戦国真田の岩櫃城跡探検隊 – 2
さて、本日のメインイベント、
地域起こしクループ<あざみの会>さん主催「戦国真田の岩櫃城跡探検隊第7弾」。
8:30に城域内のホテル「コニファーいわびつ」に集合、午前中は教育委員会の方の講演、
午後は3コース(①岩櫃城、②岩櫃山、③周辺諸城)に分かれて歴史ハイク。
なかなか豪勢なランチ&資料付きで2,000円と充実でした。
なにより、あざみの会のみなさんがとても感じがよかったです。
地元愛に憧れる私には、こういう雰囲気が心地よい。
私は①岩櫃城へ参加しました。
超〜〜久々の登城でしたが、
はっきり言って以前は“ただ来た”だけの状態だったので、今回は解説付きでかなり満喫できました。
うーん、岩櫃城はひと言でいうと…国指定史跡になってもいい!
そしてもっともっと発掘してくれ!解明してくれ!という感じ。
初めてちゃんと見た私ごときが熱くなるのもなんですが、
レベルは高いものがあるんではないでしょうか。
同行していた教育委員会の方とのお話がとても興味深いものばかりだったのですが、
いい意味で、疑問を問いかけても明確な答えがない。
しかし、きちんと教育委員会の方の見解があるのです。
「そこは発掘調査をしていないので実は詳しいことはわからない。しかし私の見解は〜」といった具合に。
これはすなわち、解明すべき事項と無限の可能性が眠っているということ。
明らかに珍しい遺構が状態よく残っているし、
そういう文化財としての原石がありながら放置されているのはもったいないことです。
それから印象的だったのは、
「城域が特定できないのが、国指定史跡にならない最大のネック」というお話。
うーん、それがこの城の最大の魅力なんだけどなあ!
まあ、理屈はわかるけれど、
となると史料がある、証明できる結果がある、というのが
価値ある史跡の判断基準になってしまうんですよね。
なんかそれって…と思ったりするのです。
趣味で城めぐりを単発的に楽しむ分には、
国指定史跡かどうかという点はどうでもよく判断基準にもならないのですが、
(それなりにディープに城めぐりをして、いい城に出会っている城ファンは別)
文化財保護的観点からいうと、それではいかんじゃないか、と。
私はこの部分は強く感じていて、私ごときがあれですが、
素晴らしさと希少価値を広めることくらいならできるのではないかと日々思っています。
しっかりとした竪堀が山頂から山麓に延々と伸びているのが珍しい。
ガイドさんや教育委員会の方の解説によると、
ものによっては横堀と連携したりしながらちゃんとつながっているのだそうだ。
時期的に竪堀を降りることはできませんでしたけれど、
次回はトライしてみたいところです。
こうした竪堀が群馬県内で見られるのは岩櫃城と松井田城だけとのこと。これも興味深い。
国指定史跡の価値があると思う理由は、もちろん歴史的価値が高いからというのもあります。
なんのために、誰が、いつつくったものなのか、その変遷も解き明かされたらおもしろいと思います。
予測の域を少しでも出たら、縄張図にも信憑性が出てくるのでしょう。
岩櫃城の写真で一般的に登場する、二の曲輪と中城の境目にある、大手道とも考えられる長大な竪堀。
時期的に…美しいシルエットは草木のヴェールに包まれ姿を消していました(笑)
ただの草原に迷い込んだ人みたいになってますが、
肉眼では竪堀ラインがよく見ました。
一の曲輪南側に腰曲輪があり、その西側に虎口があるんですが、
その虎口&延々と伸びる横堀のコラボもなかなか好きでした。
もう一度同じルートを辿れ、といわれたら行ける自信がなく、すべてを歩いたとは言えない城。
素晴らしい城であることは間違いないので、もう一度訪れてみたいところです。
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織田信長の武田攻めで、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために3日で築いたという潜竜院跡。
一度は岩櫃城籠城戦を考えた勝頼だったといわれていますが…。
潜竜院の先には、潜竜院とともに昌幸が築いたとされる郷原城跡が残ってます。
この城、発掘されたのは1992年ですと!
最終的には岩櫃城に勝頼を匿って、ここで迎え撃つつもりだったのでしょうか。
近くにいたヤギ。
「かわいい!」と思って写真を撮ったけれど、よく見たらそうでもない。
痩せ型のおじいさん顔。
岩櫃城温泉(笑)!
夕方18:00、ひっきりなしに車が出入りする、侮れない繁盛ぶり。
町営らしいので安いのかも。地元民にとっての休日の憩いの場でしょうか。