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松山城-2

登城日:2010年10月7日

松山城-1 → の続きです。いよいよ、天守へ。

 



真正面から見て、正面奥が大天守。左は小天守、多聞櫓、南隅櫓。右は一の門、一の門南櫓。正面の壁が、筋鉄門東塀。
四方をガッチリ囲まれて、大天守に見下ろされるようにして、入っていきます。

狭間の数がハンパない。矢狭間を覗くと、さきほどの紫竹門の前。四面楚歌とはこのことですね。
出窓のように出っ張ったところが、石落とし。
瓦は、葵の御紋。松山城は、現存十二天守で唯一、親藩(松平氏)が建築し、三つ葉葵が使用されています。

 

壁を支える柱は石製。いざというときは壊して壁ごと落とします。

 



右手にあるのが、一の門。頑丈な高麗門です。

二の門への空間は枡形になっていて、しかも四方から攻撃できるようなつくり。
こんなに近い感覚で狭間も設置、まさに死角なし!

 

左/ここだけ、久松松平家の星梅鉢の家紋!
中/きれいな打ち込みハギ。面取りしたように石が楕円なのがめずらしい。
右/とにかく驚く、狭間の多さ!!

 

一の門から90℃左へ曲がり二の門をくぐったら、今度は180℃方向転換。背後に三の門があります。
口で説明すると簡単なのだけれど、実際には方向感覚を見失います。
大きさや形が似た門や櫓に四方を囲まれているので、「あれ、ここさっき通ったっけ?」と錯覚することも。
実際に、同じ門をぐるぐるくぐっている方がけっこういらっしゃるそうです(笑)
そしてどこを通っても狙われているという、この緊迫感。
最近お城をご案内することの多い私ですが、「お城って疲れる〜」という感想もよく聞きます。
足元の不安定さはもちろん、追いつめられるような空間の中での進路探し気を張るので、
体力的にも精神的にもけっこうダメージがあるんです。

筋鉄門をくぐると、連立天守の中庭にようやく到着します。ちなみに、柱に鉄板を打ちつけていたから筋鉄門。固そうだ。

 


ここまで来ると、連立式天守の構造がよくわかります。
筋鉄門を抜けてすぐ左に小天守、その奥に南隅櫓、十間廊下を通って北隅櫓と玄関多聞になり、内門を挟んで天守につながります。
カタカナの「ロ」の字に建物が建ち、真ん中に空間がある構造。これらの建物は内部を通ってぐるりと一周できます。
この空間に攻め込んだが最後、四方八方から総攻撃をされます。
かつては玄関から出入りしていたようですが、今は天守下の米倉が入口。米倉の天井の石は、実は現存です。

松山城の大天守は、三重三階地下一階の層塔型天守。
松山城-1 → でも述べた通り、かつては五重でした。武備に徹した、日本を代表する連立式天守です。

 


天守の中も、かなり戦闘仕様の防衛策がしかれていました。破風の内側にも、鉄砲狭間が・・・!

 

左/玄関多聞から見る、中庭。
中/北隅櫓から見る、乾門。
右/まるで壁の模様のように、狭間が連続して取り付けられていました。

 

松山城名物?江戸時代の落書き。
修復中に見つかった下見板には、大工さんによって書かれた武士の顔が描かれています。
特別な意味をなすものではなく、落書きのようです。なにげに上手ですね。
こういう遊び心を発見すると、昔の人も同じ人間なんだなあ、となんだかほっこりします。

 

和釘の展示も。
天守などの建造物が数百年経っても崩れないのは、
釘の質と、その釘を打ちこなす技術が長けているというのも大きな理由。
木の目を殺さず、一体化させる打ち方をしているから、
まるで木が根を張るように、ずっとその地に立っていられるのですね。

 

左/現在は公園になっている、三の丸(堀之内)。
右/本丸方面。

 

建物郡の側面、やっぱりしなやかでカッコいい曲線美ですよねー。

 

先ほど一の門、二の門、三の門の位置関係を説明しましたが、これが上から見た図。
うーん、迷路のようです。方向感覚を見失うのも納得ですよね。
しかも、実は上からこうして丸見え!
歩いているときは、薄暗い地下道を通っているような閉鎖的な空間だったのに…そんな発見も楽しい。

 

大天守は、階段もこれまた立派。
やはり登りにくい急勾配になっています。

 

大天守最上階からの眺めはサイコー!

加藤嘉明が松山城をこの地に決めたとき、3つの候補地を幕府に申請したそうです。
本当は現在の勝山にしたかったけれど、そこをしいて第2希望にしたのだとか。
当時は徳川幕府への反逆も疑われる時代だったので、第1希望のチェックが厳しい。
立地のよい勝山を第2希望にしたのでは、許可が下りないと判断したからです。
見事、第2希望(本当は第1希望)の勝山に決まり、思惑通りだったようです。
そこまで思慮深いのに、なぜ天守を5階にしたのか。それこそ配慮が必要だったでは…?と思わずにはいられませんが。

 


時代にそぐわずこれだけ戦闘仕様な松山城ですが、やはり内部には太平の世を感じさせるものがあります。
1階から3階まで、すべて床は板張りで、天井板もあり、畳が敷ける構造になっています。
襖を入れる敷居まで…この理由はよくわかっておらず、松山城天守最大の謎だそうです。
最上階は高欄が張り巡らされ、105㎡の広さ。床の間も珍しい。
ちなみに、天守に連結した建物はすべて昭和43年の復元。
ですが、内部を回遊してもその違いをみじんも感じさせません。見事な世界の再現に感服。

松山城の歴史に関する映像を、こちらの間でじっくり観覧。
鎖かたびら、初めて見ました。“西田手製の鎖かたびら”しか見たことがなかったので感動(笑)

 

内門。
そこを抜けるとあるのが、天神櫓。
もともとは具足櫓でしたが、鬼門にあたるため、城の安泰を祈るべく役割と名称が変わりました。
久松松平家の祖先神・菅原道真が祀られています。

 

本丸東側の石垣に、すごいヒミツあり。

 


石材に、刻印がたくさん刻まれているのです。しかも、刻印があからさまに上向きになって。
石に残されたマークは、目印、大名の家紋、おまじないなど。
石垣はエリアごとに分業されて築かれますが、
この石垣は地盤が緩く、積み上げては崩れる、の繰り返しだったようで。
そこで、目立つように入れることを条件に腕の立つ職人を大集結させたのだそう。
違う刻印が隣り合っているのって、とってもフシギ。

 

本丸内には休憩にぴったりの茶屋があります。
こういう現代建造物は違和感を感じさせることが多いですが、
松山城のこの茶屋は、ほどよく広場に溶け込んでいて、さほど気になりません。

松山といえば、タルトが有名。
3代藩主、松平定行が長崎に探題職として出向したときに気に入り、松山に持ち帰ったもの。
松山にはジャムなどハイカラなものはなく、あんこで代用したのが発祥だそうです。
松平定行は松山城の改修を行ったほか、道後温泉の改修・整備にも着手した人。
安芸の牡蠣、宇治の茶を導入するなど、産業の振興に尽力しました。
1668年の死去後も久松松平家の治世は1869年の版籍奉還まで15代続きます。
四国の新藩として、234年間としての役割を担いました。

自販機にポンジュースが当たり前に売っていることに、ちょっと感動。

 

夏みかんソフト、たべました。
松山のお土産といえば、坊ちゃんだんご。最近はマドンナだんごもあります。
坊ちゃん団子が<抹茶・卵・あずき味>と渋めなのに対し、
マドンナだんごは<いちご・ミルク・カフェオレ>とちょっとハイカラなおしゃれフレーバーです。

私は坊ちゃん団子のほうが好きです。
ちなみに団子三兄弟がメガヒットした年、坊ちゃん団子も大フィーバーだったそうです。

 

ベンチに座り、写生大会の中高生と遠くに見える大天守を眺めながら、のんびり。
広場に流れる時間はとてもゆるやか。
「ここに来るとなんだか落ち着くんよ〜」。松山のお母さんの言葉と笑顔が忘れられません。

 

私のベストビュースポットに戻ると、ぽつんとひとり、写生をする小学生の女の子が。
この場所を選んだセンスと、たったひとりで陣取る心意気に、心の中で喝采!

 



と~っても上手に描けてますね。
大手門を抜け、5つある登城道のひとつ、黒門口登城口を通って二の丸史跡庭園に向かいます。
さすがは江戸時代の正規ルート。石段が多く長い道のりは、緊張ほとばしるものがあります。

 


槻門跡を抜け、二の丸史跡庭園に到着。

二の丸は、本丸(天守閣など)を防備するための施設。藩主の生活をする屋敷や、政務行う建物がありました。
南と西に内堀があり、高い石垣、櫓、門、塀に囲まれています。
1687年に三の丸邸が新設されると二の丸は世継ぎの屋敷になり、
明治になってからは藩庁・県庁として使われましたが、1872年に火災で消失、270年の歴史に幕を閉じました。

 



二の丸史跡庭園は、二の丸の敷地約1.6haを整備したもの。
古い絵地図や発掘調査に基づいて間取りを遺構の上に表現、外周の塀や門を復元。
東西18m、南北13、深さ9mの大井戸は籠城のため、防火のための設備。露出展示されています。
表御殿跡は柑橘、草花園、奥御殿跡は流水園として整備されています。

 


二の丸を跡にしてふと見上げると、そびえ立つ本丸天守。
三の丸(堀之内)は公園として整備されています。

 



松山城のもっとも貴重な遺構、現存の「登り石垣」。これが見たかった!
二の丸史跡庭園の南東櫓から大手門にかけて続く、全長約233mの石垣です。
まるでバリケードのように、本丸と二の丸の斜面全体を囲むように結んだ、石の壁。まさに鉄壁。
たとえば敵の立場でこの城に攻め入ろうとしたとき、こんなバリケードがあったら、もう戦意喪失ですよね。
しかも、壁の向こうからは攻撃され放題。完全に上から見下ろされる角度で、屈辱的にやられまくりでしょう。
この「登り石垣」は、彦根城や洲本城など全国に数例しか残っていないので、かなり希少。
どこまでも徹底的な防衛線。これには大大興奮でした!!

 

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松山城はグッズが充実していて、しかもなかなかセンスよろし。
資料の中でのヒットは、書籍<松山城の秘密>。
松山城にまつわる雑学的うんちく本で、読みやすくておもしろい。
小話だけで1冊できてしまうなんて…それだけ、松山城は魅力の詰まったお城ということですね。

 

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店名を失念…坊ちゃん電車「大街道」駅からロープウェイ乗り場への道すがらにある、
小さなお店でいただいた手打ち釜揚げうどん。
うどん屋の待ち時間の常識を覆す茹で時間だったけれど、味も別格。ほかのどこのお店よりも美味でした。
お店のご夫婦のお人柄もよく。また、松山人のあたたかさに触れました。

3,000年の歴史を持つ、かの有名な道後温泉は、前述の通り、松平定行が改修・整備しました。
唐破風のついた、三層楼の壮大な建物。どこかお城っぽさを感じるのは、城大工が建てたからだそうです。
この景観を見ながらじゃこ天を片手にビールをぐびぐび。すばらしい内装と極楽のお湯は、次回のお楽しみです。

 

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恒例のマンホールチェック。
意外にも、松山城のマンホールは見当たりませんでした。右の花は、松山の花ヤブツバキ。