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萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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久能山東照宮

中井均先生もオススメの静岡の名城、丸子城へ!
しかし、アクシデントにより断念。久能山東照宮へ行ってきました。

 

久能山東照宮は、徳川家康の墓所ですが、
その前は久能寺山城という城だったことはあまり知られていません。
築城したのは武田信玄。
1568年、要害の地と知った信玄が砦を築き城とし、武田家滅亡後に徳川家の所領になりました。

久能山東照宮を城という観点から見るのも、とてもおもしろい。
2つの時代が見事に混在していて、山城時代の名残を発見できたりします。
7世紀に久能寺として開かれ、城となり、墓所となる。
時代の変遷とともに姿を変えた場所であることがわかります。

久能寺山城時代の縄張図によると、
現在のロープウェイ乗降所が二ノ丸、社殿や神廟のある場所が本丸、ということになります。

 

「素晴らしい場所だから、俺が死んだらここに埋めてくれ」という家康の遺言により、
ここに埋葬され、その際に2代秀忠が造営したのが、現在の東照宮です。
(1年後にはこれまた遺言により日光東照宮造営。遺骸も移されている…とされる)
社殿、拝殿、その2つをつなぐ石の間を持つ、日本最初の権現造。
全国の東照宮のお手本ということと、400年の現存度合いが認められ、国宝に指定されています。
 


こちらが神廟。
うむ、なかなか格調高い石の加工ですよ(笑)!
ちゃんと桝形になっているあたり、特別感がありますね。とりまく空気も変わります。

しかしなぜ、家康が久能山に葬ることを遺言したのかは謎ですねぇ。
地図上で見ると、久能山東照宮、富士山頂、日光東照宮が直線で結ばれることから
「富士山を越したことで不死(富士)となり、
江戸城と北極星を結ぶ直線上にある日光で、江戸の守護神になる」という説もありますが、
地図がない時代に果たしてそんなことを考えることはできたのでしょうか。。。

 

平成19年に移設されたというス添石垣。
元和3年(1617)に築かれ、崩落防止のために天保4年(1833)に二重にされたという、廟所の石垣。
場所も異なり、切ないくらい現代風になっていますが、遺構を伝えてくれるのはありがたいことです。
本来の場所は、神廟の向かって左手、階段を上がってすぐのあたりだそうです。

 


当たり前ですが、葵の御紋だらけです。
熱狂的な徳川ファンにはたまりませんね。そんな人がいるのかは知りませんが。

 

寒桜&梅、美し。

 

水はけのよさに感動。城地としての優良度が証明されています。
2時間前まで雨が降っていたのに、この乾き具合はすごい。