城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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真田合宿2014秋〜松井田城&岩櫃城〜

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再来年の大河ドラマは三谷幸喜脚本の「真田丸」。
ということで、来春からの執筆に備え真田の城合宿へ。

松井田城を4時間、翌日岩櫃城に4時間。西股先生とじっくり踏査したのが貴重な経験になりました。。
この2城を連続してじっくり見るというのもかなり贅沢。
記憶が薄れぬまま対比できて、違いがよくわかりコーフンしました。
「箕輪、松井田、岩櫃は上州3名城だね」という先生の言葉に心から同意。

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すばらしき松井田城!
激しい薮漕ぎでアゴに枝が刺さり流血するも、どうでもよいほどの城でした。

城は主郭を中心に3方向に派生していくのだけれど、
その防御の手口がすべて違うことがいちばんの感動。
さすが後北条の城!抜かりなく緻密!秘められた静かなる知性がニクいじゃないか!

城を見ていると構造のセオリーがわかってくるのが心地よく、
「こういうケースは虎口をこうして竪堀をああして」などとパターンが見出せるようになってくる。
それが理解できると城を見る目がレベルアップした気がしてうれしい。
だけれど、よく考えてみたら城としてはそれじゃダメなのだ。
だって、わかりやすいきれいな城では敵に予測され戦略を練られてしまうから。

松井田城でいうなら、進撃口①②③があって
①から撤退した敵は②または③からリベンジするはずなのだから、
①の守り方をパターン化してしまっては、攻略される可能性がぐんと上がってしまう。
だから、松井田城は①②③はすべて異なる手口で守るようにしてある。
攻め手としては、どこから攻めても初めて出会うトラップに立ち向かわねばならないというわけだ。

馬出しの中に桝形があるという予想外のコラボレーションに遭遇し、
どういうことかわからず西股先生にその場で図解していただいた私(←ゼイタク!!)。
ここを理解したとき「なんと!この城の感動ポイント第1位ココだな」と思ったのだけど、
そのあと開眼した私の前にじゃんじゃかスゴいのが現れて、
下山する頃には、もはや1位の座は奪われ5位くらいに転落していました、とさ。

洗濯板のような、笑っちゃうほどウェービーな連続空堀は
迂回させ東側の尾根筋から攻め上がるよう誘導した敵へ強靭な防壁か。
これを突破できたとしても、
崖のようなニの曲輪(しかも櫓台付き)を攻略するなど現実的とは思えない。
そして、そこから後北条らしい技を駆使したトラップや虎口が連続して、
異常に広い主郭へと続いていくのだ。

山のようにざっくり切り立たせた切岸に、さらに竪堀をプラス。
さらにクランクした横堀を連鎖させてパワーアップ。
こういったバリバリのTHE防衛を見せておきつつ、
ディフェンスが弱そうな緩斜面には連続竪堀を施しておくなど、コワザも惜しみなく披露してくれる城です。
侵攻ポイントと迎撃ポイントを把握して、敵の上をいく発想で効果的なしかけを丹念に施していく。
そんな緩急がついた守りに、ただただ感服。
こういう守り方をされると、精神的に萎えますね。

攻めるとすれば北東からで、
前述の通りもうここから攻め上がることなど不可能だと思うのだけれど、
それでも手を抜かずがっちり反対側の尾根も三重の堀切で固めているのがこの城。
武田vs.後北条の緊迫した状況が伝わるし、
なんとしても死守せねばという決死の覚悟のもとの改造策が見えておもしろいなと思いました。

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岩櫃城は竪堀天国!
山麓に向かってズドーンと落ちる、こんな竪堀の使い方は類を見ない。
どこまでも城域が続く不思議な城だけれど、
ダラダラ続き隙があると見せかけて、
要所ではしっかりかっちり竪堀や横堀でシャットアウトし完全封鎖している。
竪堀がどこへ続くのだろうとたどってみれば、
ずっと先にある谷や緩やかな尾根筋という弱点をカバーするらしきものだったり。
かなり中心部から離れたところでも、二重竪堀や二重空堀を設けてしっかりと守っている。

とくに、ニノ曲輪下あたりの北側の竪堀がY字で合流するところなんかは、
驚きを通り越して笑ってしまった(←もはやおかしくなってる)。
こんなダイナミックな合流は見たことがないし、しかも合流した後はズドーンと延々と竪堀が続いていく。
笑ってしまうポイントは1か所のみならず。これもスゴいこと。

本丸西側の横堀の草木がなくなると、もっといいなと思いました。
あのラインもシビれます。ずっーと西側に延びて本丸をガード。
ニノ曲輪側はガクッとクランクして、西の山麓に向けてどーんと竪堀が落ちる。
(で、山麓でまわり込んでみたところ、山麓の竪堀にぶつかっていた)

前日の松井田城とはまさに正反対というか、
いわゆる武田らしさにふれた城!
「横堀を張りはりめぐらせて、そこから放射状に竪堀を落としていく」という、
まさに武田流の築城術が見られる城でした。

登山スポットとしても人気の岩櫃山だけれど、
歩いていて飽きないのは、くるくる景色が変わるから。
そして景色が変わるのは、山全体に空堀が張りめぐらされていて、
起伏に富んでいるからだと思います。

秀才学級委員長タイプの後北条の城とは違い、武田の城はどーんと守る男らしさが魅力。
でも大雑把ではない。潔く緻密、といったところでしょうか。
そんな男気が堪能できる城です。
岩櫃城は謎も多いし、郷原城や柳沢城も含めて広域かつ統合的にもっと知りたい。
松井田城とともに、何度も徹底的に歩きたいなと思いました。

あ、トップの写真は中城南側の竪堀にて。
竪堀すごーい!と楽しそうにしてますけど、
結果的にはこんなものたいしたことないということになります(笑)
山麓の竪堀すら、車道になっちゃっているほどでした(つまり幅がかなり広い)。

 

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こちらがY字のところと、そこから続く竪堀。

 

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そうそう、岩櫃城の本丸では発掘調査が進められていて、おもしろい遺構が出ています。
吾妻町教育委員会の吉田さんが偶然お会いしたにも関わらずご説明くださり(ありがとうございます!)、
わくわくしながら見学しました。

本丸から鍛冶場が発見された衝撃的ですが、
第1トレンチ、第2トレンチからこの場所が二段構造だったことがわかったことも驚き。
岩櫃城の本丸がそれなりに凝ったスペースであったのなら、
これだけ軍事施設としての精度を高めておきながら、
やはり単なる戦うためだけの臨戦基地ではないということ。
時代の特定はまだできないけれど、武田時代のものだとしたら、
やはり真田にとってはこの地域の支配拠点として重要な城だったのだなと思います。

個人的には、第4トレンチのタイルのような石積み、
そしてなにより、第7トレンチの表面がきれいな石垣が興味深かったです。
こちらの時代の特定はまだできないけれど、武田時代のものだとしたら
積む技術力を持ち、かつ意図的に見せていたということなのだろうか…と想像が膨らみます。
やっぱり、真田時代なんじゃないかなあ、と思ってみたり。

私は発掘や専門的なことは無知だけれど、
なんにせよ、これまで見えなかったものが現れたというのはそれだけでドキドキ。
今後の解明が楽しみです。