太閤ヶ平と陣城めぐり
取材で、太閤ヶ平と周辺の陣城めぐりへ。
但馬の城といえばこのお方!山名氏城跡保存会会長の西尾孝昌先生と、
鳥取市教育委員会文化財課の細田さんにご一緒していただきました。
鳥取城を知り尽くしたおふたりにご案内いただくという、身に余る贅沢。じーん。
近年の城めぐり及び取材の中でも、トップクラスの充実した1日になりました。
太閤ヶ平は2〜3年前の見学会でいたく感動しまして、
周囲の陣城群もじっくり見てみたいと思って訪れたのですが、
いやいや、想像を絶するものがありました。
すばらしい、すばらしい、すばらしい!
もう、3回言っちゃう。いや、3回じゃ足りない。
今回の取材だけではもったいないので、他の媒体でも別の企画で書きたい!!
今書いている次の著書でも、盛り込むと思います。
これからたっぷり書くつもりなので、ここでは書きません。
写真だけ載せて、私が満足するだけ。だって日記だもん。
太閤ヶ平(たいこうがなる)は、
いわゆる「鳥取城の渇え殺し」と呼ばれる兵糧攻めの際に、
鳥取城のある久松山のわずか1,300m対面の本陣山に置いた、秀吉の本陣。
これが、スゴイ。
どう見ても、太閤ヶ平のつくりは異質で、一時的な基地ではなく城。これは遺構から見ても明らかです。
こんな陣城、私は見たことがないです。
切岸だって大胆だし、櫓台も四方にある。大手口には両サイドから横矢がかかる厳重っぷり。
信長は太閤ヶ平に入り、毛利と直接対決するつもりだったのでは、という学説も納得です。
信長が自分の出陣を匂わせている文献がありますし、
そもそも信長は、秀吉が力攻めしようとするのを制し、兵糧攻めにするよう指示しています。
「鳥取城の渇え殺し」は、数年かけて三重の包囲網を構築した実に巧みな包囲戦。
城攻め名人とされる秀吉を代表する真骨頂です。
それだけでも深く追っていくと感心の連続なのですが、
さらに背後で信長が糸を引いていたのだとすれば、
信長の頭の中のシナリオって、超人的すぎて恐ろしいものがあるなあとゾクゾクします。
私は元亀争乱にはじまると思われる
信長の陣城を使った包囲戦の発展史みたいなもののを、
いずれわかりやすくまとめて書きたいなあと思っていたりします。
縄張や遺構からこういう推察ができるって、それだけでおもしろいことですね。
さらに文献史学も少し追っていくと、また違った推論があっておもしろい。
考古学と文献史学の研究者では観点が違うから、どちらが正しいということでなく明らかな違いがある。
そうした観点や論点をかいつまんで知り、自分が見たものや感じたことから連想して楽しめるのが、私達ファンの特権です。
想像力の広げ方、などというと大げさだけれど、奥深さのスケールを提示するような、
そんな本も書きたいなあと思っています。これは書きます。
秀吉の鳥取城攻め「鳥取城の渇え殺し」については
先日発売になった『黒田官兵衛をめぐる65の城』(タツミムック)でわりと詳しく書いたので
ぜひ読んでみてくださいまし。籠城戦までの道のりや三重の包囲網、布陣図も載ってます。
細田さんに鳥取城天球丸の石垣修復現場を見学させていただいた後、
西尾先生が書かれた縄張図を手に登城スタート。
午前中は、尾根伝いに陣城をめぐって太閤ヶ平を目指しました。
尾根上の遺構はさほど期待していなかったのですが、いちいち感動するほど良好。
ただ、この砦でどうこうするというのではないから技巧的ではありません。
常に久松山が見えている状態、かつ文献によれば構築は短期間で行われているので、
とにかく視覚的に線をつくることが目的なんでしょうね。
先月訪れた岩屋城の仕寄とはまた全然違っていて、おもしろいなあとニヤニヤしてしまいました。
時折、西尾先生が、踏査しながら自らの縄張図に赤入れしていたことに大感動(笑)!
だってこれが日本の城の常識になっていくんですもの。。
目の前に伊能忠敬がいるようなもんですよ!
いちいち解説しませんけれど、山城へ行く人ならば、写真を見て驚くはず。
堀切や曲輪の段差、土塁がこれだけ写真にきちんと写るのが、どれだけすごいことなのか!
久松山をバックに、西尾先生とパチリ。
以前太閤ヶ平の訪れたときは雪で、遺構が見えないところがあったのですが、
今回は草も刈ってあって、くっきりはっきりよく見えるー!
座って、西尾先生&細田さんと談義。
私、このときちょっと地面に頬を埋めて寝てみたくなり、我ながら変態だなと思いました。
さて、実はここからがメインイベント!!!
2本、場所によっては3本の巨大な竪堀が平行する、通称「大防衛ライン」を伝っての陣城めぐり。
この大防衛ラインこそ、太閤ヶ平が陣城とは思えない過剰防衛であると断言できる所以。
西尾先生に解説していただきながら、竪堀をガシガシと登っていく。
ありがとう、ありがとう!大防衛ラインありがとーう!!
日本語を生業としていながら、この感動はすぐには表現できません。いずれ書きます。
山城の遺構を見たいだけ、という人でもここは一見の価値ありです。
(でも確実に上級者向けですのでご注意を)
とくに伝羽柴秀長陣城への竪堀は絶叫するほど見事でした。
どーんとジャンボリーな竪堀と平行して、雛壇状の曲輪があるのも特徴。しつこい!
二重の竪堀+曲輪群。つまり三重の防衛ラインを構築しているということですよねえ。
羽柴秀長陣城などは、雛壇状の曲輪のラインが二重ですから、かなりの厳重警戒です。
(西尾先生の解説で、ここが最前線であると納得)
それにしても、この城はいったいいくつ曲輪があるのでしょうかね。
羽柴秀長陣城周辺を果敢に散策した後は、
瓢箪池北西の陣城群、寺屋敷方面をまわり、尾根伝いに久松山へ。
ちっちゃい砦の桝形虎口、鳥取城の登り石垣に感動しつつ、山上の丸もぐるりひと通り。
西尾先生と細田さんの石垣議論に耳を傾けて、ひっそりとコーフンしながら。。
本丸から太閤ヶ平が見えるようになっていて感動しました。
太閤ヶ平から久松山、久松山から見る太閤ヶ平の両方が見えるということですね。鳥取市に感謝です。
天守台からは雁金山砦や丸山城がばっちり。旧河川の位置も教えていただきながら、距離感と配置を確認。
でもって、鳥取城へ下山したのでありました。来年は丸山城方面ですな。羽柴秀次陣城に行きたいです。
それにしても、西尾先生のタフさには感服いたしました。
私、ここ10年ほどフルマラソン完走翌日以外に筋肉痛になった記憶がありませんが、
なんと翌日、足が筋肉痛に!
女性にしては足腰の強さと体力がかなりあるほうだと思いますが、今日はハードでした。
この1年はかなり運動不足で筋力と体力の低下が著しいというのもありますが、これではいけません。
鍛えなきゃいかん!と思いました。そんなことも西尾先生に教えていただきました(笑)
ちなみに今、私の足はアザだらけです。
本当に有意義な1日でした。西尾先生、細田さん、本当にありがとうございました!
いいもの書くぞーい。