城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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世田谷ボロ市

世田谷ボロ市に行ってきました。

世田谷ボロ市は、今年で433年の歴史を持ち、東京都指定無形民俗文化財にも指定されている伝統行事。
世田谷線上町〜世田谷駅周辺、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、約700店の露店がところ狭しと並びます。

12月15、16日、1月15、16日の4日間、曜日に関わらず毎年4回開催されていますが、
今年の1月は見事に土日に重なり、AM10:00で大盛況のようす。
毎年来場者数は30万人ともいわれますが、今年はもっと多かったかもしれませんね。

この世田谷ボロ市のはじまりは、1578年。
小田原城主北条氏政が、世田谷城主吉良氏朝の城下町である世田谷新宿に開いた楽市です。
楽市の“楽”とは“自由”の意味で、つまり、自由な市。
それまでの独占販売権や非課税権などの規制を緩めて、自由な行商販売を認めました。
当時、世田谷新宿は、江戸と小田原を結ぶ相州街道の宿場町として栄えていましたが、
この楽市によってさらなるにぎわいを見せ、江戸と南関東を結ぶ中間市場として繁栄したと考えられています。

ところが、豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされ、さらに徳川家康の時代になると、衰退の一途をたどります。
世田谷城が廃城になったことで城下町としての存在意義がなくなり、楽市は終わりを迎えるのです。
しかしこの催しは開催され続け、近隣農村のために開催される歳末市に変化したのが、今のボロ市のルーツです。

ボロ市の名前の由来は、この市で安売りされていた草鞋に編み込む“ボロ”。
ボロを編み込むと丈夫になるということで、こぞって買い求めたのだそうです。
ボロのほかにも、農工具や古着、日用品などが売られて、全盛期の出展数は2,000店以上!
昭和の初めには芝居小屋まであり、娯楽の場、親交を深める場でもあったようです。
12月15日に歳の市として催されていたものが、新暦が使われてから1月15日も追加され、
やがて12月15,16日、1月15,16日の両日も開かれるようになったそうです。

 
    
    
   

ボロ市保存会という会があって、たくさんの方がいらっしゃいました。
文化財が守られているのも、こうした方々のご尽力のおかげですね。おまわりさんもご苦労さまです。

今日は時間がなかったものの、短時間で掘り出し物をゲット!
骨董屋さん出品の漆のお盆。かなり気に入りました。ちょっと漆が剥がれているので、破格に。
私好みの陶器もいっぱいでしたが、それは自粛。

 

   

ボロ市名物、代官餅。毎年大行列です。機械を使わず手でついているので、やわらかくてコシがある!
寒い中並ばないと買えませんが、もち米の炊けるにおいがふわ〜と風に乗ってやってきて、これがまたいいんですよねー。
待っている間に味わえるお楽しみです。
臨時の代官餅専用の休憩所も、おもてなしの心が感じられてあたたかい。

 

 
  

かなりボリュームがあるので、どう考えても2人で1パックで十分ですが、からみとあんこの2パックを購入。
からみ、あんこ、きなこの3種、各600円。からみは必食。

 

   

地元商店街の出店もあれば、全国からやってきた物産コーナーも充実。屋台のレベルは高いですぞ。

 

  
  

代官餅の名前の由来にもなっている、代官屋敷。こんなところに、実は国の重要文化財があるんですよ。

ここは、3代将軍家光が、1633年に彦根藩主井伊直孝に与えた地。
滅亡した吉良氏の元家臣・大場市之丞が代官に任命され、
以後明治維新までの235年間、大場家が住居兼屋敷として使用したそうです。
白州跡は、罪人を取り調べた場所。

 

   
   

茅葺で寄棟造、建築面積は230㎡。1737年に再建された古い建物です。

 

 

隣接する郷土資料館。世田谷の歴史はここで知ることができます。

 

ボロ市通りから徒歩圏内に世田谷城跡があります。
井伊家ゆかりの豪徳寺、吉田松陰ゆかりの松陰神社も近くにあります。
世田谷ボロ市も含め、城メグツアーとして昨日ご案内する予定だったのですが、急遽中止にさせていただきました。
理由はなんにせよ、一度お受けしておきながらあるまじき行為です。本当に申し訳ありませんでした。
今回初めて参加希望をしてくださった方もいて、心苦しく思っています。
あたたかくなったら、お散歩ツアーしましょう。
また企画しますので、ぜひご参加くださいませ。

 

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