織豊期城郭研究会 2015年度小牧研究集会
昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。
私ごときも入れていただける、ありがたい研究集会です。
中日文化センターの講座のため中座。
各地域の事例がじっくり聞けなかったのが残念ですが、
パネルディスカッションには間に合い、拝聴できました。
今年のテーマは「構築技術からみた織豊系城郭の石垣の成立」。
小牧山城や岐阜城の石垣の系統が安土城の石垣とそれ以降の系統にどう関連しているのか、
信長はどこから技術を持ってきたのか、といったところ。
とても興味深く聞き入ってしまいました。
一昨年、岐阜市教育委員会の内堀課長と高橋さんに
岐阜城の信長居館跡の石垣について取材させていただいたときも
安土城に先行する信長の城の謎めいた部分に興奮したのですが、
先日も原稿を書いていて、改めて信長の城づくりの技術的な継承が気になっていました。
一方で、単純な継承云々ではなく、
信長が目指した小牧山城、岐阜城とはそれぞれどんなものだったのか、
私には結論めいたものも思い浮かばず、ぐるぐる考えていたところでした。
小牧山城から3段目の石垣が発見されてますます謎に…。
信長はどこから技術を持ってきたんだろう。
信長の頭の中に、いつの段階から新しい城の構想があったんだろう。
それをいつから具現化して、どう系統づけていくんだろう。
どこから発想を得て、どう取り入れて、何を求めたんだろう。
そんなことを思いめぐらせていたシロートの頭をさらに混乱させる、
さまざまな疑問・事実・見解の矢が私に降り注いできた研究集会でした。
ざっくりとした感想ですが、知れば知るほどおもしろく、複雑。
簡単に系統づけられるわけではないのだなあ、と。
岐阜城と安土城の石垣には決定的な違いがいくつもあって、
それがただ技術的な問題というわけではなく、わかりやすく系統づけられるわけでもない。
限定された観点からだけでこれだけ広がるのだから、
文献や縄張の観点からの考察が入ってくると変わるのだろうと考えると、またわくわくしました。
この混沌としたゾクっとする世界を、
研究者の方々の成果を端折るのではなく、パッケージ化するわけでもなく
届けたいなあというのが私のテーマのひとつです。
それを通して、城の価値や魅力が伝わっていったらいいと思うのです。
という気持ちと、
研究者の世界とはかけ離れたところで自分のやるべきことがあって、
そこを切り開くべきというか、かけ離れたところにいるべきなのかなあという考えもあります。
…いずれにしても、私自身もっと勉強したいなというところですが。
初日は情報交換会と、懇親会にも参加させていただきました。
貴重な時間となりました。
せっかくの機会なのにお話できなかった方もいましたが…ありがとうございます。
翌日は見学会で小牧山城へ。
小牧市教育委員会の小野さんのご説明で、前日のお話を踏まえじっくり見学できました。
小野さんのお話はわかりやすく細やか。
その上に、今日は大人数のお相手の合間を縫って声をかけてご説明くださり感謝です。
3段目の石垣を直接ご説明いただけて感激。
本当に、3段目があったんだなあ!
わくわくわくわく。
ちゃんと歩くと、小牧山城って広い。かなり楽しい。
———————————
織豊期城郭研究会2015年度小牧研究集会
開催地報告「小牧山城の石垣」小野友記子氏(小牧市教育委員会)
報告①「東海地方の城郭石垣」溝口彰啓氏(織豊期城郭研究会)
報告②「近畿地方の城郭石垣」下高大輔氏(織豊期城郭研究会)
報告③「若狭・越前地方の城郭石垣」大野康弘氏(若狭国吉城歴史資料館)
報告④「兵庫・中国地方の城郭石垣」乗岡実氏(織豊期城郭研究会)
シンポジウム『構築技術からみた織豊系城郭の石垣の成立』
———————————
泊まったホテルが小牧山城ビュー。AL. PLAZAが激しくジャマでした。
情報交換会では、翌週に迫った中井均先生のお誕生日祝いも。…はしゃいでしまいました。
お若いので還暦とは信じられませんが…まだまだお元気で益々のご活躍を!
尊敬する中井先生、おめでとうございます♡