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松山城-1

登城日:2010年10月7日

松山の魅力は、簡単には語り尽くせません。もう、ただの旅行記だけで本1冊分くらい書けそうです。
松山城しかり、日本最古の道後温泉、路面電車の走る情景、ほのぼのあたたかい松山人。
<いで湯と城と文学のまち>松山の街の魅力にはすっかりトリコです。
四国一の人口を誇る大都市なのに、これだけおだやかな風が頬をなでていくのはなぜなのでしょう。
正岡子規、種田山頭火、夏目漱石など、俳人や文豪に愛されたことも納得です。

そんな松山の中心にあるのが、松山城。
松山は松山城を中心として発展した城下町ですから、松山のルーツはすべて松山城にあるといっても過言ではありません。
城メグリストの好きなお城ランキングのベスト5に入ります。

松山城は、現存十二天守のうちのひとつ。
現存天守の中でもっとも新しい、日本で最後の完全な城郭建築で、
現存天守のほかにも21もの重要文化財を擁する、四国最大の名城です。

道後平野のど真ん中、海抜132kmの勝山(かつやま)に鎮座する松山城は、
山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置く連郭式平山城。
こんもりと茂る山の上に立ちますが、山城ではなく平山城。日本三大平山城(松山城、姫路城、津山城)に数えられます。
天守閣に2基以上の小天守や櫓を連結している様式のため、連立式平山城ともいい、
日本三大連立式平山城(松山城、姫路城、和歌山城)のひとつでもあります。

くねくねと屈曲する迷路のような進路、足を踏み入れた者を圧倒する、巨大な門や櫓。
防衛能力の高い城内には、まるで見えない敵が潜み、今にも攻め込んでくるかのよう。
張り巡らされた防衛線には、そこにいるだけで攻め立てられるような威圧感と緊迫感が感じられます。
数々の現存建造物の中でもひときわ注目される天守は、再建天守の先がけを感じさせる、古いデザイン。
バリケードのように城を囲う全国的にも珍しい<登り石垣>など、見どころもあふれています。

創設したのは、「賤ヶ岳七本槍」のひとり加藤嘉明。
関ヶ原合戦での功績を認められこの地に入り、1602年から築城を開始。1627年にほぼ完成しました。
加藤時代は5層の天守でしたが、2代蒲生忠知を経て、1642年に久松松平家の初代・松平定行が3層に改築。
安全対策ともいわれますが、江戸幕府に恭順の意を示したという説もが有力です。
加藤嘉明が完成目前にして会津若松に転封になったのも、
領地に対して壮大すぎるその豪華さに反逆を疑われたため、ともいわれています。
天守はその後1784年に落雷による火災で消失し、財政難や飢饉を乗り越えて、1854年に再建。
江戸幕府の終焉わずか14年前のことでした。

場所選びから地名の由来、時代背景などさまざまなストーリーがありますが、
重要文化財を中心に、城あるきをしていきます。
今回も、地元ガイドさんとがっちりマンツーマン。
とってもやさしい、そしてご説明がわかりやすい地元の方。松山のお母さんと呼ばせていただきたいです。
「あなた、本出したらいいわよー」とお会いして10分後に言っていただき、うれしかったです。

松山の交通の中心は、「松山市」駅なのですね。「松山」駅前は、意外とこじんまり。
レトロモダンな路面電車にゴトゴト揺られて、松山城を目指します。
市内電車・バス1Dayチケットは、日付を自分で削るタイプ。乗降時に運転手さんに見せます。

駅前には、正岡子規によるあの有名な一句が刻まれた石碑が。
「大街道」駅で下車してロープウェイ乗り場へ向かう道すがら、城門らしきものを発見!
よく見たら、学校内ではありませんかー。
これは現存の石垣とお見受けしましたぞ…と思って後ほど聞いてみたところ、やはりこれは現存の石垣でした。
このあたりは家老屋敷だったそうです。天守最上階から見下ろすと、距離感やら町割りがよくわかります。

松山城は5つの登城口がありますが、ロープウェイで登ることに。
東雲口のロープウェイ乗り場では、加藤嘉明の雄々しい銅像が出迎えてくれます。
乗り場1階にある、松山城絵はがきセットのガチャガチャ。水彩画のタッチが好みで、思わず購入。300円で3枚入りとはお安い。

なにやら楽しげな正岡子規の顔ハメ看板、ミニチュア松山城天守模型で気分を高め、いざ登城。
ロープウェイよりもさらに松山城の空気を肌で感じられる、リフトに乗ることにしました。
所要時間は、ロープウェイは約2~3分、並走するリフトは5~6分。
チケット売り場の方も、乗降場の方もハイカラな衣装で親切にお出迎えしてくれます。

本当は足を使って登りたかったのだけれど、待ち合わせのためこの手段で。
ロープウェイ・リフトの下には同じ場所へたどり着くスロープがありますが雨により土砂崩れで通行止めでした。
リフトは風を感じられるし、すぐに到着してしまわないのがまたいい。少しずつ、お城が近づいてきます。
生きる希望がわく、強い励ましのメッセージももらえます(笑)


降車駅の長者が平駅から本丸までは、徒歩で。
正岡子規の石碑に見せかけた、俳句の投稿ポスト。文学の町ですねー。
手つかずで残っている部分もあり、とてもきれいな小鳥のさえずりが聞こえました。

スロープを少し歩くと、すぐさまどーん!!と目に飛び込んでくる、この景観。


この揚木戸門跡北東側の打込ハギの高石垣は、本丸内でもっとも高く、なんと約17m!
「扇の勾配」と呼ばれる、すばらしい反り返しです。
この積み方は、石垣の強度のためともいわれますが、敵が登りにくくするためと考えられています。
晴れ渡る青空さえも遮るような、強固な壁。スケールの大きさに立ち止まらずにはいられません。
ちらりと見えるのは、隠門続櫓でしょうか。

 
 

高石垣に沿ってゆるやかなカーブを迂回するように進み、待合番所跡へ到着。
左手に見えてくるのが、大手門跡。いわゆるお城の正門です。
二の丸史跡庭園からこの大手門にかけて現存しているのが珍しい<登り石垣>ですが…それは、また後ほど。


大手門横から見る、天守方面。この風景が、私はいちばん好きですね。すばらしい武者返し!
正面に見えるのは、太鼓櫓。その左奥には中の門があり、奥に小さく見えるのが、天守です。

これが、まずひとつめのトラップ。
敵の目的地は天守ですから、「正面に天守が見えたぞ!」と、目の前の中の門(中の門)を突破しようとするわけです。
が、実は本来のルートは右手の高石垣の裏側。180℃折り返すようなU字屈折の道のりなのです。
つまり中の門方面はおとりの空間で、そこへ迷い込んだ敵は袋のねずみ、とうわけです。
この挟み撃ちは逆バーションもあるわけで、つまり正規ルートで敵が進んだとしても、中の門が背後になり、
いずれにしても挟み撃ち、ということになります。
正面に天守が見えるのに、進むべき方向は真逆。これだけでも、敵なら萎えますね。

このように、太鼓櫓に見下ろされながら、180℃方向転換します。


道幅が狭まり、見えてくるのが戸無門(となしもん)。その名の通り戸のない門。
実はこの先にトラップがあり、わざと敵を簡単に通過させるのが、戸無しの理由。
火災に堪えた焼け跡も、そのまま残っています。
2つの柱の上に屋根が乗り、控え柱にも垂直の屋根を乗せた、高麗門という形式。

 



戸無門をくぐるとすぐ左にあるのが、松山城の本丸でいちばん大きな門、筒井門。
正木城から移築された、松山城最大の門です。正面の守りを固める重要な門でもっとも堅固になっています。
石垣の上につくられた、櫓の下に門を開く、櫓門という形式。

実は、ここにもスゴいトラップが!
それが、戸無門から見て筒井門の奥にある、隠門(かくれもん)。
その名の通り、石垣の奥まったところに隠された、埋門形式の櫓門。奇襲のための小さな櫓門です。
戸無門を通過した敵は、すぐ手前の筒井門しか見えず、当たり前のように筒井門を突破しようとします。
そこを、この隠門から急襲するのです。
松山城の防衛力の高さの象徴ともいえる、裏の裏をかくような計算高いトラップ。
裏側も落とし穴のようにぽっかり穴が空き、まさに隠れた門。その場に立つと、本当に隠れていて感動しますよ。
下見板張りや格子窓があるなど、小さいながらも、構えは立派です。

筒井門をくぐると次に待ち構えるのが、太鼓櫓、太鼓門、巽櫓。
24.41mにも及ぶ太鼓櫓から太鼓門までの渡塀が、正面にと立ちはだかります。
筒井門&隠門の猛攻から逃れた敵を、今度はこの防壁が迎え撃ち、
鉄砲狭間、矢狭間、石落としなどから、嵐のような総攻撃がはじまります。
幾重にも構築された防衛線が、難攻不落といわれた松山城の堅牢さのゆえんなのです。

櫓1階に突き出た、出窓のような部分が、石落とし。
下の部分が空くようになっていて、石垣を登ってくる敵を、石や熱湯、油などを落として撃退します。
太鼓門は、本丸広場へ抜ける最後の門。

さて、ようやく本丸広場に到着しました。
広場に入ってすぐ右手にあるのが、水深9m、深さ44mの井戸。
井戸の数や規模でお城の防衛力がわかるほど、お城にとって井戸は大切なもの。
籠城の際の飲料用、木造の建造物を守る防火用。災害時になにより水が必要なように、水の確保は重要なのです。
この井戸、戦前まで使用できたそうです。

地形に応じて屈折させた、美しい「屏風折れ」の石垣。
この「屏風折れ」ただの曲線美ではなく、攻防についての大きなキーになります。
ひとつは、重みを分散させることによる、石垣の強度アップ。
もうひとつは、石垣をよじ登ってきた敵を、側面から攻められる防衛戦術。
直線の石垣の場合、敵を真上からしか攻撃できませんが、こうしてジグザグな石垣ならば、
上にいる者は角度を自在に変えられるので、ぐっと攻撃しやすくなるのです。
これは「横矢掛かり」という戦術。
茶色っぽい建物は、馬具櫓。現在はコンクリート製です。

奥の大きな建物が大天守、左が小天守。
大天守の前には、一の門南櫓、二の門南櫓がガードを固めます。
小天守に連なるのは、多聞櫓、南隅櫓。

松山城のマスコットキャラクター、よしあきくん。
ここで天守内にはいらず、東側へ。本壇の周囲を、ぐるりとまわります。
しゃちほこは、3~4代目。写真の天丸と、まつ姫のカップルです。
二の門南櫓も、立派です。

石碑に刻まれているのは、松山城を松山市に寄贈した、久松定謨(さだこと)の名。
この字を書いたのは、徳川将軍家17代当主徳川家正。
そして、石碑のすぐ脇にあるのが、艮門と艮東続櫓。
侵入者を側面から攻撃するための門でもあり、正面(揚木戸門)、裏側(乾門)のいずれにも出撃できる門です。
本壇の鬼門(北東)にあたり、不浄門ともいわれます。

いちばん右のこの写真でピン!ときたあなたは、きっと熱狂的なモッくんファンか、NHKフリークでしょう。
<坂の上の雲>のポスター、ここで撮影されたのだそうです。

こんな感じですね。モッくんポジションに立つことはできませんが、記念にぜひお立ち寄りを。


天神櫓南塀、天神櫓西折曲塀の石垣は見事ですが、木に悩まされているようです。
木の生命力はすごいけれど、その強さがときに石垣の敵となります。

右/野原櫓。日本で唯一現存する二重櫓で、天守の原型といわれます。
乾櫓と並んで松山城でもっとも古い建造物で、本丸の北側を防衛する重要な櫓。
中/(左から)乾櫓前から見上げる、北隅櫓、十間廊下、北隅櫓。
玄関に続く北隅櫓は、別名小天守北ノ櫓または戊亥小天守、南隅櫓は別名申酉小天守とも呼ばれる、大天守に次ぐ格式高い櫓。
十間廊下はその2つをつなぐ渡り廊下でもあり、西側の乾門(城の裏側)を防衛する重要な櫓。桁行が10間あることが、名の由来。
右/(左から)乾門東続櫓、乾門、乾櫓。
乾門東続櫓と乾門は正木城からの移築といわれる櫓で、お城の裏側(搦手)のもっとも重要な構えです。
乾櫓は、石垣の上に鈍角の櫓が経つ二重の隅櫓。搦手の重要な防衛施設になります。

乾門を抜けて覗き込むように振り返ると、そこに絶景がありました!
ここも、私のお気に入りビュースポットです。
乾門東続櫓東折曲塀の、弧を描くようななめらかなカーブ、たまりません。
ガタガタな地形に合わせて積み上げられた打込ハギの石垣は、芸術です。スケールもハンパない。
この絶妙な傾斜も、敵がよじ登れないように計算されたもの。狭間の数も、かなり多いですね。

搦手を守る門だけに、骨太で頑丈な印象。職人がひとつひとつ手を入れたであろう、柱。無骨な美。

ぐるりとまわり、本殿入口の方へ。
櫓には、かなり狭い間隔で、大きな狭間が設置されています。ジグザクの石垣と、折れ曲がる進路。
それでも狭間の先は、進路のど真ん中。ぴたりと通行人を狙える角度に調整して設置されているのだから、もうお見事!
ひとつひとつ、覗いて歩くのが楽しい。全然前に進まないけれど(笑)


行き止まりのように見せかけて、右手にあるのが紫竹門。
その名の通り、紫竹の茂る門で、竹林を隠れ蓑にして身を潜め、突撃して来た敵に攻撃するというもの。
搦手からの侵入を最後の2段構えでブロックします。
道幅も細く、正面は壁。敵の足は一瞬止まる。慌てふためき、紫竹門しか見えなくなる。
そこを左から攻撃するのです。
後ろから、左右から、前方上から攻められる敵にとって、竹林は意外な死角なのです。
正面から見ると、木造の門とあいまって情緒的。美観も兼ね備えているのがまたスゴい。
普通に正面から見たら、「あら、きれいね〜」と思うはずです。

 

とにかく戦闘態勢な、狭間だらけの長塀。この通路は敵の進路でありながら、逆流されれば一変、攻撃場所にもなります。
こういうつくりだと、攻めるほうが確実に方向感覚を見失いますね。
城あるきをしていても、どっちに向かって歩くのが正しいのかよくわからなくなります。
実際どちらでもいいということになりますが、どちらにしても狙われてます。

カクっと予想外の方向に門が立つため、紫竹門西塀の狭間の向きが、途中から入れ替わっているのがおもしろい。
場所に応じて臨機応変に攻防を繰り広げられる、徹底的に凝ったつくりです。

紫竹門を抜けると、本壇入口。
写生大会で集まる、地元の小学生に遭遇。こんなすばらしい景観を描くなら、張り切っちゃいますよ、私。
子供の頃から当たり前のようにここに来られるなんて、うらやましいなー。

優しそうな先生と、元気で素直な松山っ子。
松山の方って、笑顔がキュートでほのぼのしていて、だけど地に足がついている感じがしてとても好き。
おもてなしの心があって、ちゃんと目を見て話をしてくれる。さりげない気遣いが上手で、お話をしていても心地よい。
松山のお母さん、
「陽出ずる高知と違って、松山は陽の沈む場所。
だから高知の人は勢いのある革命者が多いけれど、松山の人はのんびりしとるんよ〜」とにっこり。
瀬戸内海の海みたいな広さと、みかん畑に降り注ぐ太陽みたいなやさしい明るさ。
あったかい陽射しを受けて、すくすくまっすぐ育った感じがします。

さあ、いよいよ天守に入ります。

松山城-2 へ続く→