【WORK】富士山の歴史
2013年7月15日に普遊舎さんから発売された
「富士山の歴史」でちょこりと執筆させていただいてます。
江戸時代の富士山について。
江戸時代、北斎や広重の絵に江戸のシンボルとして富士山が描かれるようになるのですが、
そうなったのは、首都が江戸に移り、
徳川家康が上方にない目印として意図的に位置づけたから。
そして、古来から信仰の対象だった富士山が身近になり観光地化するのも、江戸中期のこと。
富士講や富士塚が大流行して、庶民レベルに浸透してレジャー化していきます。
交通が発達し、それまでは存在しなかった旅人が東海道を往来するようになったのも、
富士山が身近になり、ある種の地位を確立した要因のひとつ。
旅人にとって富士山を目にすることはステイタスで、
それが浮世絵に描かれたり見聞されることで、庶民の憧れになっていったようです。
突き詰めていくと、今私たちが富士山に登りたがるのは
江戸庶民が生んだ、レジャー的富士参詣ブームの名残り。
そこに信仰心がないのは、それはそれでまあ当然、といえそうですね。
そして…
これも家康の思うツボ、と言えなくない。
やっぱすごい人です。。。
文献を読み漁っていたら、このあたりかなりおもしろいなと思いました。
富嶽三十六景が全掲載された、なかなか美しい本です。
本屋さんで見かけたら、ぜひ。