最新登城日:2009年6月20日
柴田勝家の居城として知られる、北ノ庄城。
かつては安土城の天主にも匹敵するような、壮大な姿だったといわれ、
織田家の筆頭家老・柴田勝家にふさわしいスケールを誇っていたとされます。
豊臣秀吉よりも高位の家臣でありながら、天下取りに乗り遅れてしまった勝家。
賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、自ら火を放ち、北ノ庄城は落城しました。
勝家の最期の地であり、また奥方であるお市の方も共に命を落とした、悲しい地でもあります。
現在は驚くほど大通り沿いにあり、柴田公園としてこじんまりと佇んでいます。
お市の方は織田信長の実妹。絶世の美女といわれます。
兄信長の命により浅井長政と政略結婚するも、長政は信長と対立せざるをえなくなり、浅井家は滅亡。
小谷城落城時、長政と共に城に残ろうとしますが、幼い3人の娘を連れて兄のもとへ逃げ延びます。
その後信長の家臣だった勝家と再婚するのですが、今度はその勝家が豊臣秀吉によって滅ぼされてしまいます。
この時は娘たちだけを逃し、夫と共に北ノ庄城で自害しました。
小谷城で壮絶な光景を目の当たりにしながら、再び同じ境遇を経験したお市の方。
運命のいたずらのような経験を2度もした、悲運の女性です。
ちなみに浅井長政とお市の方の3人の娘が
長女・お江与(2代将軍徳川秀忠の正室、3代将軍家光の生母)
次女・お初(京極高次の妻。姉の徳川家と妹の豊臣家の橋渡しも)
三女・茶々(豊臣秀吉の側室。秀頼の生母)
・・・と、3人揃って後の世に重大な役割を担う人物となります。
翌日の〈坂井市古城マラソン大会〉の必勝祈願を(笑)おみくじなんぞも引いてみる。
柴田神社周辺は、勝家築城の天守閣跡といわれる場所。
かつては高く積まれていたものが、福井城築城の際に取り除かれ、根石だけが残ったと考えられています。
左/福井城三の丸南に位置する、曲輪の南西あたりの堀の石垣。
中/北ノ庄城堀跡の石垣。遺構がわずかというのも、なんとも物悲しい。
右/再現された九十九橋。北側を木、南側を石で架けた半石半木の珍しいもの。明治43年に架け替えられるまで、330年存続したそう。
柴田神社の裏手には、三姉妹神社も。
歴史的な舞台となった城跡で、想いを馳せた夕暮れでした。