「秀吉を迎え撃て-天正年間の関東の城-」
首都大学東京で行われたシンポジウム
「秀吉を迎え撃て-天正年間の関東の城-」へ行ってきました。
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豊臣秀吉の小田原攻めによって天正18年(1590)に滅亡した北条氏。
しかし北条氏は秀吉を迎え撃とうと、多くの城普請を行いました。
今回はこれらの城にかかわる研究から導き出される当時の実態について、
文献史学・考古学・城郭史の各視点を総合的に検討し、解説します。
■パネリスト
齋藤慎一(江戸東京博物館 学芸員)
諏訪間順(小田原城天守閣 学芸員)
竹井英文(日本学術振興会 特別研究員)
■コーディネーター
谷口 央(首都大学東京大学院 人文科学研究科 准教授)
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齊藤さんのお話はいつもわかりやすくて好きなんですが、(そして声がきれい)
今回もなかなか引きつけられるものがありました。
内容も端的で、やっぱりさすが!というところ。
関東の石垣構築技術と倭城との関連、今後の研究結果が楽しみです。
谷口先生のお話を聞けなかったのが残念。
大学できちんと勉強していない私にとって、
古文書を読み解いて史実を検証していく、というのはとても興味深い。
竹井さんの「天正期の関東政治史」もとてもおもしろく、
時間の都合で割愛せざるをえないのはわかるものの、気になることがいっぱいでした。
たとえば月日のみの記載で天正14年とされていた徳川家康の書状が
天正11年のものであると判明したことで
総無事令の性格そのものが見直されている、というお話があったけれど、
なぜ天正11年と判断できたのか?とか。
ああ、これを授業で解明していくのだとしたら、学生がうらやましいー。
学生さんが制作したという「多摩のいま・むかし-八王子の山城・中野村の象-」
秀吉の「禁制」の展示はおもしろかったです。
このあたりってあんまり知られていないんですよね。
戦略という意味だけでなく、信長や秀吉の思想も垣間見れる重要ファクターだと思うのですが。
こちらも古文書を辿っていく作業を授業でするなら楽しそうだな、と思ったのでした。
オープンキャンパスの一貫だったらしいんですが、
チラシにその旨がひと言も書いていないので、会場は中高年だらけ。
高校生が居心地悪そうでした(笑)
しかも、高校生にかなり難しいような。。
史学科へ進学する高校生は、あれを聞いて進路を決意するのでしょうか。
だとしたらかなりハイレベルですね。。
夜は中学の同窓会。
この和む雰囲気は独特ですね。
しかし、当たり前だけど、みんな中学時代とは違いきちんと仕事して生活してる。
この歳になると、経験がきちんと反映されてきて、なんかみんなすごいなあとしみじみ。
3時前に帰ってきてしまったけど、夜の町に消える友。。。
まだまだ現役で安心しました。パワフルだー。