山城ガールむつみさんとトークショー
しろうたカフェさんで、山城ガールむつみさんとトークショー。
むつみさんと人前で話すのは初めてだったのでやや緊張しましたが、
アットホームな雰囲気でお客様の視線があたたかく、楽しかった!
トークショー後の懇親会では振る舞い酒をし(むつみさんへのお祝いの品、岩村醸造さん「幻の城」)
強制的に城組設立を祝ってもらう会となりました。笑
1時間の予定だった懇親会は4時間に及びましたとさ。
城組のことを人前で話すのも初。
「楽しく歩いてきちんとつなぐ」という城組の事業理念を共感してもらえたことがうれしかったです。
我ながらすばらしいキャッチコピーを生み出したな、と自画自賛!笑
人とのつながりは人生の糧で、人の話す時間はこの世の宝。
口にすることで自分の譲れない理念みたいなものもはっきりするし、話しているうちに迷いの出口も見つかる。
今、質問されて答えられないことはない。
迷わず行けよ 行けばわかるさ
…と、私の中の猪木が覚醒した気分になりました。
もはや披露宴!笑
<一般社団法人 城組>を設立しました
2022年4月6日(城の日)、<一般社団法人 城組>を設立しました。
むつみさんと1年以上あたためてきたことが形になって、ひとまず感無量。
条件が合う人は探せばいるけど、思いをわかち合って一緒に歩ける人に出会えるのは奇跡。
設立にあたり、同じ方向を見てくれる人がいることが、
すでに私にとってこれ以上ない幸せです。
まだなにもしてないけど、ワクワクしかない!
そして、これから城組を通じて人とつながっていくこと、
その先にあるまだ知らない景色を見るのが楽しみです。
全力で楽しみつつ、しっかり地に足をつけて城の未来と向き合いたいと思います。
今日はむつみさんと2人揃って法務局に書類を提出し、
夜景のきれいなレストランでディナー。
…新婚さんの入籍日か!笑
来年の城の日は、ふたりで1本のローソクをふうっと消したいです。
今日はお腹も胸も頭もいっぱいなので、
また改めて個人的な思いやら経緯やら今後の展望やら、語らせてくださいな。
旅行読売臨時増刊「城LOVE旅」
月刊「旅行読売」で連載中の「城LOVE旅」が1冊の本に。
まだ連載中なのに、まとまってしまいました。
2017年12月号からの掲載記事のうち40記事を抜粋し、一部加筆訂正して1冊に再編集。
グラビアページは城郭写真家の畠中和久さんが華やぎを添えてくださってます。
2022年3月31日より、全国の書店で発売中。
見かけたらペラっとめくってついでにレジへ。
見かけなくてもノリでポチっとしてくださいな。
萩原さちこ×山城ガールむつみ トークショー
4月17日(日)16:00〜、山城ガールむつみさんとトークショーします。
…なんかこのチラシ、めちゃめちゃ恥ずかしい。笑
むつみさんと人前で話すの、初めて♡
半分はマジメに、半分はいつものおしゃべり感覚で。
なし崩し的に懇親会になだれ込み、みなさんと楽しみたいと思ってます。
お申込みは4月6日から、しろうたカフェさんへ。
ぜひお越しください。
姫路城のライトアップ
今日から兵庫。
仕事終わりの夜の徘徊が楽しいです。
天守のライトアップって、そんなにステキと思うものがないんですよね。
…と思っていたら、
姫路城では来年度、照明デザイナー石井幹子さんの手により一新されるそうで。
漆喰の白と古建築の造形美が活きる、シンプルなデザインだといいね。
にっぽん城まつり2022
にっぽん城まつり。
クリスグレンさんとのトーク、楽しかったです。
サイン会も満員御礼でとてもとてもうれしかったです。
(炭治郎の羽織を着たさとしくん、また来てね!)
昨夏、名古屋おもてなし武将隊の信長様と秀吉様が
有松鳴海絞りのマスクを着用していておしゃれでカッコよかったので、
私も今日は名古屋で仕立てた総絞り染め(きぬたや絞り)のお着物と帯で参陣。
有松絞りは、名古屋の有松・鳴海地域(桶狭間の戦いの舞台で知られる鳴海砦のあたりね)で生産される、
尾張藩に庇護された絞り染め。
名古屋城築城の際に豊後から技法が伝播したという説もあるんですよ。
尾張気分が高まりました。
帯飾は戦国魂さんの狭間根付をアレンジ。
かわいい。
(戦国魂さんブースに走ってくれた方、今日は置いてなかったみたいでごめんなさい!
ネットショップでご購入可だそうですー)
慶次殿(名古屋おもてなし武将隊)&お城くんと。
いろんな方にも会えて、声をかけてもらえてうれしかったです。
福井城址活用検討懇話会
2020年から委員を拝命している、福井城址活用検討懇話会の最終日でした。
本丸に建つ福井県庁は移転予定(2040年以降)。
移転後、オープンスペースとなる本丸をどう活用するか議論する会のひとつです。
駅から近くて、開発にはもってこい。
城跡って、人によってはただの余った空間なんだな。
そういうスタートラインに前のめりで立っている人に対して、理路整然と話をするのはとても難しい。
日頃お話を聞けない専門家や地域の方々のご意見は、貴重かつ新鮮なものばかりでとても勉強になりました。
狭いところで1点だけ見ていてはいけません。
「受け継ぐべきと伝えるのではなく、受け継ぎたくなる意識を育てることが大切」と。
目の前の小さなことをブラッシュアップして実行するのみ、です。思考のデザイン大事。
所詮こんなことを繰り返して歴史は積み重ねられ今があるのだから、
今の偏った価値観を押し付けるのは邪道なのかなあ、とぼんやり考えつつ…。
しかし言い換えれば、こういう場面で食い下がった人が歴史をつくることになる。
そのために呼ばれているわけで、そこの線引きは難しいなとも思いました。
…そんなことよりまず、この石垣なおしてあげたいよ。
第10回米子城跡整備検討委員会
米子城跡整備検討委員会。
新年度の計画に加え、いよいよ、三の丸の整備・活用の計画案も出てきました。
先に見つかったすばらしい米蔵や石組敷石水路も、うまく知ってもらえるといいな。
ついにグラウンドが全撤去されていて、感無量!
なにより感激なのは、これまで壁となっていたスタンドが取り払われたことで
一般道から否が応でも圧巻の石垣が市民の目に入るようになり、認知度や関心が高まっていること。
山上の石垣も少しずつ間伐されてきたことで、
城下町からも仰ぎ見ることができるようになりました。
先の調査では内堀の位置も確認され、内堀越しのリアルな景観もよみがえりつつあります。
1ハギワラ分(5尺)地中から現れた表中御門枡形の石垣、1周ぐるり!見事!
2ハギワラ分(10尺)埋まっていた二の丸北東面石垣も、顔を出した上に特殊部隊によりこんなにきれいに!圧巻!
枡形1周はできないけれど、上からは見られますよ。
面による積み方の違いもおもしろいところです。
米子市により丹念な調査と愛ある整備が進んでいます。
すばらしい遺跡を未来に繋ぎ地域の誇りを育てるために、拝命したからにはできることを模索したいと思います。
尾高城の発掘調査
国史跡を目指して発掘調査が始まった、米子市の尾高城。
調査区域の本丸・二の丸は私有地につき立入禁止ですが、注目はしてほしいので許可を得てシェア。
(それ以外のエリアの広範囲、草が刈られて恥ずかしいほど丸裸に!今、見応え抜群です!)
・本丸と二の丸間からは、エントランスのような謎の空間が出現
・本丸東面は栗石が散乱しているものの積石の落石はなし。中村さんによる米子城への転用か?
・本丸および二の丸の出土遺物から生活の痕跡は確認されるものの、礎石はなし。…テントで優雅な生活してたのか?
・礎石は本丸南西側で一部確認されたものの、1列のみ
・本丸北東側の土塁は、石積みを伴って数段に分かれる。段差部にわざわざ石を積んでいる
・土塁は排水用の窪みを伴うもの
本丸と中の丸間の枡形に接続する虎口がメインゲートだとすると、
本丸南東面にも石を積んでいてほしいところ。
しかし落石もなく痕跡はなし(てか積めないと思う)。
本丸北西側の虎口との役割の違い、それに伴う形状の違いはとても興味深い。
防御と示威のバランス、というか。。
そしてその手法は勝手に思っているものと違うのかもしれません。
廃城と破城の定義ってちょっと解釈がおかしくなっていて(研究者ではなく一般人がね)、
案内板の記述とは(ときに報告書も)現地の状況と辻褄が合わないと感じることが多々ある。
そんなことも思案しつつ…
情勢を考えると、米子城へ移転後も継続して使われたんじゃなかろうか。居城ではなくなっただけで。
などと考えてしまいました。
それはそれで、どういう使われ方をしたのか気になってきますけれどもね…。
大きく絞って3段階(国衆・杉原・中村)。
その改変すら解明するのは難しいとは思うけれど、
それこそが、さすが西伯耆の要と唸らされるおもしろさ。
そして、尾高城から米子城へとつながっていくことが、この地域の歴史に触れる上で大切なところ。
米子城のすばらしさや意義に直結する、地域を深く系統的に知ることができる城だと思います。
こういうところを、ゆくゆくは地域の方に知っていただきたい。伝えたいです。
米子市ではすでに赤色立体地図も撮影していて、照合しながら現地を歩くと本当におもしろい。
公開されたときも、わかりやすく理解してもらえる大きな手がかりになると思いました。
以上、市の見解でもなんでもなく完全な素人私見ですんで勝手に言わせといてくださいな。