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最新登城日:2010年6月20日

備中松山城は、日本三大山城のひとつ(ほかに美濃岩村城、大和高取城)。
天守閣は現存天守12基のうちのひとつに数えられます。
現存する天守の中ではいちばん高いところにあります。山頂の城跡に建物がある、唯一のお城です。

山陰と山陽をつなぐ吉備線に乗って岡山から約30 分、岡山県高梁(たかはし)市、というところにあります。
城下町も含めてかなり魅力的。城メグリストのランキングではけっこう上位です。

 

備中松山城のある場所には、大松山、天神の丸、小松山、前山という、4つの峰が連なり、
時代の変化によって、お城エリアがちょこちょことうつり変わっているのが特長です。
今、備中松山城と呼ばれるのは、天守と二重櫓が残る小松山の城郭と、山麓の城郭のことを指します。
いちばん最初の築城は1240年とかなり古いものですが、
今ある姿のベースは江戸時代に入ってから(どこまでを今ある姿というのか難しいですが)。
ですから、山城でありながら中世城郭ではなく、近代城郭ということになります。これも珍しいですね。

 

駅から車を走らせて、前山の麓にある城見橋公園へ。
途中、御根小屋(おねごや)と呼ばれる城主の御殿を通ります。
江戸期になると、城主が山頂に城主が住むことはまずなく、山麓の御殿に住みました。
藩政もこの付近で行います(皇居のまわりに省庁があるイメージ)。
何かない限り、山城の天守閣に登ることはありません。
城見橋公園から天守閣への登城の入口<ふいご峠>までは、シャトルバスで向かいます。

 

 


さて、ふいご峠からはいよいよ登山スタートです。
城主が御触書きでエスコートしてくれます。
めまぐるしく城主の変わったこのお城、ここでいう城主は誰なのでしょう(笑)?
1640年代に現在の姿を整えたといわれる水谷(みずのや)隆勝あたりにしておきましょうか。
それなりの登山なので、足腰が心配な方は登城の友・杖をお借りして。
より山らしさを味わえる遊歩道もありますが、今回は時間の都合で右手へ。

 


前山、小松山、大松山は、牛がひれ伏したようなその姿から、臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれます。
大部分が国有で、山全体が400年超の巨木におおわれた大原始林。
550種類を超える植物が自生していて、235種類が大木に属するそうです。
山歩きが好きな方も、十分に楽しめるのではないでしょうか。
そうそう、天然記念物の猿生息地としても国から認められていますから、
くれぐれもお気をつけて。自然をどっぷりと味わいましょう。

 



写真がブレブレだと思ったら「あわてずゆっくりすすむべし」、
どこを歩けば!?と思ったら「気をつけて歩くべし」。
適切な城主のツッコミ&アドバイスのもと、てくてくと登り進みます。
今にも雨が降りそうなお天気の中、ジメッと湿度も高め。


車を置いた城見橋公園が、気付けばこんなに見下ろせるところ。だいぶ登ってきました。
ふと遠くへ目をやると、のろしをあげたという山がくっきり。
石垣や経路に夢中になりがちですが、視野を広げると違うものが見えたりします。
のろしの連携プレー、よくできてるなー。
まるで人工的に基地をつくったような、パーフェクトな山の高さ、位置、大きさです。

 


傾斜はゆるいですが、延々と山道が続くので、ふだんあまり歩かない人には、なかなかにハードかもしれません。
ですが、ナイスなタイミングで城主が励ましてくれます(笑)

 


中太鼓櫓跡。
山麓の小根小屋や、眼下に広がる前山がすっぽり見渡せる好位置。
その名の通り、太鼓で連絡する、連携プレーの重要拠点です。
軍事拠点なだけあって、見晴らし良好です。しばし休まれるとよいです。
残骸となった瓦がザクザク落ちていて、踏みつけざるを得ない状態!!
遺構なのに、こんなにも野放しでいいのかなあ!?

 

 

すばらしい石垣に感嘆しながら、進みます。 この階段は補修したものだろうけれど、長短の幅はそのままなのかな。
 
 


どんぐりの種類がこんなにあるなんて、知りませんでした。でも、この図鑑を見てもたぶんわかりません・・・。

 


おっ、突然どーん!!と現れました。大手門です。ここに巨大な門がありました。
この突如出現する演出も、威圧感を醸し出しますね。
「よし、門に着いたぞ」と思わせておいて、よーく足元を見ると、とっても歩きにくい石段なんです。
あとちょっとのところで、焦らせてジラす。城攻めは心理ゲームなのです。
右手には迂回する出入り口もあります。

 

 


備中松山城の感動的な点は、この岩盤の上に築かれた石垣!!!
す、すごいですよね、この技術?
崩壊の危険性が高く維持するのが大変だそうで、
ペルーのマチュピチュ遺跡と同様の<不安定岩盤変動管理システム>を導入しているそうです。
門は枡形(ますがた)といって、ジグザグに入り組んだ進路になってます。

 


ごろごろとした石垣、岩盤、後に増築されたと思われるきっちりとした石垣。 いろんな表情を見せてくれます。
門の礎石。赤くなっているのは長年の鉄サビ(写真/中)。

 


三の平櫓東土塀は、手前の一部が現存です。
通路は復元されていますが、幅は忠実に再現されているようですよ。
けっこう広いですが、ここだけ歩幅が広くなるので、歩くリズムが乱れて疲れます。
(駆け上がれないようになっているのです)

 


上番所の奥には、これまた芸樹的な石垣が。
どうして、こうも違う種類の石や岩がぴったりハマれるのだろう。 そして、なぜ数百年ビクともしないのだろう。
 
 
 


年季の入った野面積み。ゾクゾク。

 


ケタ外れの時を越えて、力強く根を張った大木。人と比較すると、大きさがわかりますね。
石垣の隙間からひょっこりと出てきた、ハートの葉っぱも見つけましたよ。
「ハートかわいい~」とウキウキしていると、後ろは断崖絶壁ですのでご注意を(笑)

 



黒門、厩門、四の平櫓を超えて。
それにしてもこの男性、どこで楽器を奏でたのか気になります(笑)
 
 


現在お手洗いが設置されているのは、よりによって御膳棚曲輪・・・(笑)

 


圧巻の石垣!奥に向かって、積み方が違うのがわかりますか?

 

 


二の丸に入りました。
案内板の左にたくさん名が連ねてあるように、備中松山城の城主はめまぐるしく変わります。
ドラマチックなお話がたくさんあるのだけれど、とくに有名なのが、<備中兵乱>です。
安土桃山時代は地理的に複雑な立場にあり、常に四方から狙われる立場でした。

 


うまく説明できないものかと、完成度の低い相関図をつくってみました。 ちゃんとつくらず、手書きです(笑)

結局三村氏は滅亡してしまうのだけれど、 三村元親は5年間で広範囲に渡って整備して、松山城の基盤を構築。
松山城の規模をもっとも拡張させたといわれます。

 


この2つの雪隠(トイレ)も、珍しいもののひとつ。
なぜ、こんなところに??
雪隠のすぐ横は断崖絶壁。抜け穴だったのかもという説もあるようです。

 


ここから見えるのが、備中松山城のメインビジュアル、本丸の建物群と復元土塀。
いちばん奥が、天守閣です。

 


本丸は後のお楽しみにして、石垣を左手に、裏にまわります。
石落としを真下から見上げて、そしてここにも瓦の残骸が~!

 



本丸の二重櫓(現存)。
自然と人工の築城技術の調和が見事です!個人的にはベストポジション。
小ぶりながら敵を威圧する、勇猛ないでたち。天守を背後で守り抜く、強い意思すら感じる存在。
2つの出入り口のうちひとつは天守閣につながっていますから、避難経路としても重要な櫓だったのもしれませんね。

 


本丸東御門。唯一の引き戸で、この小さな穴に棒を通して鍵をかけるのだそうです。
ちなみに、電線は猿除けのためのもの。
今、備中松山城は猿に攻め落とされないよう守りを固めていました(笑)

 

 


さて、復元されたばかりの南御門を抜けて、いよいよ本丸へ。
天守閣も、岩盤の上に築かれています。
外国の方もいて、なんだかうれしくなりました。どう感じたのでしょうか?

 





天守内はわりとシンプルですね。
復元、修復に関する資料が、とても丁寧に展示されていて、なるほどと熟読。
細心の注意を払って、本来あるべき姿を守ろうとする姿勢にも心打たれました。
気の遠くなるような作業がおありになったことでしょうね。

明治時代に廃城令が出たあと、備中松山城は破格でなんとか落札されます。
が、こんな山の上にあっては取り壊しにも莫大なお金が必要で、とてもじゃないけれど採算が取れない。
そこで、持ち主は「取り壊しました」とウソの報告をしたのだそうです。
なにせ木々に覆われて外からは見えず、山の上ゆえに遠すぎて、わざわざ確認しに来られることもない場所。
ウソはバレることなく、備中松山城はひっそりと生き続けました。
その後時を経て、太平洋戦争も絶え抜き、今の姿によみがえったのです。
波瀾万丈に生き抜き、長年じっと身をひそめ、ようやく今ここに立っている、
多くは語らずとも静かに語りかけてくるような、落ち着きみたいなものを感じました。

 

 


珍しいのは囲炉裏(写真/左)、装束の間(写真/中、右)があること。
装束の間は、城主一家の篭城時の部屋。死に場所にもなります。
忍でも入ってこれないように、隙間なくびっしりを石垣が積まれるなど、工夫がしてあります。
ここから二重櫓につながっているのだど・・・なんか簡単に移動できそうな(笑)

 


本丸に資料館があるのだけれど、ここの展示物もとても親切丁寧でした。
切り絵を使った紙芝居風の映像もあったりと、趣向も凝らしてあって、飽きもせずふむふむと釘付け。
これならお城ビギナーや子供たちも、楽しく見れるんじゃないでしょうか。
天守閣内の資料しかり、説明がこまやかで、配慮がありがたい。
このお城を大切にしている気持ちが伝わってきました。

映像も、思わずすべて見てしまいました。
この資料館の建物まで手を抜いていないところに、みなさんのお城に対する敬意を感じました。
(だって、挟間までちゃんと設置しているんですもの!)

 


資料館の入口には、高梁銘茶・備前宇治茶のサービスが。
高梁の方はとても笑顔がキラキラしていてあたたかいんです。
 

今回お世話になったガイドの小倉さん、なんと手づくりのスイーツまでくださいました。
「疲れたでしょうから、甘いものでもどうぞ。天守閣見ながら食べましょう」って。
ただでさえキツい登山なのに、重い水筒まで持って登ってくださったんですね。
ここにサービスのお茶があるとわかっていながら、
わざわざそれとは別に冷たいお茶を淹れてきてくださるなんて、そのお心使いに感激。
私もこんなふうに心のあるお城ナビゲートがしたいな、と思いました。

 

時代と情勢に翻弄され続けたこのお城は、登場人物がたくさんいます。
そして、このお城を守ろうと尽力し、努力し続けている方がたくさんいらっしゃいます。
「ここにずっと人がいたこと、忘れたくないな」と思いました。
なくすことは簡単、壊すのはあっという間。
時代はどんどん変わるし、変えなければならないこともたくさんある。
変わらないことが必ずしもいいこととは思わないけれど、
やっぱり守らなければいけないものって絶対ありますね。
古いものをベースにして、新しいものをつくりたい。
この世にずっと人がいて、すべてのものは人がつくりだしているのだから。 そんなふうに強く思いました。

 
 


行きとは違うコースを通って、下山。山城はまるで迷路のようです。
城主さまにねぎらいのお言葉をいただき、「ははぁ〜!」と心の中で土下座。

 

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文頭で城下町も含めて好き、と書きましたが、
このエリアは、町ぐるみでこのすばらしい町の保存に取り組んでいるのが素敵なところ。
その証拠に、町割がそのまま残っているんです。うん、これも大きな見どころです。

 

大松山城跡や天神の丸跡、御根小屋など近隣の史跡には行けなかったのだけれど、
2つの武家屋敷、いくつかの寺院を訪ねてきました。

 


これ、お城っぽいですよね?実は、お寺なんです。
松山城下町は江戸時代に、かの有名な小堀遠州によって再構築されます。
当時は武家諸法度によってお城を新築することが禁止されていたため、
カムフラージュで寺院を建てて、いざというときは出城になるようにしたのです。
御根小屋、松山城のある小松山城に向かって、いくつものお寺や神社が立ち並び、
簡単に主要部に近寄れない町づくりがしてあります。
城はこうして守られているのです。

 


そして、主要部に近づくにつれて、わかりやすく階級が上がる武家屋敷。
2カ所見学させていただきましたが、手入れも行き届いていましたよ。
 
 

造園家であり、茶人であり、備前代官だった小堀遠州によって作庭された、頼久寺の庭園。
ここは、もう本当にすばらしい!!!!!
江戸初期を代表する、見事な枯山水。小堀遠州の傑作ともいわれ、国の名勝庭園に指定されています。
この日はお天気があまりよくなかったけれど、借景も見事。時の流れを忘れました。
 
 
 

備中松山城は雲海でも有名なところ。
雪景色もとても美しいそうで、運がよければ両方見られることもあるそう。
次回は秋~冬に行こうと心に決めました。