利家邸、さらに上には伝徳川家康邸。
秀吉邸跡は横からも見れ、珍しい構造を推測できる姿になっています。
城郭博物館にある、ぐるっと回転させてさまざまな角度から見られる
羽柴秀吉邸の復元模型はかなりおもしろい(写真撮影NG)。
天守への道は、通常敵が攻めにくいようくねくねと曲がっているもの。
まっすぐに天守へと伸びたこの立派な大手道は、安土城の大きな特長のひとつでもあります。
一部地域を守るための城でなく、天下を取って新時代の中心地にするつもりだったという
信長の野望と思想がここにも現れているわけです。
「天守」ではなく「天主」というところにも、信長の思想が。
けっこうな数の石仏が使用されています。
下を向いて歩くと、たくさんのミニミニ地蔵さんに会えます。
石や木はその産地にもこだわって集められ、職人によって細工されていきますが、
どうしても石が足りないときは、こうしてやむを得ず拝借することがあるのです。
こうした石仏は安土城に限らず見られるものですが、これだけ石仏があるということは
「石をもってこい!」と命令した人の権力が強かったということでしょう。
真っ直ぐで整備されているとはいえ、段差はバラバラ。
一段の高さもまばらで足を運びにくいので、ハードな道のりかもしれませんね。
人の大きさと比較してみると、どれだけ広い場所なのかがわかりますね。
「頑張って頂上まで行って見ましょう」と看板に励ましてれますよー。
(でも、限界が近づいている人に「あと190段です」は逆に酷かしら?)
現摠見寺仮本堂は、七曲がり坂の手前に。
ここにも「頑張って行って見て下さい」のエール。
織田信澄邸跡、森蘭丸邸跡を左手に見ながら、道なりに進みます。
黒鉄門跡。いよいよ天主エリアへの入口になります。
この付近は石もかなり大きい。さぞかし立派な門だったのでしょう・・・。
天主跡まで、いよいよあと75段!
石垣好きにはたまらない道のりを、てくてく歩きます。
この光景の中で、うっすら笑いながら歩いている私なのです。
仏足石。
本廟が祀られている二ノ丸跡。秀吉建立といわれる厳かな本廟があります。
本丸跡。天皇の居所である清涼殿が発掘されたそう。
巨大天守閣から見下ろす形でここに置いた点にも、信長が目指していた政権のあり方が推測されます。
どこまでも強気な人ですねぇ。カリスマはこういうものなのか。
天守閣入口に着きました!
この石段を一歩一歩足を運ぶときの達成感と期待感が入り交じったドキドキは、
ここまで頑張って登ってきた人にしかわかるまい!
天主台の礎石。
八角形のモードなデザイン、鮮やかな朱の外壁、規格外のスケール、黄金に輝く絢爛な装飾を備えた
それまでの日本人が見たこともない、想像すらしなかった革命的天主が、この上に建っていたのですねー!!
天主台からの琵琶湖。
当時の安土山は琵琶湖に浮かぶように突き出ていたのだそう。
城下町とは一線を介した、威厳ある姿を想像。
この眺望を見下ろしながら、信長は何を思っていたのでしょうか・・・。
この写真は、2005年1月の天主跡&本丸跡。
このあとあっという間に陽が沈み、遭難しかかりました。
安土城はキケンな山。時間とお天気に配慮して攻めましょう。
織田信忠邸跡、武井夕庵邸跡を横に見ながら進みます。
タイムスリップしそうな、しっとりした空間。眠りの森ってこんな感じ?
摠見寺本堂跡と琵琶湖の景観。
消失を免れた貴重な遺構、摠見寺三重塔。
今にも崩れそうだけど、なにか芯のようなものを感じる。
組み込まれた木々が、じーっとぎゅーっと耐えて忍んで、ゆるがない感じ。
こちらも遺る、摠見寺仁王門。
このあたりは手つかずで荒々しいですね。
石畳のころころした石がなんだかかわいい。
蝮は気をつけても会ってしまうので、万が一のときの対処法を書いといてください!
曲輪をじっくり味わいながら、大手道の入口へ戻ります。
仁王門へ続くもうひとつの入り口、百々橋口と、そこにある石碑。
激動の運命を生きて炎上した安土城。今はゆったりとした平和が流れています。
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恒例のマンホールチェック。信長ゆかりの永楽通宝ですね。
そして、マンホールそっくりのお菓子が、
安土駅前の和菓子屋さん、万吾楼さんの<まけずの鍔(つば)>。
丸いフォルムなので、一見ただの通貨に見えますが、
信長の愛刀の鉄鍔(刃と柄のつなぎ目のところ)をかたどったもの。
信長は、鍔に永楽銭を埋め込んでいたのです。
そこには、
桶狭間の合戦の前夜、信長は熱田神宮へ戦勝祈願をする。
そこで永楽銭を一握り投げ上げたところ、なんとすべてが表を向いた!
気をよくした信長は、勝利後、愛刀の鉄鍔の表裏にその永楽銭を埋め込んだ。
すると!!それ以降は向かうところ敵なし!天下統一に向け連戦連勝!
という逸話が。いわゆるゲンかつぎですね。
そんな必勝伝説にあやかり、<まけずの鍔>は
受験やビジネスの必勝祈願の贈答品として使われる、全国的にもけっこう有名な縁起モノなのです。
皮は滋賀羽二重餅、あんは自家製2色あん(写ってないけど)。
第16回全国菓子大博覧会 名誉大賞牌受賞 。おいしいです。
ついでに信長コーヒーも飲みましょう。・・・フツーです!