小田原城の総構
小田原城総構の稲荷森、荒れ狂っていた竹がかなりすっきりと間伐され、
なんと、堀底へ降りられるようになっていた!
最近のことではないようだけれど、びっくり。
城下張出も切り取られたかのごとくこざっぱりとし、
まるで聖域のような空間になっていて感激しました。
江東区砂町文化センターさんの連続講座、この日は現地見学でして。
近世小田原城の解説でよかったのですが、
今期講座のテーマが「小田原攻めと北条の城」ということもあり、
「講座後、ご希望の方がいれば総構をご案内しますよー」などとお声がけしてみたのです。
せいぜい5〜6名かなあ、と思っていたら…、なんと!23名もいらした!
すごい時代の到来だなあと感慨深くなりました。
小峰御鐘ノ台大堀切東堀・中堀・西堀→御鐘ノ台→稲荷森堀→
山ノ神堀切→山ノ神台→城下張出→城源寺竪堀。
道を間違えて、思いがけず御鐘ノ台まで行ってしまいました。
講座1.5時間、講座後の総構歩き3時間。
かなり歩かせてしまったけれど、
北条時代のすばらしき遺構を楽しんでいただけたようでなによりです。
このラインだけでも歩くと、小田原攻めのイメージがかなり変わると思うし、
双方の戦略含め、いろいろ腑に落ちることが多いはず。
理論とは別のところにある、当時のうごめきや切迫詰まった感、
そんな状況下での北条時代の技術力の高さも。
目下整備中で、来春にはもっときちんとなります、と
後日、小田原市教育委員会の諏訪間さんからうかがいました。
いやいや、現状でも、ここまでの遺構がこんなに見られれば満足です。
小田原市さんの整備はすばらしい。
石垣山一夜城も整備するそうで、ファンとしては喜びでいっぱいです。喜び組です。
稲荷森、今回歩けて気づけましたが、すっごい戦闘空間だ!
北条っぽいぞ!
土木量もそうだけれど、常に侵入者に対する多方向からの射撃空間が確保されていて、
横堀の使い方、緻密な設計が北条らしい。
小峰御鐘ノ台大堀切は実は戦闘空間としては苦し紛れだけれど、
こちらのほうがきちんと、機能性を計算した上で落ち着いて構築されている感じ。
少し先立ってつくられていたのかもしれません。
NHK「趣味どきっ」第2回放送
NHK(Eテレ)「趣味どきっ」。
全9回「海・山・町を再発見!おとなの歩き旅」
今日放送の第2回は松本城下町歩きです。
捨堀の土塁も登場しますよ(たぶん)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第2回「古地図と歩く城下町」
放送:6月12日(月)21:30~21:55
再放送:6月19日(月)11:30~11:55
※NHK総合は6月14日(水)10:15~10:40
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みてね☺︎
公益財団法人日本城郭協会の理事に
本日2017年6月10日付で、公益財団法人日本城郭協会の理事になりました。
学術委員会学術委員は続投です。
いろいろと考えることはあるけれど、
いただいたお話はありがたく素直に頂戴し、
できる限り真摯に、粛々とこなしてゆく。
…という基本理念に基づいて。
写真は評議会理事会の後、
日本城郭協会創立50周年記念パーティーにて。
理事長の小和田哲男先生、理事の加藤理文先生、
学術委員にもなられた小田原城天守閣館長の諏訪間順さんと。
都庁の45階にこんなパーティースペースがあるとは知りませんでした。
NHK「趣味どきっ」第1回放送
NHK「趣味どきっ」。
全9回「海・山・町を再発見!おとなの歩き旅」
第1回は松本城歩きです。Eテレで明日放送。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第1回「戦国の舞台となった城を歩く」
放送:6月5日(月)21:30〜21:55
再放送:6月12日(月)11:30〜11:55
※NHK総合は6月7日(水)10:15〜10:40
第2回「古地図と歩く城下町」
放送:6月12日(月)21:30~21:55
再放送:6月19日(月)11:30~11:55
※NHK総合は6月14日(水)10:15~10:40予定
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みてね☺︎
小笠原氏の城へ
緑と青、風と音。
この季節の松本はホントに心地よいなあ!
すばらしい城たちに登れ、たのしい1日でした。
長野県松本市の林大城、林小城、桐原城を。
井川城にも立ち寄りました。
小笠原氏の城には惹かれるものがあります。
行き直したいなあ、学びたいなあ、ということで。
小笠原氏の城というと到達点は桐原城のような気がしていて、
見ごたえという意味で5城のうちどれか1つとなると桐原城になるのですが、
やっぱり私は山家城が好きです。
また行こ。
河後森城へ
河後森城は、いろいろな面で、おもしろく、楽しめ、心地よい。
構造や設計のおもしろさ。
立地や地形から戦略面を考察できる楽しさ、
それが実際に合戦や存続の歴史につながっている現実感。
調査・整備、その先の活用まで取り組みが及んでいます。
実際に自分で歩き、想像することの醍醐味を味わえるロマンにあふれた城だな、
うまく伝えられればものすごく楽しい城だな、と。
地域にとっても、ストーリー性とポテンシャルを秘めた城だなと思いました。
伝えたいなー。
河後森城のある松野町はとても風通しがよい町のようで、
人口は少ないのに出会う人が多く、なんだか気さくな方々で親しみやすい。
伊予(愛媛)と土佐(高知)の国境にあり、
やがて予土の通過点となったこの地域の立地と歴史に関わっているのかもと、
今日の取材を通じて思ったりもしました。
旅視点でも書きたくなったので、朝日新聞の連載に書こうと思います。
少し忘れかけられた、夏くらいに書きますね。
立地と地形から見る戦国の城、という本を先日脱稿したのだけれど、
河後森城のところ、書き直したいな。
こういう城を、周辺の城や情勢を踏まえつつ見ていくと、
戦国時代の城のあり方や領国防衛のしくみがよくわかるんじゃないでしょうか。
今日は松野町教育委員会のKさんがご案内くださいました。
とても熱意のある方で、いろいろお話がうかがえて、学びと刺激に。
やるべきこと、やりたいこと、私にもできることがたくさんあって、
今日にでもなせることがあるのに、目の前のことすら満足にこなせていない。
そのわりに、要らんところにエネルギーや時間を費やしている。。
邪念は四万十川に洗い流してきました。
明日から…という急変はできないけれど、
30分早起きするくらいの小さなやる気を出してみようと思いました。
トップの写真は、松野町特産の天然うなぎ。
東京ではありえん価格でいただきました。
養殖もおいしいですよ。
姫野々城へ
憧れの姫野々城をご案内いただきましたよ。
ひゃっほーう!!いい城だな!
久礼田城では土佐にもこんな横堀があるんだな、と感心し、
中村城の慶長期の石垣ではあれこれ談義を。
高知県埋蔵文化センター所長の松田さんに1日ご一緒いただき、
長曽我部の城、土佐の城について
あれこれ学び考えられて充実の1日でした。
写真は四万十川。
リバービューのお宿で、温泉入っておいしいもの食べて寝ました。
風がとっても心地よく、日が暮れるまで風に吹かれながら原稿を書きました。
(…ちゃんと仕事もしてますアピール)
高知城取材
暑いぜよ。酒が止まらないぜよ。カツオがうまいぜよ。
雲ひとつない快晴というやつです。
昨日の長曽我部の城ツアーから一変、本日は近世、山内の城を取材。
今年3月にオープンした高知城歴史博物館の3階展望ロビー、
追手門枡形と天守を俯瞰で収められる、新たな撮影スポットになりそう。
ただ、私の身長ではガラスの反射を避けられるところまで手が届きませぬでした…切ないぜよ。
売店で拙著「城めぐり手帖 現存12天守編」を置いてくださっている、
素晴らしい博物館でした。
現存12天守の比較など、城のキホンに関する展示もありイマドキな印象。
幕末の解説もコンパクトでなかなかわかりやすかったです。
観光施設に近く博物館としてはどうなのか、という意見もあるようですが、
観光地である高知城の追手門の目の前という立地で考えると、
遊び心とちょっと好奇心をくすぐる程度が私はいい気がしました。
完成度にこだわるのも大切ですが、つくる側の思いばかりが強くなりがち。
その向こうの世界へ続く、動線をしっかりつくることが大切なのではないでしょうか。
…と偉そうな意見も残して帰ってきました。
月曜日の昼から酔っぱらいで溢れかえっているひろめ市場、サイコーです◎
考古学から学ぶ史跡の見方・史跡ウォーク「長宗我部元親の居城」
高知県立埋蔵文化財センター主催、
考古学から学ぶ史跡の見方・史跡ウォーク「長宗我部元親の居城」。
岡豊城・大高坂城(高知城)・浦戸城をめぐる8時間のバスツアーでした。
長宗我部元親の居城である岡豊城、
豊臣政権下での築城となった大高坂城、
完全なる織豊系城郭として築かれた浦戸城。
時期は異なりながら、織田・豊臣政権にそれぞれ関わる個性的な3城。
私からは、築城と改変の背景と意義、
織豊系城郭の導入と移行といったあたりで思うことを、
全国の類似する城の事例も交えつつ、お話させていただきましたぜよ。
大高坂城から浦戸城への移行は、一般的には水害対策ができなかった、とされていますが、
実際には豊臣政権下での強制的な移動だったのではないかと思います。
昨年の米子城フォーラムのときに中井均先生とのトークショーでお話したように、
たとえば小早川隆景が新高山城から三原城へと移行した事例、
吉川広家が月山富田城から米子城へと移行した事例と同様に、
文禄・慶長の役に備えての軍港としての築城だったのではないかと。
水害対策ができなかったことが理由であれば、
その後に入った山内一豊が同じ場所に高知城を築くのもおかしな話ですし。
高知城に戻った理由は…いかんせん、浦戸城は城下町形成には不向きだったのではないでしょうか。
実際、大高坂城から浦戸城への移転時はなかなか家臣団が移住せず大変だったようです。
浦戸城で興味深いのは、天守台。
倭城を訪れたとき、海外出兵先の前線基地であるにもかかわらず
当然のように天守台があることに驚いたのを思い出しました。
案内するにあたり報告書を読んだり、
今回しっかりとその塁線を確認できたことで、私としても新発見が多くありました。
浦戸城は国民宿舎や竜馬記念館が建っていて
もはや城らしきものは何もないザンネンな城、と思われていますが、
ぜんぜんそんなことないですよ。
もう少し整備していただけるといいのになあ…。
実質的な秀吉の命による築城、ということであれば
織豊期の城を考える上でかなり重要になってくるのでしょうし、
長宗我部の城を考えていく上でも重要な城なわけで、
しかも調査結果も遺構もある。もったいないなあ、と思いました。
最近は地元の方々もがんばっていらっしゃるとのことで。
地元の方が作成したという散策MAPがとても秀逸でした。
(岡豊城のMAPといい…高知の方はエディトリアル能力が高い気がします)
とてもわかりやすく、しかしそれなりに詳しい人にも役立って、さじ加減もちょうどよくて。
城ファンとして、まず感謝。
こういう努力が少しずつ身を結び、地域の理解、文化財の保護につながっていくといいなと思います。
構造的には、改めて岡豊城はおもしろいなと思いました。
織田信長の影響が部分的に感じられ、改変が明らか。
近年の先駆的なレーザー測量などで全貌が明らかにもなっていますし、
じっくり見ていくとかなりおもしろい城だなあと改めて感激しました。
長宗我部氏の歴史を知るにも、この城の理解は避けて通れません。
岡豊城はもともと人気ですし、続日本100名城にもなりこれから来城者も増えるはず。
このあたりのおもしろさをたくさんの人に伝えていければと思います。
高知の城は畝状竪堀が多くあり、
関東は横堀文化なのだなあと改めて思いました。
岡豊城もさほど標高が高い訳ではなく、
関東平野の丘陵を利用した城と築城のセオリーは同じでもおかしくないわけですが、
まったく発想が違うのだなと感じました。
ただ、やはり毛利系の城とは畝状竪堀の使い方が違いますね。
岐阜の篠脇城なんかとも、違うなと思いました。
畝状竪堀は昨年の中世城郭研究会のセミナーでもテーマになっていましたが、
完全なる地域性なのか、はたまた共通性があるのかなかなか難しいです。。
畝状竪堀の導入、土佐の城については、
翌日いろいろ考えることになるわけですが…。
知見が広がり、私自身もとても勉強になりました。
なにより、みなさんとお話しながら城を歩けてとても楽しかったです。
ご参加のみなさま、高知県立埋蔵文化財センター所長の松田さん、
センターのみなさま、貴重な機会をありがとうございました。
美濃金山城第6次発掘調査 – 打ち合せ(中井研究室)
昨年の「山城へ行こう!」や「城フェス」でもお世話になっている、岐阜県可児市さま。
国史跡・美濃金山城では、今年9月に第6次発掘調査が行われるのですが、
私も、調査員として現場に入れていただけることになりました。
近年、発掘調査後の現地説明会に訪れる城ファンの数は激増していますが、
現地説明会で公式の成果を聞けることはあっても、
発掘調査の目的や方法、経緯や結論以外の可能性を知る機会はなく、
そもそも発掘調査とは何か、よくわからないのが実態ではないかと思います。
学術的な難しいことはさておき。
地域の方や一般の城ファンがもっと城を理解し、城を楽しむヒントが、発掘調査にもあるのではないかと。
せっかく勉強の機会をいただいたので、
傍らにその部分を取材させてもらい、私なりにアウトプットできればと思っています。
実質的な始動日となる今日はまず、整備委員長で顧問の滋賀県立大学教授・中井均先生のもとで、
調査についてのお打ち合わせでした。
調査部分と目的、調査手順、スケジュールなどの確認。
どんなリポートをしていこうか、どう発信していこうか。
私なりにどうまとめていこうか、模索中です。
開かれた発掘調査を、とのことで、見学は随時OKだそう。
私も9月はけっこう可児市に入り浸る予定です。ぜひお越しください。
憧れの中井研究室に行けて幸せでした。
- お仕事のこと,お城のこと,美濃金山城第6次発掘調査 l
- 17/05/12/23:59