名古屋城二之丸庭園発掘調査説明会&岡崎城シンポジウム
朝のおさんぽin名古屋城。快晴!
江戸城(皇居)の内堀沿いもランニングのメッカだけれど、
名古屋城のまわりもいいランニングコースです。
こうして見ると、江戸城と名古屋城って似てますね。
開門前からすごい人でした。
重要文化財の障壁画「竹林豹虎図」が特別公開されているということで、本丸御殿へ。
玄関一之間・二之間の境に展示されていました。
ガラスケースに入ったものが本物です。
ほえ〜、と見入ってしまいました。
ただ、あまりアナウンスしていないせいか、
ざっと見たところ貴重な重要文化財だと理解している人は少ないように思いました。
だって、みんな復元された障壁画を背景に記念撮影していたもの。。。
きっと、金ピカの障壁画のほうが絵になるからでしょう。
なんだか、ちょっと残念だなあ。
名古屋城に来たもうひとつの理由が、二之丸庭園の発掘調査説明会。
石垣保存技術協議会でもお話されていた、名古屋城総合事務所学芸員の市澤さんの解説でした。
とてもわかりやすい。質問にもテキパキと答えてくださいました。
二之丸庭園は、江戸時代に二之丸御殿の北側に造営された庭園。
ざっくり大別すると①江戸初期②文政期の改変③明治期の改変③昭和以降の整備と4つの時期に分かれ、
ほとんどが③④に大幅に改変されたときの遺構だそう。
よって、現在は①築城時はおろか②文政期の姿もほぼ面影がないのですが、
保存整備事業にともなう調査によって②の姿が部分的に明らかになってきたそうです。
見学した発掘調査現場のひとつ、レンガの兵営舎の痕跡。
当時は貴重なレンガとコンクリートでつくられているのは、さすが陸軍の施設、といったところ。
現在比較的状態よく残っている城の多くは、
明治の廃城令後に陸軍省の管轄となり軍用地として利用された城。
名古屋城二之丸庭園に関しては近代にかなり改変されているため
なかなか城として現役時代だった頃の姿がはっきりと浮かび上がってはきませんが、
城主や時代が変われば城も手を入れられて姿を変えていくもので、それは近代しかり。
「なんだ、見つかったといっても江戸時代の遺構じゃないのか」とガッカリしていた人がいたけれど、
それが名古屋城二之丸庭園の歴史なのだなあ、と私はなんだかふいを突かれた気もしました。
「遺構が破壊されているから価値がない」とか「残っているからスゴい」とか単純なものではなく、
変遷そのものが、人間の歩みで地域の息吹なんですよね。
そんなことを改めて感じました。
なんにせよ、変遷を感じられるのは楽しいのものです。
二之丸御殿北御庭北端の石垣にある練塀の遺構。
「南蛮たたき」といわれるもので、鉄砲狭間が並んでます。
きゃあ、これかっこいい。
発掘調査結果と直接は関係ないけれど、見られて満足。
さて、今日のいちばんの目的は、岡崎市でのシンポジウム。
家康サミット三都物語「家康の城と城下を考える」
中井先生と三浦先生のお話ということで、なかなかの盛況でした。
中井先生、このお題でどんなことをお話されるのかと思ったら…ふふふ。
夜は名古屋の城友さんと急遽ごはんを食べて、楽しい夜でした。