城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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こもろ観光ガイド協会20周年記念講演

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長野県小諸市で活動なさっている
こもろ観光ガイド協会20周年記念式典で講演をさせていただきました。

お心遣いのおかげで、安心して楽しくお話させていただけました。

なんだろう、この最前列と壇上との不思議な距離…(笑)
意外と気にならなかったけれども。
10月にできたばかりの新しいホールで、とってもきれいで快適でした。

20周年ってすごいですね。かなり先駆けだそうです。

 

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今日のテーマは「小諸城の魅力〜城の楽しみ方・歩き方〜」。
当たり前に身近にある城だからこそ、
全国の城と比較することで個性に気づき興味を持っていただきたい、ということで。
もう少し小諸城のお話をしたほうがよかったかも、とも思いましたが、
ここは日々勉強されているガイドさんの出番ということで。
楽しんでいただけたようでよかったです。

 

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前日、6〜7年ぶりに小諸城へも行きました。3度目かな。
到着したのが16時だったので、ささっとでしたが、やはりよい城。

見て!この堀!この断崖!

小諸城の魅力は、なんといっても地形と天守台の石垣。

小諸インターを降りた途端、
小諸市街地に向かってジェットコースターに乗っているかのようにぐんぐん降下。
小諸は谷底の街という感じです。

この地域特有の田切り地形というもので、
約1万1000〜1万4000年前に浅間山から噴出した小諸火砕流の堆積地が
千曲川の浸食によって河岸段丘化した場所に城が築かれています。
西は千曲川の下刻により不安定化した斜面が地滑りして形成された滑落がけに臨み、
南北は開析谷により幾重にも区切られた天然の要害です。

城下町より主郭部の標高が100m近く低い“穴城”であることはよく知られていますが、
たまたま一段階低くなっているのではなく、とても複雑な自然地形です。
ある意味、よくここに城をつくったなという感じ。
だから、石づくりの近世城郭なのに巨大な空堀があって、どこか山城のよう。
小諸の町を歩くと、この地域全体が起伏に富んだ地形であることがわかります。

知覧城や志布志城のようなシラス台地を利用した南九州型城郭が南九州にしか築けないように、
小諸城もこの地域でしかつくれないわけです。
が、織豊系のワザが入っているので、その融合が見ものといったところかな、と。
立派な天守台はもちろん、枡形虎口、通路の細さや曲輪の配置なんかが
織豊系っぽいなと感じドキドキしました。

三の門前のガクンと下がっているところが、ちょうど開析谷の谷底にあたります。
ところどころナゾな地形の部分は聞いたところ近代の改変で、
大手門周辺も切通が埋め立てられてしまったために不思議な感じになっているのだそうです。
なるほどー。

 

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とりわけ北谷の通称・地獄谷(酔月橋)の景観は圧巻!
これが、浅間軽石流で形成された断崖です。
南谷(白鶴橋)にかかる吊り橋からも見られます。
思わずしばらく佇んでしまいました。。
本丸北西の不明門跡、水の手の展望台と富士見台からは千曲川が一望できて、
千曲川を重視した小諸城の立地がひと目でわかります。

 

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天守台の石垣ー!
織豊期時代の面影を残す唯一の遺構かと。
ここで10分くらい眺めてしまいました…すばらしい。
講演では、算木積みや石垣の積み方の違いを解説。
ひと通りそれぞれの写真を見てからこの石垣を見れば、
なんとなくでも古く貴重なことがわかってもらえると思います。
古い石垣の味わいを楽しみつつ、大切にしてほしいところです。
本丸西側石垣のほぼ中央部に鈍角の算木積みが珍しい…補強のためらしい。

 

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講演後にいただいた、真田御膳。
発売元のひしや弁当店さんは小諸市なのに、パッケージのイラストは小諸城ではなく上田城。
駅弁だからでしょうけれど…さみしいね。がんばれ小諸城。

 

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普段は小諸市からの助成金が活動資金の一部だそうで。
今回の記念式典は長野県からの支援金もあったとのことで、
これまでの会の歩みもうかがいつつ、活動資金面の利点や欠点など考えていました。
運営は地域や団体によってケースバイケースですね。

前日は島崎藤村が通ったというお店でおもてなしいただき、
その後、会長宅にもお邪魔してしまいました。
夜分に突然押しかけた関わらずおもてなしくださった奥様がステキすぎました。
楽しい時間でした。  ありがとうございました。

 

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そうそう、富士見城にも駆け足で立ち寄ってきました。
不思議な城だよねえ…。

石垣は近代のものっぽいものもたくさん混在しているけれど、
遺構っぽいものもけっこうあって、
北東隅の曲輪は高めの石垣で囲まれている気もするし、
とくに南西側の雛壇状の石垣は自然石も交えながらも遺構のような気もします。

小諸高原美術館にあった宮坂武男先生の縄張図と解説資料によれば、
やはり南西側の急崖の石垣は遺構のようで、
北東隅の曲輪も石垣が取り巻いていて、その高さは3mくらいとのこと。
だとしたら、かなり先駆的な石垣ということですね。
飯綱山全体が岩山で、石材は市内ではここだけの飯綱山溶岩とのことですから、
なるほどかなり独創的で原始的な戦国期の石垣のようです。