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米子城(鳥取)

最新登城日:2010年6月23日

米子城は、日本100名城にも選ばれていませんが、実は隠れた名城。
政治的理由で埋もれてしまった、悲運の城でもあります。

 

まずは、山陰歴史館でざざっと米子城について学びます。

 

米子城は、天守閣などの建物はすっかり取り壊された城跡です。
小高い山の上に、本丸の石垣が修理復元されています。

かつての米子城は、大小2つの天守が連なる典型的な平山城。
本丸は標高90メートルの湊山の山頂にそびえ、
東は52メートルの飯山、北は49メートルの丸山を取り囲んでいます。
大天守は高さ20メートルの四層五階、小天守は高さ焼く15メートルの四重櫓だっというのだから、
その姿や壮大だったはずです。
藩主居城の鳥取城をも凌ぐものだったといわれ、一国一城令にも例外として存続を許されたました。

 

2001年に製作された天守の模型。
天守と四重櫓からなる山陰屈指の名城。
天守は四層五重(見た目の四階建て、実際は5階建て)で、四重櫓は三層四重でした。
姫路城のような白漆喰に描かれているけれど、実際には板張り。ちょっと古代の様式ですね。
一、二層を同じ大きさとして、三層をやや小さくし望楼風に屋根を乗せ上げる構造です。

 

何が悲運だったのかというと、一言で言うとお金がありませんでした。

 

そもそも米子城を建てはじめたのは、かの吉川広家。
前面の眺望と背後の港。立地の着眼はさすが毛利氏一族です。
米子城がほぼ完成したのは、1601年。
松江城よりも10年も前のことで、近世当初の城郭として特色を誇り、山陰一の名城と呼ばれました。

関ヶ原合戦後、吉川広家は岩国へ転封。
静岡の府中城主だった中村一忠が領主になりますが、19歳にして急死。
跡継ぎがいなかったため、早くもお家断絶してしまいます。
その後岐阜の黒野城主だった加藤貞泰が城主になるもの、愛媛の大洲城へ転封。
米子城築城から約16年で米子藩は消滅し、
池田由之父子が“預り”といういわば城主代理人になります。

さらにわずか約15年後には、家老・荒尾成利が預かりに。
領主が預かりならまだしも、家老が預かり。
その後はずっと荒尾家が預かりを継承するものの、
(そのあたりは今の世の中と同じで)当然全国的に権力はあまりなく、細々としてしまうわけですね。
1806年には伊能忠敬の城内測量を米子役人が拒否したとの記録も。
放ったらかしだったのかなんだったのか・・・。

 

 

で、最大の悲運は明治に入ってから。
わかりやすく記した記述がこの<米子城の最後>です。

明治8年(1875年)、米子使途を払い下げられた士族は城をもてあまし、
米子町へ売却を打診(土地建物合わせて3,500円)。
しかし「米子の財政は豊かではない」と買い取りを拒否。
その後、城の建造物は37円で道具屋に売却。
城は解体され、材木は風呂屋に売られて炊き木にされてしまいました。

Oh!なんということを〜!!
300年近く生き残った栄華の城を、風呂屋の炊き木ってー!!
いつの時代も世の中お金なのね、と思い知らされました。

 

風呂屋の炊き木にされずに残った、米子城の階段。
うぅぅ、こんなに哀愁漂う階段がほかにあろうか。焼かれなくてよかったね。

 


同じく貴重なシャチホコ。

 

・・・と、前置きが長くなりましたが、米子城の登城スタートです。

 

おや?と感じずにいられない、おもしろい石垣が見えてきました。

 

コレ!コレ!初めてみましたけどー!!
ものすごく珍しいモノじゃないのかと思いますケド・・・。

 

米子城は別名久米城(くめじょう)と呼ばれます。
その一説はいわゆる人柱(ひとばしら)伝説で、お久米という若い娘が生贄になったといういわれから。
人柱とは、築城がうまくいかないときに人が生き埋めになることで地盤が固まる、というもの。
わりとどこのお城にはつきものなのだけれど、
娘が自ら名乗り出た、とか、大工が娘を差し出した、とか美談が多い。
それなのに米子城の場合は、盆踊りの最中に泣き叫ぶお久米をかっさらった、というのだからなんともワイルド!
なぜ、盆踊りの最中じゃなきゃいけなかったのでしょうか。
米子ではそれ以来盆踊りを踊らないそうです・・・。

 

旧小原家長屋門。米子荒尾家の家だった小原家の門を移築したもの。
いわゆる武家建築ですね。米子市内に現存する唯一のものだそうです。

 

御殿跡は、テニスコートに。ぜいたく〜。
井戸跡も残ってます。元気な米子っ子が落ちちゃうそうで(笑)、現在は厳重警戒されてます。

 


ハイキングに最適なコースですね〜。
傾斜もないですし、ゴール(頂上)まで徒歩15分くらい。

 

たまに貴重な遺構を発見したりして。
石を割るときに開ける矢穴(やあな)です。階段に使ってますね。

 

ハイキングコースを抜けると、本丸がどーんと現れます。

 

 

ココの石垣、す、すごい!
修理復元で積み直されたと聞きましたが、それにしても!
ふぞろいな石をパズルのように見事に。亀甲積みまであるではないですか。
石を割ったままのさざれた感じとか、シビれます。

 

ぐるりと廻って、天守台へ向かうところ。

 

おおっ!コレ、なんでしょう〜!?残念石?
こんなところにぽつりと。オカリナ石?

 

ざくざく、ごつごつ。こういう感じ、好きです。

 

天守台が見えてきました。

 

 

天守跡から臨む眺望は、それはすばらしい!
こんなに景色のいい天守跡ははじめてかもしれません。遮るものがないので、ぐるり360度広がります。
市街地を見渡せるほか、秀峰大山、島根半島、中海も。晴れた日には隠岐島を眺めることもできます。
眺望がいい=立地のよいということ。想像をはりめぐらせながら、ふむふむ。

 

 

門の跡ですね。

 

石の芸術。

 

おそらく見張り台と思われる、遠見櫓跡。

 

櫓を挟んで、また石垣。大きいのとか、長いのとか、大小組み合わせとか。

 

 

なんというお花かわかります?ドクダミです。こんなにかわいい花なんですね。

 

 

 

標高52メートルにある、内膳丸跡。
二重櫓数棟の武器庫が並び、米子城の心臓部だった場所。
米子城の築城を指揮した家老、横田内膳の名前が由来です。

 

 

おだやかな中海。湊山公園。

 

 

かつてはここまでが内堀だったという、潮止め松。

 

回船問屋後藤家住宅。
後藤家は江戸時代に海運業を営み、藩の米や鉄を運ぶ特権を与えられた回船問屋でした。
1700年初めに建設された母屋と、追って建てられた一番蔵、二番蔵が重要文化財。
母屋の屋根は平瓦と丸瓦を交互にふいた、お寺と同じ本瓦葺き。
民家としてはここだけなのだそうです。
平屋構造(一部二階建て)、土蔵造り、切妻屋根。中庭に面して鶯張りの切目縁、一番蔵は二階建、桟瓦葺き。

 

米子港に近い加茂川のほとりは、江戸時代に海運業が栄えました。
今もその佇まいが色濃く残っています。白壁土蔵もその時代の名残り。

米子はなんというかキュッと凝縮した印象の町で車のびゅんびゅん通っている都会なのだけれど、
一歩道を外れると、こんなふうに城下町の趣が残っていてなんだか不思議でした。
ゆらゆら水面を見ていると、歩く速度もゆっくりになりますね。
400メートルに渡って9つのお寺がずらりと並ぶ寺町通りも、全国でも珍しい光景。

 

亡くなった方への思いを小さな紙に綴る。このあたりの風習なのだそうです。
おだやかな加茂川の流れに見守られているのですね。

 

ふと後ろを振り返ると・・・おおー!!!
ポプラOPENじゃないですよ。
米子城の天守台が丸見え。かつては遮るものなくその姿が拝めたのでしょうねー。

 

 

米子の方は河童に寛大なんですねー。
全国のカッパが米子に集結しちゃいますよ。受け身でいいのでしょうか?
鳥取ということで、水木しげる先生も出てきちゃってます。

そうそう、米子にはエロガッパ伝説があるそうで。
江戸時代、武家屋敷のお手洗いに夜な夜な忍び込んではお尻をなでる河童がいた(!)。
あまりにいたずらすぎるので、腕の立つ武士がこらしめてやろうと待機、片腕を刀で切り落とす。
河童は一度は逃げたものの、「12時間以内なら元通りになるから返してくれ」と片腕の返却を懇願。
武士が二度といたずらしないことを条件に腕を返してやると、
河童はお礼に万病に効く薬を置いて帰っていったそうな。・・・という伝説。

なんじゃそりゃー!今も昔もエロは存在するんだな。
河童の腕が12時間以内ならくっつくというのも知らなかったよ。
かっぱ屋という薬屋さんにかっぱ膏という薬を売っていたそうなので、どうやら本当らしいです。

 

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市役所に突然現れたゆるキャラ。
ネギ太(左)とネギ子(右)のユニット、ヨネギーズだそうです。
ひと目で恋に落ち平成17年3月31日に結婚、というかなりしっかりとしたプロフィール設定。
米子特産の白ネギをモチーフにしているだけでなく、
頭部がYONAGOの「Y」だというこだわりのデザイン!
さらにどんぐりポシェットはただのポシェットではなく、結婚指輪変わりの愛の証。
お名前は“柏木さん”とおっしゃるそうだ。
・・・なんで“柏木さん”なんでしょ?

 

恒例のマンホールチェック。米子だから、“米”ですね。
ネギ子が頭につけている、市の花ツツジをあしらった豪華バーションもありました。