「医王山城を援護する城郭群巡り」
美作の中世山城連絡協議会さんのイベント、
「山城登山会~医王山城を援護する城郭群巡り」へ参加してきました。
せっかくなので、梶間山城→吉見仙砦→烏ヶ仙城→塩屋城→医王山城、というマニア向けコースをチョイス。
うーん、うーん。
いろいろ書きたいことがあるけれど、解説はしません。ひとまずざっと写真のアップを。
なんとも、なかなか!想像以上にハードでした。
とくに梶間山城は、ロープを手繰りよせ這い上がるサバイバルな1時間の登山。
急峻すぎて立ち止まることも困難な道のりで、写真撮影などできないほどの緊迫感でした。
2時間弱で梶間山城到着。
その後は尾根伝いに医王山城を目指すのみ…というわけではなく、アップダウンを繰り返しながらの登城でした。
下段左は、吉見仙砦へ向かう途中の絶景。
津山盆地には、AM10:00だというのに雲海が広がっていました。
…竹田城よりすごい。
この気候が、このあたりの名産である黒豆をおいしくするらしいです。
…原理はわかりませんが、言われたことをそのまま書いておきます。
ガイドしてくださった地元のNさんが超ツワモノ!
「城には興味がなくて草刈りが趣味。草を刈っていたらこの城を見つけた」とおっしゃっていました(笑)
ハードな登山道を、芝刈り機を背負って登るTHE山男のNさん。
ときに案内板を釘で打ち込み、ロープを張り、鎌で薮を払い、道標のリボンを結びながら先導していた…(笑)
美作の中世山城連絡協議会さんは熱心に保存活動をされていると伺っていたのですが、
今日訪れた城の登城道が整備されているのは、地元の方の尽力も大きいのでしょう。
けっこう遺構の残りがよくてびっくりー。
医王山城は毛利方の城で、天正8年(1580)に信長方の宇喜多直家・秀吉の攻撃を受けるんですが、
なんとこの山城で2年間も籠城戦に耐えるわけです。
そのときに見事なサポートをしたと思われるのが、今日歩いた陣城群。
医王山城は播磨方面からの進軍と加茂川を挟んで対峙する立地。
ちょうど眼下に、因幡へ抜ける加茂川と街道(因美線)が見渡せる要衝です。
医王山城を最前線に、後方の砦が背中を支えるように段層的に控えていく。
横のラインをつくるというより、バッグアップを繰り返してサポート体制を固めるイメージでしょうか。
こうして尾根伝いに自分の足で歩くと、
防衛ラインの役割や距離感、役割はもちろん、情勢も連想できる。
背後の天狗寺山城が、親方的な重要な役割を担っていたんだろうなあ、とか
常に視界に入る東側の中山城もさぞかし争奪戦が激しかっただろうなあ、とか。
医王山城が南北朝時代から錚々たるメンバーが争奪戦を繰り広げてきたのも納得です。
地図上に直線を引いたりするかのように、
見えている景色が色分けされて見えてくるから不思議なものです。
陣城も地域によって構造や連携のしかたが全然違うんだなあ、というのも
全国の城めぐりを通じて見えてくるおもしろい点です。
医王山城そのものの遺構としての見どころは、北側の3段堀切と、南側の畝状竪堀。
石垣も、美作の山城では貴重。これは宇喜多領になってからのものでしょうかね?
二の曲輪の切岸の下は土塁止めのような使われ方をしていて、ほほぅと思いました。
意外にテクニカルでもある、ニクい城でした。
関東人の私には岡山はそれほどなじみのある地域ではないので
土地勘もないし、歴史もさほど詳しく頭に入っていません。
だからこそ、こうして説明を受けながら歩くと楽しい。
後で資料をいただいたら、興味深いことがたくさん書かれていました。
いつも思うことだけれど…
もうちょっと歴史的な予習ができていたらもっと楽しめたかな。
前述のNさんが車で送迎してくだった上、
お赤飯おにぎりをつくってきてくださいました。おいしかった!
医王山の本丸では熱々の甘酒が振舞われたりと
(わざわざ山頂までカセットコンロを持ってきてくださっていた!)
事務局長の長瀧さん、細やかなご配慮とおもてなし、本当にありがとうございました。
よき1日になりました。
そして、来年こそ必ず矢筈城に行こうと心に誓いましたとさ。