八木城と宍人館
3日間の八上城攻め陣城めぐりを終え、
今日は南丹市様に八木城、鶴首山城、宍人館をご案内いただきました。
八木城、丹波三大山城として八上城や黒井城と並列にされがちだけれど、
守護代の城であるところが決定的に違うなと。
守護・守護代の城を考えるとき、全国的にもよき事例になるのではなかろうか…。
以前見られなかった、烏嶽へも。
尾根の両翼に曲輪を展開して、最後は大堀切。
城内側は土塁で高まりをつけて、側面は石垣で固めてずどんと落とす共通プラン。
(波多野氏への強化か?)
この石垣を見てしまうと、本丸周辺の石垣を内藤とするのか明智とするのか、また迷う…。
私は微妙に様相が違うように感じたし、虎口への取り付き方も改変を感じたのだけど、どーなんだろ。
そもそも何が誰流か、もうよくわかりません。。
研究者・専門家のみなさまにご意見をうかがいたいところです。
改変も何段階かありそうだし、いろんな意味で謎多き興味深き城でした。勉強しよ。
それにしても、赤色立体測量図恐るべし!!
思いのほか感激したのが、宍人館。
小畠氏時代の戦国期の館と、小出氏時代の江戸時代の館が隣接・共存してます。
雰囲気ががらりと変わっておもしろい。
こちらも赤色立体測量図により解明に大進展。
今日は地域のこともたくさん伺えて、とても楽しかった。
こういう熱意ある地道な調査成果が、私たちや地域の人が、地域の宝物に触れるツールになる。
学術的な価値どうこうは別として、
どんな地域にも歴史があり、ただただそれはすてきなこと。
そういうことを伝えていきたいよね。いかねばね。
南丹市立文化博物館では今日から12月6日まで特別展「八木城と内藤氏」開催中です。
見ごたえあるのでぜひ。
それと。
なんたんテレビで八木城のコメントをしました。 来週末放送とのこと。
前髪に蜘蛛の巣を纏い、眉毛も消え去った姿で八木城を語るわたくしの姿、放送圏の方ぜひご覧ください。