皇居乾通り一般公開〜2015秋期〜
12月9日(水)に行った皇居乾通り一般公開のこと。
昨年春・秋に5日間ずつ実施された皇居乾通り一般公開、
大好評につき今後は毎年、春の桜の時期と秋の紅葉の時期に実施されるそうです。
で、今秋は12月5〜9日までの5日間実施されていたわけです。
二重橋前の最寄出口が期間中は閉鎖されるという対策がなされるほどの人。
昨春に比べると人は少ないように思いました。
パドックのようにくるくる歩きまわりギャラリーの撮影に応じる皇宮警察のおうま。
今日もかわいいニット帽をかぶっておった。手編みなの?
おでこにはピーポくん。
これね。
写メってた(笑)
入口は坂下門。
はじめて見た!
たしかに危険なので、よいと思う。
でも今日はさすがに外国人はあまりいませんでした。
お約束。
この日は12月というのに暑いくらいの寄稿で、紅葉日和。
昨春は桜が咲く乾通り吹上側、今回は紅葉が見事な乾通り蓮池堀側に人が密集していました。
紅葉大好きジャパニーズ。
「みなさんの腕なら1回ですばらしい写真が撮れています。1枚撮影したら次の方にお譲りください」
…と、DJポリスっぽい小粋なセリフでなごやかに誘導していた、
そんなこと自発的には言わなそうなマジメな感じのポリスメン。
紅葉鑑賞なら皇居じゃなくてもいいじゃーん、という本心が投影された1枚。
めっちゃ指入っとる(笑)
一眼の方は撮影目的とわかるしそういう動きをなさっているけれど、
立ち止まって長々と撮影しているのはガラケーの人が多いなあ、と。。。危ないよ。
昨年もしつこいほど撮ったのに、また撮ってしまう蓮池濠。
石垣すばらしいよー!
今、江戸城の本を書いているわけですが、
御休息所多聞以外の櫓の配置がいまいちよくわからなくて。
櫓台を探しながら(もちろん石垣も見ながら)居座ってました。なるほどねー。
蓮池堀に面した本丸石垣、やっぱり途中で積み方が変わってるな、と。
はて、修復の範囲はどこまでだったか。。
ここまでは著書に載せられないけど、調べてみよう。
ミラーレスの限界を知った写真たち。一眼じゃないとこのへんは難しいですね。
道灌濠!この部分しか残っていないから、かなり貴重。
でも写真はすこぶる撮りにくい。
このあたりの道灌濠がこの幅と考えると、
これが続いていた辰ノ口以東の江戸城下ってどんなだったんでしょうか。
出口は乾門か西桔橋の2通り。
今回は西桔橋から本丸へ出ることにしました。
乾濠の石垣、とにかく美しいよねー。
こんなふうにカーブを描くように積める技術があったんだなあ、と。
執筆にあたり江戸城についてあれこれ調べ直したわけですが、
改めて深く知り感心したのが堀の水位調整。
西桔橋門前もいわゆる“水戸違い”になっているはず…と、今日はココの確認がメインでした。
うーん。よく見えない。。清水門前ほどの感動が、蓮池濠側に石枡はありました。
現役ではなかったので効力わからず。
西桔橋門の魅力も、やっぱり石垣。よい!
資料によれば、ここも慶長期の築造。
上段はかなり修復感があったけれど、下段はその気配を感じつつも、ちょっと違う趣。
ここの石材はとても大きいし、
面以外がまったく整形されていなかったりと江戸城らしからぬなフォルムな気が。
慶長期に運ばれた東伊豆の安山岩かと思います。ちょっと湿っぽくて重そうなこの感じ、好きです。
仕切門跡のあたりから。
矢穴が大きいのと…なんか不思議な形の矢穴があって気になりました。
すごいぞ、黒田長政のアピール(笑)
毛利くんもがんばっとる。
矢穴の掘りかけみたいなものも。なぜ、ここでやめる。なぜ、この順番で開けたのか。
はつり、このパターンがいくつかありました。イケてると思ったのか?
江戸城案内では本丸からは汐見坂を通ることが多いので、梅林坂から。
快晴とはいえ日陰に入ると冷え込むこの時期、日陰な梅林坂は空いていました。
ここはけっこう好きなポイントです。
梅林坂周辺は刻印石の宝庫。
ここでも黒田くんがいっぱい。
森くん、加藤くん、松浦くん、島津くん、前田くん…。
卍は前田さんなの蜂須賀さんなのどっちなの。
梅林坂は丁場割りと刻印が違うみたいで、色々つじつまが合わず、調べているとイライラします(笑)
築城・改修の経緯をたどっていくと、
築方と寄方(積む人と採る人)が違う時期があったり、それが理由のひとつのようです。
梅林坂門の「十一」と「十十」の刻印。
積む順位を刻んだもの。下から何番目に積まれた石かが(下にどれくらい埋まっているか)がわかります。
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築城だけに30年以上、幕末まで約260年存続する江戸城の築城史は、大河ドラマみたいなものだ。
いろいろある世の中の波の中で、いろいろ変わってできていく。
城は、城主が変わればリフォームされるし、時代が変われば流行も変わる。
ひとつの城の中にある、変遷みたいなものがおもしろさのひとつだと思います。
江戸城の場合は、徳川家以外が手を入れることは一切ない。
まさに徳川将軍家の分身のようなもので、
徳川家ともに大きく立派になって、窮地に立たされたりするわけです。
私の著書は専門書ではないから学術的な詳細は書けないけれど、
歴史のリズムみたいなものをエンターテインメントとして1冊のなかで表現できたらいいと思うし、
江戸城というフィルターを通して、東京をプロジェクトX的に解明できればおもしろいし意義がある。
残骸なのではなく過去と現在は地続きなのだ、と伝えたいし、
未来にどうつなげていけるのかを問題提起する本でありたい。
…というのは隠しテーマで、あくまで江戸城探訪を楽しむための実用書です。
単純に、なんか書いてあるのを見つけてなんなんだろうって考えたり知ったりするのは楽しいしね。
昨日、脱稿しました。
これから書き直したり書き直したり書き直したりするけれど、下地はできた。