城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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徳川美術館「天下人の城-信長・秀吉・家康-」

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徳川美術館で開催している、話題の特別展「天下人の城-信長・秀吉・家康-」に行ってきました。

イラストレーターの香川元太郎さん、富永商太さんがいらっしゃるとのことで、私もお声がけいただきまして。
あまりお話できなかったのが残念ですが、お会いできてうれしかったです。
そして、徳川美術館の原史彦先生が解説をしてくださるという、私にとっては贅沢な時間。
お目にかかれた上に、私のことを知ってくださっていて、とても幸せでした。

「天下人の城」特別展は応援団ブログという公式ブログがあり、
有志の方々による220点の展示紹介文がまとめられているそうです →
展示詳細についてはこちらをチェックするのがよいと思いますし(私もこれから拝読します)
今日解説いただいた内容についてはブログ掲載のための取材が入っていましたので、
私は割愛して、簡単に感想を。。

 

わかりやすさとバランスのよさが考え抜かれた展示だなあと思いました。
…と、なんか偉そうなコメントですが、
刀、出土品、書状、甲冑など、さまざまな観点から楽しめるよう展示が揃えられ、
それぞれ、興味のある切り口から天下人の城とその時代の変化を追える構成と感じました。

展示数や解説の文字数が多かったり表現が難しいと、ちょっとツラくて集中力が続かない。
かといって、少なすぎたり偏りがあると物足りない。
バリエーションを多岐に広げつつもバランスが微妙で、それぞれがほどよいところで着地しているように思いました。
うん、こうしていただけると頭に入りやすく、なんというか心地よい。
原先生、細やかな気配りの中で、ご苦労されつつ集められたのだと思います。
中学生らしき男子2人が城絵図を食い入るように見ていたし、
ご来場の方がゆっくりじっくり見ているのが印象的でした。

そんなわけなので、ひとつのジャンルに的を絞っても、満足できるのではないでしょうか。
(たとえば城絵図だけに着目する、とか、富永さんのイラストを中心に見る、とかね)
私の場合は書籍だけれど、不特定多数を想定した構成って難しいのよね…。勉強になります!

 

個人的には、安土城の搦手で発掘された金箔瓦に興奮でした(展示NO.81)。
使用されずに地中に埋まっていたと考えられるようで。
風化していないと、これほどまでに輝きがそのまま持続するのかあ!と感動。
金箔瓦を説明するために隣に展示してある、復元されたものと遜色ない!
几帳面な信長らしい、細やかで繊細な金箔の塗り方も○。
もう、戻って3度見してしまいました。

 

そして、いちばん楽しみにしていた「江戸始図」!
こんなに早く本物が見られるとは…!
しかも、時代特定に携われてた原先生に直接お話を伺えるとは…!
私はなんて贅沢者なのだろうと、それだけで今日は生きていてよかったと思えました。

できれば原先生に質問タイムを…という小さな野望が叶いました。
(先生、お時間のない中、本当にご丁寧にご説明くださり本当にありがとうございました!)

こちらも応援団ブログのほうに掲載予定とのことなのと、
原先生に許可を得ておらず、内容確認もしていないのでブログとはいえ書くべきではないのかと思いますが、
あくまで私の解釈で勝手に、という前提で要点を簡単に。

 

お伺いしたのは、2点。
まず、「江戸初図」の時代が慶長12~14年頃のものと推定された決め手。
これについては、大名屋敷の配列と記事等で読んでいたのですが、なるほど納得。
慶長12年以前に転封になった名があるなど釈然としない部分があるものの、
そのほかの記載や、大坂の陣以後には使用されなくなる羽柴姓の複数記載などから時代推定されたとのこと。
なんにせよ、実物は書き入れられた文字が明瞭で感激でした。

もう1点は、かなり引っかかっていた「慶長江戸絵図」との違いについて。
「江戸始図」はこれまで最古の姿が描かれたとされていた「慶長江戸絵図」と同時期と推定されたわけですが、
「慶長江戸絵図」と決定的に違うのは、二の丸の石垣が完成していること。
釈然としないものの、一般的には二の丸の石垣は慶長19年の完成が一般的で、拙著でも慶長19年としています。
この石垣の慶長19年説について、先生方のなかで議論はあったのか、ということを聞いてみたかったのです。

「江戸始図」は慶長19年の完成を否定・覆すものではなく、そうした指摘や議論もあったとのこと。
ただし、二の丸の石垣は土塁と石垣が混在するものであったため、
築造開始期、築造期、完成期と細かに分類していった場合、まったく否定できるものではない、とのこと。…なるほど。
しかしながら、描かれた石垣の完成度などから
「江戸始図」と「慶長江戸絵図」には多少の時期差はあるのだろう、とのことでした。

「慶長江戸絵図」のほうが古いということになりますね。
…数ヶ月なのか?数年なのか?これ大きいよー。気になるよー!
この時期の江戸城築城の経緯は、拙著を書きながらも釈然とせず悶々としていた部分でもあります。
これまで認識されていなかった“大きな築城段階”が存在する可能性も生じるわけですよねえ。

「江戸始図」の石垣のラインがかなりしっかりと描かれているのが気になるといえばなりましたが、
先生がおっしゃる通り、段階を経ているのは自然なことですし、ね。
もちろん、慶長19年説が絶対に正しいことでもないわけで。
ただ、慶長12~14年頃にこの範囲まで石垣築造に着手していたとしたら、
(私の中での)いろんなことが覆るなあ…。

大半が私の勉強不足を要因とする逆ギレに近い感情ですが、
歴史のおもしろいところであり醍醐味とは感じつつ、
「あー、わからん!さっさと答えを教えてくれよー」と思うときが少なからずあります(笑)。
とにかく、、、ホントに謎で目が離せない罪なヤツだぜ、江戸城。

 

ただ、原先生が改めておっしゃっていたのは、
今回の「江戸始図」の研究及び発表でもっとも重要かつ画期的なことは、
“いつの時代に描かれたか”ではなく、“慶長期の江戸城の構造が明らかになった”こと。
これはたしかに、そのように思います。

絵図が慶長12~14年の姿を描いたものではなかったとしても、
慶長期の本丸をここまではっきり描かれている史料はこれまでなかったわけですし、
「慶長江戸絵図」では不鮮明で読み解けなかった慶長期の石垣のラインと天守の形式が明確になったのですから。
(…と同時に、かなりの改変があったこと、その改変の詳細がまた気になりますが…ブツブツ)

しかし、新聞各紙では「最古級の絵図が発見された!」という趣旨の記事が大々的に報道されていたように思います。
(城にさほど興味のない人からも「最古(級)の絵図が見つかったんだってね」と言われましたし…
図録代わりだというムックも、思いっきり「発見!」ってタイトルになってますよ。。これでは誤解してしまいます)
当初の発表・見解から多少の方向転換があったのか、
新聞報道が別の論点を勝手に盛り上げたのかはわかりませんけれども、、、本質が伝わっていくといいですね。

 

間違いなく言えるのは、(どの城も)まだまだ謎だらけということと、
やっぱりね、見て、聞いて、考えることが城の醍醐味だな、ということです。
城ファンは研究者ではないのだから、自説を保守したり立証する必要もない。
無論、知識を競うものではない。
知識は深みを与えてくれるものだけれど、振りかざすものではない。
そして、城へ行く目的は、答えを確認しに行くことじゃない。

いろんな専門家の先生がいて、いろいろな見解がある。
それって、すごくおもしろくて、夢があることだと思うのです。
そのふわっとした世界を、ある種の興味本位で覗き楽しめるのが城ファンの特権。
で、実際に城を歩いて、勝手に自分なりにあれこれ考えたり感じたりできる。
私自身はそういう楽しみを謳歌していきたいし、
そういう楽しみ方を共有していきたいと思います。

 

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「江戸始図」で明らかになった江戸城の構造、「江戸始図」の意味と価値については、
おなじみ千田嘉博先生がありがたいことに新書を執筆してくださっています。
活字を読むのに慣れていない方は躊躇するかもしれませんが、
千田先生の文章は、あの軽妙なトークのように、すぅっと頭に入ってきますよ。オススメ。
(オビに書かれた、五連続桝形をつくった理由はピンときませんですけども…)

 

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コンパクトにまとめられた「鑑賞のしおり」と、
図録を兼ねているという、歴史REAL「天下人の城」をいただきました。
ムックが図録を兼ねる、これっておもしろい手法ですね。
出版に携わるものとしては、どうなんだろうと思いつつ興味深い…今度、編集部の方に聞いてみよう。
ただ、ざっと拝見したところ、これは図録ではないよ(笑)
今回の特別展の真髄とおもしろさは、違うところにあると思う。
図録と想定してつくったのだとしたら、編集した人と書いた人、特別展の意図と構成を理解していないと思います。

 

 

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香川さんと富永さんからいただきましたよ(自慢)!
…私、手ぶらでごめんなさい。でもお渡しできるものなど私にはない…。

 

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原先生の解説を独占で聞きつつ「江戸始図」に見入る、至福タイムの私。
聞いてないように見える失礼な感じの写真ですね。。
あ、撮影は禁止ですよ。取材用の写真をいただきました。

 

以上、5日ぶりに自宅に戻り、所用を済ませ、お風呂に浸かり、酒を煽りながらのぐだぐだブログでした。
小さな疑問の数々を、払拭できない自分が悔しい。勉強したい。

そして、ブログを書き終えようという今、原先生からご丁寧なメールが届きました。。。
お礼より先に、ブログを書いているダメな私をお許しください。