熊本&長崎のお城取材
5月14〜17日は、3泊4日で取材&撮影に行っておりました。
熊本城、千葉城、隅本城、宇土城、宇土古城、菊地城、鞠智城、
で長崎へ移動して島原城、日野江城、原城かな。
えー、もう発売になってますので言いますと、
辰巳出版さんより7月13日に発売された【お城の手帖〜戦国武将編】の取材&撮影でした。
この本、とても贅沢ですよ。
特集の写真をカメラマンさんが新撮してるんです。
お城本って、あんまり撮り下しのものはないですからね。
スタッフさんと一丸となってお城本づくりに取り組める楽しいお仕事でもあり、
現地でしっかり取材できる、やりがいのあるお仕事でもあります。
今回は、カメラマンさんに三脚をお借りして、熊本城の夜景を撮影したのがプライベートな想い出です。
う=ん、夜景はこれから勉強です。まったく夜のよさがない写真だー。
あんまり載せたくないですが…自分への課題として。
金沢&名古屋取材2012
金沢へ取材に行ってきました。
そして翌日には名古屋へ取材に行くというまたまた弾丸な1泊2日でした。
金沢と名古屋って、移動できちゃうのね。
東京の人間からすると、全然違う場所にある気がしますが…。位置関係がよくわかりません。
1日いても飽きないどころが時間が足りない金沢城。
久々の金沢、いろいろ感じ発見し考えましたが、気が向いたら語ります。
念願の21世紀美術館に行けたのが今回のうれしいできごと。
沖縄取材2012
琉球王国へ1泊2日の弾丸取材。
せっかく7月の沖縄へ行ったというのに、
ビーチなど行く時間はなく、ひらすらグスク、グスク、グスク。
でも、移動中にちょこりと青い空と広い海を堪能できました。沖縄は空が広くていいですね。
沖縄の歴史は重い。そして深い。
''本島の人''はともかく''日本の人''と面と向かって言われると考えてしまう…。
ちょっと頭が痛くなったけど、キレイな空と海でパワーチャージできました。
本島のお城も「史料がない」はよくあることですが、沖縄の史料は本当になにもない。
史料どころか、沖縄戦で全部失ってしまったんですね。本当に、全部。
名古屋城本丸御殿の障壁画は疎開して無事だったり、
姫路城が無事だったのも、天守を狙われないよう覆って隠したという説があるほどですが(諸説あります)、
こういう言い方は不適切かもしれませんが、沖縄に比べればある種のゆとりがあるということですね。
なんというか、リアルな沖縄の位置付けを感じました。
沖縄の城はグスクといい性質も構造も本島の城とは一線を介すもの。歴史も技術も在り方も全然違う。
琉球石灰岩というやわらかな(でも固くて重い)石材を使った、たなびくような曲線の石垣が特長です。
本島で、総石垣の城の始祖を安土城とするなら、1576年。
しかもこのときは高石垣ではないわけだから、築造技術は比になりませんね。
首里城、今帰仁城、中城城、勝連城、座喜味城の5つのグスクが、
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)とともに世界遺産登録されているのですが、
首里城以外は人がいなさすぎで残念に思いました。由々しき問題です。
もっと文化財のすばらしさを広めていかないと!
沖縄の方は、いろんなエッセンスを上手に取り込んで、
それをただ真似するのではなく独自のものをつくり出すセンスがあるんですね。
だから独立国家としての文化が確立されていながら、どこかノスタルジーを感じたりするのだと思います。
その話を取材先の方にしたら、
「沖縄は独自のものがないので、他から取り入れるしか手がないのですが…
でも、たしかに取り入れて生み出すのは得意かもしれません」とおっしゃっていました。
グスクだけで一冊本が書けそうな気もするし、
琉球王国の歴史、琉球王国の文化。なにか形にしたいなあと強く強く思ったのでした。
これをいうと沖縄の人に怒られそうですが…
ノウハウがないのか、不向きなのか、あんまり編集が上手じゃなさそうです。
数が少ない訳ではないのにあまりいい資料や文献がないし、まとまりが悪くて読みにくいものが多い。
ネタがあるのにもったいない。
編集者のみなさん、狙い目ですよ(笑)
もちろん、ライター・作家もね。
小田原城・惣構見学ツアー
「小田原城天守閣木造化を考えるシンポジウム連携プログラム
小田原城・惣構(大外郭)遺構見学ツアー」に参加させていただきました。
あの小田原城の「惣構」を歩けるとは、なんてすばらしい企画なんだ!と勇み足で。
「惣構(そうがまえ)」なんてお城好きでなければ心躍りもしないワードでしょう。
外堀のそのまた外側の外郭、つまり城下町も含めてぐるりと取り込んで覆った防衛線のことです。
小田原城の惣構の総延長は約9km(12kmとも)にも及び、
その規模は中世城郭ではぶっちぎりのNO.1、近世城郭でも江戸城に次ぐNO.2。
城下町までを城域として経済都市をつくり上げれば
たとえ敵が攻め込んでこようとも、国としての機能はすぐにはストップしない。
物資を遠方から運び込まなくても、自給自足の生活だってできてしまう。
1590年の豊臣秀吉の小田原城攻めで、
圧倒的に兵力が劣りながら3ヶ月も籠城に持ちこたえたのは、惣構のおかげでしょう。
(ちょっと過信していたのが敗因でしょうけど)
小田原城というと桜の名所、関東には珍しく天守のある城、くらいのイメージかもしれませんが、
中世屈指の築城技術を持つ後北条氏の本城。
そのあたりの秀逸さが全く知られていないのはちょっと残念ですね。
意外と残っていた、惣構の遺構。
パーツは見応えがあり解説も興味深かったのですが、縄張図がなかったのが残念。
城ファンとしては、縄張をきちんと見たかったです。
広大なだけに距離感がつかめませんし、地元民でないので位置が不明でした。
本来の目的であるはずの<天守の木造再建化>について一切話がなかったのは残念でした。
前日のシンポジウムでお話があったのかもしれませんが、
なぜ木造化を目指すのか、必要性や問題点を私は聞きたかったです。
そもそも天守再建の重要性を理解してもらわないことには
木造だろうが鉄コンだろうが協力を得られないと思うんですよね。
城の保存維持事情は、興味のある人とない人の温度差が激しいですもん。
桜がキレイでございました。
- お城のこと l
- 12/04/09/23:59
大嶽城おまけ〜虎御前山城
大嶽城ウォーク→ ★ の前に、虎御前山城に寄ってきました。
本気の登山の前に軽い登山をしてみた私、我ながらタフだなと思いました。
他の参加者の方にたいそう驚かれましたとさ。
とはいえ時間がなく織田信長の陣後まででリターン。
晴れたり霙が降ったりの気まぐれな天候にもてあそばれ、ぐちゃぐちゃになって帰ってきたのでした。
虎御前山城は織田信長が小谷城攻めのとき本陣とした城ですが、
よくもこんな目と鼻の先に陣取ったもんです。
もうこの時点で、勢いは圧倒的に信長が勝っていたんでしょうね。
その状況下で数年持ちこたえた小谷城の防備力の高さに感嘆すべきか。
このお城、小ぶりですがなかなかよいです。軽い気持ちで行くのにおすすめの山城です。
- お城のこと l
- 12/04/07/23:59
大嶽城おまけ〜長浜グルメ
大嶽城の帰り道、
お城がご縁で知り合った名古屋から参加のお仲間と、3人で長浜に立ち寄ってきました。
一緒に大嶽城を登れただけでも楽しかった上に、グルメツアーまでできてサイコー。
やっぱりお城めぐりにグルメはつきものですね。
またまた登場の大好物!長浜の郷土料理・焼鯖そうめん。
何度も言いますが、なぜ焼鯖そうめんが全国区の絶品にならないのか不思議です。
全国区どころか、滋賀県内でも湖北限定ですよね。彦根や安土ですら見ません。
この味を東京で再現できたら大ヒットすると思うのですが。
…というか東京でも食べたい!
奥のしじみの佃煮も激ウマです。ありがとう、琵琶湖。
こちらサラダパンは、長浜で大人気というローカルフード。
マヨネーズで和えた刻みたくあんがサンドされています。
陳列棚の充実っぷりに人気の高さを感じますね。
気になるお味は…1個でいいです。1個は完食できます。
(私はマヨネーズもたくあんも苦手なもので…好きならおいしいのかも?)
そして私の「名古屋駅ホームの噂のきしめんを食べたい!」
という私の小さな夢も叶えてくれました。
わざわざ新幹線を途中下車すつ価値があると話題の、人気NO.1の住吉のきしめん。
ホームの立ち食いそば屋なのに、天ぷらはオーダー後に揚げてくれるのね。
うみゃーでした。
- お城のこと l
- 12/04/07/23:58
焼尾砦〜大嶽城ウォーク
小谷城下まちめぐりウォーク実行委員会さん主催の
ウォーキング・ツアー「信長の小谷城攻城ルートー焼尾砦から大嶽を攻略するー」
に参加してきました。
念願の大嶽城。いやー、楽しすぎました!!
こんなに素晴らしい城とは思いませんでした。
こりゃ、もはや小谷城なんかどうでもいいですよ。…ってくらい。
小谷上山田から北西の尾根上にある砦・焼尾丸を経由して本丸を目指し、
福寿丸、山崎丸、御屋敷跡ぐるり。なかなか本気なコースです。
専門家のお話も聞けて大満足。
ウォークというよりアドベンチャーな感じに。。
いいですねえ〜。いかにも中世の山城です。
織田信長は、暴風雨の中ここを通って朝倉義景を追撃したことになっていますが、
地形が多少変わっているとはいえ、甲冑姿でここ通れたのかは疑問です。
標高495m。
浅井長政が小谷城としたのは小谷山中間部にある南東の尾根で、
現在小谷城として一般の観光客が登城するのはこの部分です。
しかし小谷城のある小谷山はものすごく大きな山。
つまり小谷城は小谷山の一角で、背後のピークに立つのが大嶽城というわけです。
築城時は大嶽が本丸でしたが、長政の頃は支城という位置付けでした。
この山が支城にすぎないとは、スケール大きすぎです。小谷城恐るべし。
「丁野城と中島城はこの立ち位置なのか」
「虎御前山城って、大嶽城から見るとこんなふうに見えるのね」
「小谷城の横顔も、全然表情が違うんだなあ」
…と、スケールの大きさを実感できたことや、合戦時の城の距離感を実感できたことに感動でした。
私はゲームをやらないのですが、きっとこれはゲームと同じ感覚なのだと思います。
ああこういうふうに連携するんだ、とか、こういう立地だからこんな戦略を立てたんだな、とか。
遺構を発見したり、目に見えるものを探し確認し連想させることも楽しいですが
こういうタイムスリップ体験が、やはり城あるきの醍醐味ですね。
小谷城最中をおやつに頂いたのがうれしくて、記念撮影に登場させてみましたが、
そんなことをしているのは私だけだったみたいです。
(ちなみになぜか五重天守のフォルムですが、小谷城に天守はありません…)
ランチタイムには、リンゴや黒蜜きな粉固め?を配ってくださってうれしかったな。
距離感がちょうどよくて、適度におもしろい滋賀人、やっぱり好きです。
高橋さん、お心遣いありがとうございました!
思い出に残る素敵な1日でした。また参加させてくださいね。
- お城のこと l
- 12/04/07/23:57
無念の津和野城
なかなか行けない津和野城へ、思い切って寄ることに。
しかし、駅に降り立ったら、この豪雪!!
津和野の代名詞でもある、風情ある街並み。
雪化粧が趣をアップ…を通り越して、視界を遮断。大名屋敷門も見えないー。
水路を悠々と泳いでいるはずの鯉も、逃避中でした。
でも、雪は好きです。きれいだね。
日本五大稲荷のひとつに数えられる太皷谷稲成神社。
トンネルのような朱塗りの鳥居をくぐっていきます。
途中、津和野の城下町を一望できるはずなんですが、雪であんまり見えず。
うすうす分かっていた(というか途中から確信していた)けれど、津和野城は登城禁止。
微動だにしていないリフトが出迎えてくれました。
午前中の段階ですでに積雪30cmを超え、散策できる状況ではないとのこと。
もともとリフトではなく登山道で行こうと思っていたのですが、道すら埋まっていると。。
なんとか行けないものかと聞いてみましたが、
「べちゃっとしとるけん、雪だるまつくれんなー」と、さっきまでかわいいことを言っていたおじいさんに
「あんた、死ぬよ」とやや真顔で言われたので、諦めました。
移築現存の馬場先櫓、現存の物見多聞櫓を見学。
遠巻きに津和野城を見ながら城下町を歩くだけの、切ない思い出になりました。
- お城のこと l
- 12/03/12/23:59
月山富田城&十神山城
米子までびゅーっと移動して、安来の月山富田城へ。
ものすごく快晴に見えますが、晴れたり雪降ったり、常に暴風だったり。
今日こそ七曲がりを制覇してやろうと思っていましたが、またしても断念しました。
行こうと思えば行けましたが・・・前回20分以内にマムシ2匹と遭遇し、完全にビビってます(笑)
ここはベストコンディションじゃないと気持ち的にムリ。。
日没まで時間があったので、十神山城へ寄ってきました。
尼子十砦のひとつだそうですが、だいぶ整備されちゃっていましたねえ。
安来港を見下ろすような、海に突き出る城なのですが、現在は木が邪魔して眺望は悪し。
陸地よりも5、6歩前に出ていて、
迫り来る敵を真っ先に蹴散らしてやるぜー、みたいな雄々しさは感じられました。
写真はないですが、車でぐるぐるしたところ、北側はさらにせり出すようになっていて迫力あり、でした。
- お城のこと l
- 12/03/11/23:59
鳥取城フォーラム2012 太閤ヶ平見学会
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鳥取城フォーラム2012
『中井均先生と歩く 鳥取城&太閤ヶ平』
講師:中井均先生(滋賀県立大学人間文化学部准教授)
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前日の講演会に次いで、中井先生による現地見学会。
天気予報:暴風雪で中止が危ぶまれましたが、無事催行。中井先生、さすが晴れ男です。
ちなみに“暴風雪”という気象用語があることを、初めて知りました。
登る前に、資料を見た段階で、70カ所にも及ぶ膨大な数の陣城が存在し、
そして状態よく残っていることに驚愕。
発掘と研究をされている西尾先生が
ポイントや特長、位置関係などをご丁寧に教えてくださり、もうゾクゾク。
「2、3日あればひと通り行けますよ」とのこと。うーん、まわってみたい!
全部はムリでも、とにかく最大の見どころである
複数の空堀でつながれた総延長700mの大防衛ラインは必ず見に来ねばなりませぬ!
どうやって鳥取城が孤立していったのかを知り、
織田vs毛利の全面直接対決の背景を城から知りたい。
中井先生のお話に夢中だったこともあり、あまり写真を撮っていません。
が、段々状に残る小さな曲輪は肉眼で確認できるし、次第に規模を増す土塁も見事。
懸造の建物があったであろう場所(陣城に!)、横矢掛がりの虎口、絡手口の切岸。
縄張図をもとに歩いていくと、感動的です。
「こんなに大規模な遺構が残っているとは思っていませんでした!
ここはもう“城”ですね!」と、先生にコーフン気味に感想をお伝えしてしまいました。
単なる一城を攻略するには大規模すぎる太閤ヶ平は、
やはり織田vs毛利の決戦のための陣城だったといえるだろう、とのこと。
ガッチリと設置した大防衛ラインのそのまた上に、異常なまでの土塁群を重ねて防衛設備を構築。
本陣の一時的な陣城とは思えない構造から推察しても、
信長本人が出陣するための地だったことが考えられるそうです。
トップの写真の背後に見える山が、吉川経家の本陣久松山。
当時は木のないむき出しの状態のはずなので、兵糧が尽きていく経家側の様子は、少し見下ろす形で一目瞭然。
500mほどしか離れておらず、逆に秀吉側が煮炊きする様子は丸見え、音も丸聞こえだったと考えられます。
こうした視覚的な攻撃が、心理的にも追いつめていったはずです。
帰りは、市民の方も少なかったので、先生とお話しながら下山しました。
昨日の日記でちらりと書きましたが、そこでお話したのが、
講演会で先生の言葉の中で印象的だった、「戦国時代は“戦争の時代”であった」ということ。
そうなんですよね。戦、武将とドラマチックでカッコいい時代のイメージにされてますが、
実は日本史においては、日々血で血を洗う暗黒の時代。
そういう意味で、城とは負の遺産。
たとえば、信長が楽市楽座を推奨したのは、
城下町を活性化させて、貨幣を流通させて、庶民の生活が活発化した、
なんて見方をしがちですが、根本は違うところにあるのですよね。
信長は行ったのは、富を制すること。要は、軍資金を稼ぐことが目的の経済政策。
「これからは鉄砲の時代だぜー!」と思いついたところで、
鉄砲を大量購入する資金とルート、それを使いこなす技術と軍事力がなければ成功できないわけですから。
さらに、先生曰く「軍隊を鍛えて、訓練する場所」でもあるそう。
当時は、平和とはほど遠い、巨大な基地のようなはずだったと。なるほどー。
城下町でいわゆる芸術という意味での文化が発展するのは、
江戸中期以降の、本当に戦のない太平の世になってからのこと。
つまり武士にやることがなくなってから、なのですよね。
なぜか勝つと正、負けると誤、とまとめられる傾向にあるけれど、
結果で端折らず、リアルで冷酷な日常があったことにも目を向けていきたいと思っています。
そこに真実があって、発展もあるのだから。
城というのは、今となってはなんとなくそこにある気がするけれど、
ときにはあるものを最大限に生かしながら、ときには形を変えながら、
よくぞまあ、というくらいにうまく活用してできている。
その断片を探していくのがなにより楽しいし、その背景を知ることは貴重な気がする。
まだまだ謎だらけだけれど、先生のお話を聞くことで紐解けることもあったりして、
そういうところが、城マニアをやめられない理由です。
もちろん、お城のお話もたくさん聞かせていただきつつ。
ちょっとした質問にも、丁寧に答えてくださるのがうれしい。
城マニアとしての立場と、研究者としての立場があるため、
日々さまざまな葛藤がおありになるようです(笑)




























































































