宇和島城(愛媛)
最新登城日:2010年10月6日
宇和島城といえば、三大築城名人・藤堂高虎による縄張り。
かつては瀬戸内海に面していたこの地。その地形を巧みに利用して、攻めにくい縄張りを完成させたようです。
四角形に見えて実は不等辺五角形。
つまり、1辺がノーマークになるので、攻防が自由自在ということです。これってスゴい!
「さすが高虎!」とお城ファンならば唸らざるを得ない、難攻不落のお城なのです。
城山には本丸をはじめ8つの曲輪、24の櫓、8つの門があったそうです。
天守は、現存十二天守のうちのひとつ。
小ぶりですが、適度に雄々しくてカッコいい。品のあるアートなイケメン系といったところでしょうか。
玄関がついたような入口も、なんだかおしゃれです。
伊達政宗の長男秀宗が治めた、十二万石の城下町宇和島。
「伊達といえば仙台では?」と意外に思いますが、
政宗は正室の子を継嗣としたため、側室との子であった秀宗がこの地を与えられました。
今も、仙台からの観光客の方も多いそうですよ。
市立伊達美術館もなかなか。ちょうどこの日は、黄金の茶室が特別展示されていました。
お城マニアにとっては、宇和島=宇和島城という定義なのですが、
宇和島は闘牛の街だそうで。近くに闘牛場があり、今でも開催しているそうです。
宇和島城下町には、高野長英が捕り抑えられる前に隠れていたアジトが突然あったり、
後藤新平、犬養毅、司馬遼太郎などがひいきにしたという<木屋旅館>もあります。
保育園の壁画にほのぼの。キャラクターだけ、完成度が高い(笑)。
病院が建ち並ぶ通りは、かつての大名屋敷。つまり、裕福な家柄が代々続くエリアということですね。
こういう名残りをひも解いていくのも、おもしろいものです。
日本のすべては、かならずお城につながります。
宇和島城の重要な遺構のひとつ、上り立ち門。
現存の薬医門では最大級、しかも最古創建の可能性あるとか。
上り立ち門を通り、登城スタート。式部丸の井戸を見て、進路通り、左へ。
400種類もの植物が生い茂っているのだそうです。
なぜそこにその植物が生えているのか、なんてことも理由があったりして、それもまたおもしろい。
代右衛門丸を守る代右衛門丸矢倉、南角矢倉の石垣。
崩れかけ苔蒸す石垣と、生い茂る植物が、なんとも幽玄。まるで森のようです。
少しずつ石垣の修復工事を進めているそうですが、なにせ費用がかなりかさむので、追いつかないそう。
石垣の大敵・草も、かなり生えてきちゃってますね。
長門右門を越えると右手に見えるのが、西角矢倉!攻めるに当たって、ここが大きな関門かと。
鋭角に右折して、二の丸方面に向かいます。
ここの石段の道幅は意外と広く、まっすぐ。「なんだ、進みやすいじゃーん」と思うかもしれません。
がしかし!左手に立ちはだかるのは、藤兵衛丸の高い石垣。袋の鼠です。
ほかのお城同様、階段自体も幅がまちまちでなかなかに登りにくいです。
急にぐっと道幅が狭くなったところが、雷門跡。もしここまで到達できたのなら、敵はかなり優秀でしょう。
三の丸に建っていた、山里倉庫。
現存例の少ない武器倉庫で、城山内に移築され、現在は城山資料館として一般公開されています。
時間がなくて、見られませんでした(涙)
ちょっと悲しい気持ちで歩いていると、どーん!と立ちはだかる石垣の壁!!
この敵を威嚇するムードは、二の丸・本丸へ近づいた証。
より歩きにくい石段、ガクッと鋭角に折り返す石道をジグザグ抜けると、二の丸の入口、三の門にたどり着きます。
二の門から振り返って見る、石垣と天守。この景観が私のベストスポットです。
二の丸には御算用矢倉。180℃折り返すように進むとあるのが、本丸の入口、一の門。
本丸の跡には、御台所跡を示す囲いが。奥には、天守。
御鉄砲矢倉、南角矢倉、櫛形門矢倉などの場所もわかるように記されていました。
現存の宇和島城天守は、3重3階総塗籠式、層塔型天守です。
玄関のような部分の、太平の世を示す懸魚が印象的。
そして、とても目を引くのが、3つの家紋!下から、九曜紋、竹二雀紋。わかりますか?
竪三引両は、源頼朝から拝領した、伊達家のいちばん古い紋。
九曜は、細川家のもの。伊達政宗が気に入り、所望したのだとか。瓦も九曜紋ですね。
竹二雀紋は、伊達家ではおなじみですが、仙台笹ではなく宇和島笹、というのがおもしろい。
石垣や天守、矢倉は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていきますが、
基本的な城構えは高虎時代のものを引き継いでいます。
うーん。実はかなり時間がなく、せっかくの現存天守は写真を撮るだけでほぼ終わりました。
天守1/10縮尺模型、じっくり見たかった…1860年の天守修理時に作成された、完全な1/10の模型です。
城になにかが起きたときに再建するためにつくられ、天井裏に保管されていたのだとか(!)
修理に関わった人々の名や、図面も残っていたらしい。
お城の図面や模型が残っているのって、本当に貴重なのです。
宇和島城天守自体が戦火から逃れた貴重な現存ですが、この模型も、よくぞ頑張って生き抜いてくれました!
最上階からの景観はなかなか。かつては海沿いだったはずですから、もっといい景色だったでしょうね。
井戸丸を通って、旧三の丸から出ます。城にとって井戸はとても重要。立派です。
三の丸側の登城口にあは、桑折(こおり)氏武家屋敷門があります。昭和になって移築されてものですが。
写真すら撮る時間なし…。
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宇和島城歩きは不完全燃焼でしたが、最後に遊子水荷浦の段畑に連れて行っていただきました。
半農半漁の集落、ですね。重要文化財景観でもあります。
この1mほどの幅、リアス式海岸独特の地形、季節風などの風土。
すべての条件のバランスが、農作をするのに絶妙なのだそう。
このあと、おだやかに広がる瀬戸内海が、オレンジとピンクを混ぜたような深い夕陽色に染まるのを見ました。
「今日はとくに波がおだやかだねえ」と、地元の方もおっしゃってました。
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恒例のマンホールチェック。やっぱり鬼牛&闘牛。
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さぬきビールに、じゃこちくわ。
愛媛滞在中に、じゃこ天をかじりまくりました。サイコーのおつまみですね。