城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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「探訪ブック盛岡城」出版記念講演会

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2015年11月15日に、監修させていただいた「探訪ブック 盛岡城」が発売されます。
この記念講演として、11月8日に盛岡で講演会をさせていただきます。

盛岡城の魅力をたっぷりとお話したいと思います!

詳細・お申し込みはこちら→

 

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先月の盛岡での写真。
さすがはプロのカメラマンさん、石垣の積み方・加工や石材の違いなど、
ポイントをしっかり表現してくれてる。うつくしー!

城好きではない人から見たら確実に変態だと思われる私のショットも満載だ(笑)

第22回全国山城サミット米原大会

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10月24日(土)・25日(日)は第22回全国山城サミット米原大会でした。

城の未来に関わる仕事がしたい私にとって、実りある2日間でした。
なにより、楽しかったー!

 

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私にもできることがあるのだな、と。
よい勉強の場と経験を与えていただき、つくづく私は恵まれているなあ…
などと思いながら帰京しました。
とりあえず今日思ったことを具現化しよう。

全国の山城を歩いていると、
保存会によってかろうじて守られている城がたくさんある。
実態を調べてみると、うまく軌道に乗っている団体は稀で、疲弊しているケースも。
そうした団体は行政との連携がまったく感じられないことが多く…。
こんな背景から私なりに考えていたことがあったのだけれど、
ハッとさせられるご意見がたくさんあり、個人的にも有意義でした。
とりわけ富山県砺波市教育委員会の野原さんと
増山城解説ボランティア・曲輪の会さんのお話は貴重なものでした。

 

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講演は「城と名物」というテーマ。
難しい時間配分とお題であった…言い訳はするまい…精進します。

山城の活用を考えていく上で、行きつくところは絶対に「地域」。
過去の城を守ってきたのも、未来の城をつくっていくのも、地域です。
活用法の正解などなく、それぞれが持つ城の個性を大切にしながら、
その地域にとって理想の城を地域でつくり、守り、伝えていくことが
望ましい姿だと思うのです。
それにはやはり、まず地域の城や歴史の理解を深めていくことが大切。
その上で、地域が楽しみながら(コレ大事!)、
地域にとってあるべき城の形をつくって城と共存していければいちばん。
そうした城こそ、よそから訪れる私たち城ファンにとっても居心地がよく、
思い出に残るよい城、になっていくのではないかと思っています。

城ブーム、山城ブームはうれしいことだけれど、
人が増えればファンの温度や興味、楽しみ方や求めるものも多様化してしまい、
だからこそ受け入れるほうの対応は難しい。
肝心なのは、本質を見失わないこと。活用の意味をはき違えないこと。
突き詰めればシンプルなところに到達するのではないでしょうか。

城を観光資源として誘致を考えていくとき、
新しいことや目立つことをすれば人は喜んでやって来る、
といった安直な発想は、愚の骨頂だと私は思っている。
歴史とは現在の蓄積であるのだから、
安直な地域の決断は明日には歴史になってしまいます。
以前、とある新聞に私の発言として書かれてしまったのだけれど、
「城ファンは本物じゃなければ納得しない」わけではないですよ、決して。
—本物ってなに?
それを決めた地域の人たちはきちんと城の歩みや歴史、価値を理解しているの?
本質を理解した上で、すべきことの優先順位を熟考した末の判断なの?
—というところです。少なくとも、私の考えは。

シンポジウムでも発言させていただいた通り、
城の活用を行政や地域が考えていくとき、
お金をかけなくても今日からできることはたくさんあるはず。
地道に楽しく、花を育てるように城のある地域を育てていくのがよいのですね。

私は地道にコツコツ、が苦手だけれど…(笑)、
少しずつ、人とつながり自分を磨き、
少しずつ、なにかを返したり生みだしたりしていけたらいいな。
…などと思ったのでありました。

 

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今、猛烈に落ち込んでいるのが、
シンポジウムで「フィッティングボード」の事例を言い忘れてしまったこと。
次の機会に絶対話してやろうと思っていたのにー!
米原駅近くのサークルKサンクスにも設置されていて、前日感動したのにー!

昨年新設された備中松山城の駐車場施設トイレに登場していました。
(私としたことが写真撮り忘れたよう…Wショック)
これ、試しに使ってみたところかなりいいです。
行政の働きなんでしょうか、まさかコンビニが自発的に?
このあたりのことも知りたかった…どなたかに聞いてみよう。
山城以外にも、商業施設やデパートなどでは
女性用トイレだけだけでなく男性用トイレにも設置されはじめているらしい。
1つ4〜5万円ほどのようです。

 

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いつも私にいろんなものをくださる、
大好きな滋賀県立大学教授の中井均先生に今日も感謝。
最後は米原駅で固い握手をしてお別れしました。
たくさん写真を撮ってもらえてうれしい。
明日からこれを見てがんばる(笑)

知っている顔もたくさん見えて、とてもうれしかったです。
次はゆっくり、お城でお会いしましょう。
保存・活用がテーマにつき城ファンには物足りない内容だったかもしれませんが、
感じていただけるところがあったならうれしいです。

地域にとっても城ファン・観光客にとってもよい城が増えていくといいなと心から思います。

いちばんうれしかったこと。
それは、拙著を手に来場された方がけっこういらしたことです。
重いのに、わざわざありがとうございます。
物書きの端くれとしては、これほどうれしいことはありません。涙。
私のサインはただの署名ですが、喜んで書きますのでいつでもお声がけください。

 

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晴天のなか、城も行けました。

前日の23日(金)に米原入りして、上平寺城→弥高寺跡→八講師城へ。
弥高寺跡、初めて行きましたが…なんじゃ、ここ!
大門の桝形虎口がすごい!
中井先生にお会いするなり、あれこれ質問。
夜は米原市教育委員会の方と彦根で小宴。楽しかった。

 

10月24日(土)は山城サミットの見学・交流会で健脚コースに参加。
鎌刃城→松尾寺山砦→松尾寺へ。
松尾寺山砦、一般的にいわれている通り鎌刃城との関連性はないと思ったけれど、
かといって松尾寺との関連も大いに違和感。
鎌刃城の疑問も含め、こちらも、中井先生にあれこれ質問。
中井先生の見解をうかがい、納得。
私の浅い近江の歴史知識では連想できなかったな…知らないことばっかりだ。

城のことは、またゆっくりじっくり書こう。

 

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前夜のレセプション、ご挨拶しきれない方もいて失礼もしましたが、
行政や地域の方々とお話できて有意義な時間でした。
鎌刃城を1本いただきました♡

トーハン「人気著書のオススメ ○○な時に読みたい3冊」

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トーハンさんの「新刊ニュース」内の
「人気著書のオススメ ○○な時に読みたい3冊」という企画で
オススメの3冊とコメントを載せさせていただいてます。

テーマは「小説で歴史にグッときたいとき」。
ベタなナインナップですが(笑)、何度も読みたくなる好きな小説です。

伊丹ー秋田線

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京都から秋田への移動は、初の伊丹空港→秋田空港というフライト。
飛騨山脈を上空から。

 

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黒部ダムも。きれいー。
1時間30分、楽しめました。

バスケの町・能代の檜山城へ

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さすがバスケの街!
田臥くんの試合をよく観ていたよー。ちょっと感激。

 

檜山城をご案内いただきました。
ほぼ1日時間を割いてくださった能代市教育委員会のHさま、ありがとうございました。
ひとりでは絶対に行けないところまで…感謝です。
檜山城(古寺→本丸→将軍山→舘神堂→中舘→高山→浄明寺)、
大館、茶臼館、多賀谷氏居館、国清寺跡と歩いた1日でした。

安東氏の城はナゾが多いけれどおもしろいなあと思いました。
(檜山城、正面がどっちだかわからんし!そして、どうやって二ノ丸に入るのか…。
本丸の東側から将軍山に至るところだけに枡形虎口があって、このあたりは技巧的だと思うのだけれど、
将軍山から南東へ下る白坂道は延々続く尾根道だというし。。)
ただ、それは武田や北条の城、織豊系城郭を基準に見ているからそう感じるのであって、
ナゾでもなんでもないのかもしれないなあ、ともぼんやり考えながら歩きました。
脇本城と檜山城が似ているかというと、私の知識と経験値では釈然とはしないのですが。。
ただ、脇本城のシンポジウムでも話に出たけれど、
関東の城に比べると土塁の形状や使い方がおだやかというか、城のつくりがやさしく感じられます。

檜山城は、複雑な自然地形をできる限り活かした土の城、という印象。
脇本城とは異なり戦闘があった城のわりには、さほど緊張感を感じません。
戦闘的というより、城下町からの見え方、城下町の監視を意識しているのでしょうか。
標高100メートルくらいの複雑な険しい尾根と急斜面山腹に恵まれた地形を利用するのが
安東氏の城の特徴らしいです。ふむ、標高は脇本城と共通ですね。

北側の曲輪はけっこうおもしろかったです。
明瞭にすべて確認できなかったけれど、竪堀群なんかわりと技巧的なんじゃないかと
(なぜこの斜面を強化するのかよくわからなかったけど)。
北の曲輪群はあまり整備されていないので見学は注意。

夏に購入した小山彦逸さんの本「中世北奥羽の安藤氏系城館跡」を読み込んで、
未踏の城にも訪れてみたいと思います。尻八館に行ってみたい!

史跡脇本城跡イベント②

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秋田県男鹿市の史跡脇本城跡イベント
「脇本城で学ぶ山城のいろは~大地に刻まれた痕跡を見る~」当日。

城歩きの時間だけ、ありえんくらいの大暴風雨でした。
このあとずぶ濡れになり、終了と同時に晴れるという。。
私、暑いのも寒いのもわりと平気なんですが、あまりに予測しておらず、、、
確実につらそうな顔をしてしまいました。ごめんなさい。

 

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午前は城歩きイベント、午後はシンポジウムというプログラムでした。
交通の便がよいとは言えない場所での平日開催ながら、
地元の方々に加え、北は北海道から西は奈良まで400人弱のご来場だったそうです。
城歩きも、定員40名のところ200名超のお申し込みがあったそうで、
関心度の高さにうれしくなりました。

イベントの企画から少し携わらせていただきました。
関わったばかりに男鹿市教育委員会さんにの苦労を増やした気もしますが、
意義あるシンポ開催に少しは貢献できたかなあと振り返り中。。
地道に、まずは地元の方々に理解していただく活動をしたいなと思いました。

城ファンならご存知の「発見!ニッポン城めぐり」というアプリと連動していて、
なるほどこんなイベントの広がりもあるのだなあと思いました。
ともあれ、男鹿市教育委員会さんのがんばりに感服。

 

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千田先生が撮ってくださった写真を無断で掲載。
トークセッションは進行役を仰せつかりドキドキしましたが、
千田先生と昇太さんなので心配ゼロ。
とっても楽しかったです。

史跡脇本城跡イベント①

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秋田県男鹿市の史跡脇本城跡イベント
「脇本城で学ぶ山城のいろは~大地に刻まれた痕跡を見る~」
に呼んでいただきました。

前日の視察中、奈良大学学長の千田嘉博先生と、落語家の春風亭昇太師匠と。
とっても楽しくおやさしいおふたり、ご一緒できてしあわせな2日間でした♡

 

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よい城だー!

 

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なんかいる!と思ったらカモシカさん♡
しかも2匹。かわいいー。

 

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美しすぎるー。
男山と呼ばれる小山にも登りました。5人くらいが立てるスペースがありましたが、
調査をしていないため何があったか、用途などは不明とのことでした。

 

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夜は男鹿温泉で豪勢なおもてなしをしていただきました。
秋田の銘酒もおいしかった(北秋田が好みでした)。

魚好きにはたまらないお料理の数々。
なかでも驚いたのが、男鹿名物の石焼き。
男鹿の漁師料理だそうで、真っ赤になるまで何時間も焼いた金石という入道崎の火成岩を、
新鮮な魚が入った木桶に投入するという豪快なもの。

石を入れただけで魚に火が通るのかなあ、と疑心暗鬼でしたが、
入れた途端、地獄谷のようにぐつぐつと煮えたぎった!
瞬時に火を通すことで魚の身も引き締まり格別なおいしさを引き出すのだそうです。
お出汁がきいていて…おいしさは言葉になりません。
この石は相当熱く、取り出した後も半日くらいは触れないそうです。

京都モーニング

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朝のおさんぽがてら、開城と同時に二条城へ。
そして、好きな喫茶店でモーニング。

京都のカフェ文化ってなにげにすごい。
コーヒーはおいしいし、最近つくったものではない雰囲気に文化を感じます。
ベーカリーのレベルも近年では全国トップクラスですよね。

このお店は、お店の看板のデザインやフォントなんかのセンスも好きだし、
なにより居心地のよい空間が魅力。
照明や椅子の感じとか気張ってなくて好き。
座りやすいし、きちんと使い心地がよいものを長く大切に使ってきた歴史を感じます。

常連らしきおじさんが新聞をめくる音がいい。
静寂に中で響く、トーストをかじる音がいい。
おちつくー。

かわいいお母さんの「おおきに、行ってらっしゃい」の言葉にほっこり癒されたのでした。
ちなみに、バタートーストは90円。

 

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二条城本丸では秋がはじまっていました。

センゴクセミナーで佐柿国吉城

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我ながら楽しそうすぎる、わたし(笑)

毎年現地見学に参加させてもらっている
滋賀県米原市のセンゴクセミナー2015で、福井県美浜町の国吉城へ。
講師の中井均先生と一緒に写真を撮ってもらいご満悦♡
中井先生がちょこっとピースをしてくれている…う、うれしい。

佐柿国吉城へは行ったことがなく、念願の登城。
中井先生の解説のほか、若狭国吉城歴史資料館のOさんが直々に解説してくださり
とてもとても楽しかった。
「いつになったら来てくれるんですか」と言われていたOさんに面目も立った(笑)

 

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山麓の居館と詰城から構成。
山上の詰城だけでなく、山麓の城主居館跡からも石垣が発掘されているそうで。
石垣の築造時期の違いから、居館は江戸時代も使われていたもよう。
関ヶ原合戦後の京極氏時代と、それ以前のものの2時期か。
中井先生が説明しているのは、最下段南面石垣の立派な算木積み(京極時代)。

 

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土の城だと思われていた国吉城、
発掘調査により主郭はほぼ全域が石垣で囲まれていたことが判明。

3段の石垣がセットバックしていたようで、
①高さ約4mの石垣(登城道を登り切ったところから左に1段降りた面)
②幅約4mの道(登城道)
③高さ約4mの石垣(登城道の右手/石垣はちょっと斜め上に折れ曲がる仕様)
④幅約4mの道
⑤高さ約4mの石垣(堀切を越えた左側斜面)
という構造とみられるそう。

なんとー!!どんな城だったんだろう。
城下町からの見え方を意識した織豊系らしい城だったのだなあ。
4mが好きなのか、どうやら構成上の基準値らしい(笑)

 

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木橋がかかっていたという堀切を通過して登城道を登り切ると、
帯曲輪を経て主郭北西側の虎口に到着。
北西虎口は2回クランクする石垣づくりの近世っぽい虎口。
鏡石らしき巨石もありました。

 

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城下を一望!
つまり城下からもこの面は見えていて、豪壮な石造りの城がそびえていたんだろう。
石垣には宝篋印塔が多く使われているとのことで、一部が展示されてました。
なんだかかわいい柄だわ。

 

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主郭東側にも虎口があり、越前へ面するため豪華だったもようです。
大野さんからの詳細な説明を聞きながら、うーんと想像をめぐらす。
石垣が続いていたであろうラインを辿ると、随分と立派な虎口だったらしい。
主郭には川原石が敷き詰められていたそうですが、
虎口の坂道部分では発見されていないとのことでした。

 

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ここからは若狭湾がすぐそばに見えます。
現在の国道27号が、ほぼ丹後街道だそう。

この主郭から尾根先に見えるのが岩出山砦で、
その南西に見えるのが朝倉方の中山付城、その背後に駆倉山付城、狩倉山付城。
かなりの至近距離です。
地図や図面と照らし合わせながら、
標高197.3mに立つこの城が若狭東端を守る若越国境の城だと実感。

中井先生曰く、
このラインで城の様相がががらりと代わり、朝倉の城になるとのこと。
うう…まわってみたい。
国境の城はこういうところがおもしろいなあと思う。
けれどいかんせん、土地勘がないのが残念。

やはり関東人の私は、このあたりの歴史や地理・地形は疎すぎるなあ。
知っていたら、もっと楽しいのに。
歴史資料館で資料をあれこれ入手したので、読み込んでまた教えていただこう。

 

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主郭の東南隅には土塁というか土壇がありました。
なにか天守に匹敵する建造物があったのだろうか…。
切岸に石がごろごろ散在していて、聞いたところ石垣が崩れたものとのこと。
その先には大きな堀切があって、南東側をしっかり遮断していました。
ちょっと降りて見てみたところ、さらにその先に4〜5つの堀切が。
最端部らしきところでサル軍団に遭遇したので慌てて戻りました。

 

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北西の曲輪群は行く時間はなく、なんとなく確認。
登城道の中腹にある伝二ノ丸は全員で立ち寄りました。

現在の登城道は後からつくられたもので、
この伝二ノ丸を通るのが正規ルートだっただろうから、
城主居館跡の西側を通ってここに至ったということ…?

見ものは、西側から東側への動きに備えた、立派な喰違虎口!
高い土塁は南側だけにしかなく、西と南からの侵攻に備えた曲輪のようです。

 

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若狭歴史資料館、きれいで展示が見やすくて、登城前後に寄れてすごくいい。
ブックレットや講演録も充実していて、思わず散財。
史料が揃った図書コーナーのようなところもありました。

 

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センゴクセミナーはランチ付き。
潔いブルーが美しい若狭湾のそばで、甘えびー。
うどんとそばが一緒になった「うそば」も若狭名物だそう

晴天のなか城を歩けたし、たくさんお話しも聞けたし、
道中のおしゃべりも楽しかったし、地のものも食べられたし。
そして若狭国吉城は歩きやすく整備されていて、なによりいい城だったし。
秋の休日を満喫でした。
センゴクセミナーはいつもお気遣いがあって楽しいです。
伊吹薬草の里文化センターのTさん、ありがとうございます!

 

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〆のみかんソフト。かなり美味でした。

名古屋城二之丸庭園発掘調査説明会&岡崎城シンポジウム

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朝のおさんぽin名古屋城。快晴!

 

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江戸城(皇居)の内堀沿いもランニングのメッカだけれど、
名古屋城のまわりもいいランニングコースです。
こうして見ると、江戸城と名古屋城って似てますね。

 

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開門前からすごい人でした。

 

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重要文化財の障壁画「竹林豹虎図」が特別公開されているということで、本丸御殿へ。
玄関一之間・二之間の境に展示されていました。
ガラスケースに入ったものが本物です。
ほえ〜、と見入ってしまいました。

ただ、あまりアナウンスしていないせいか、
ざっと見たところ貴重な重要文化財だと理解している人は少ないように思いました。
だって、みんな復元された障壁画を背景に記念撮影していたもの。。。
きっと、金ピカの障壁画のほうが絵になるからでしょう。
なんだか、ちょっと残念だなあ。

 

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名古屋城に来たもうひとつの理由が、二之丸庭園の発掘調査説明会。
石垣保存技術協議会でもお話されていた、名古屋城総合事務所学芸員の市澤さんの解説でした。
とてもわかりやすい。質問にもテキパキと答えてくださいました。

二之丸庭園は、江戸時代に二之丸御殿の北側に造営された庭園。
ざっくり大別すると①江戸初期②文政期の改変③明治期の改変③昭和以降の整備と4つの時期に分かれ、
ほとんどが③④に大幅に改変されたときの遺構だそう。
よって、現在は①築城時はおろか②文政期の姿もほぼ面影がないのですが、
保存整備事業にともなう調査によって②の姿が部分的に明らかになってきたそうです。

 

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見学した発掘調査現場のひとつ、レンガの兵営舎の痕跡。
当時は貴重なレンガとコンクリートでつくられているのは、さすが陸軍の施設、といったところ。

現在比較的状態よく残っている城の多くは、
明治の廃城令後に陸軍省の管轄となり軍用地として利用された城。
名古屋城二之丸庭園に関しては近代にかなり改変されているため
なかなか城として現役時代だった頃の姿がはっきりと浮かび上がってはきませんが、
城主や時代が変われば城も手を入れられて姿を変えていくもので、それは近代しかり。
「なんだ、見つかったといっても江戸時代の遺構じゃないのか」とガッカリしていた人がいたけれど、
それが名古屋城二之丸庭園の歴史なのだなあ、と私はなんだかふいを突かれた気もしました。

「遺構が破壊されているから価値がない」とか「残っているからスゴい」とか単純なものではなく、
変遷そのものが、人間の歩みで地域の息吹なんですよね。
そんなことを改めて感じました。
なんにせよ、変遷を感じられるのは楽しいのものです。

 

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二之丸御殿北御庭北端の石垣にある練塀の遺構。
「南蛮たたき」といわれるもので、鉄砲狭間が並んでます。
きゃあ、これかっこいい。
発掘調査結果と直接は関係ないけれど、見られて満足。

 

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さて、今日のいちばんの目的は、岡崎市でのシンポジウム。
家康サミット三都物語「家康の城と城下を考える」
中井先生と三浦先生のお話ということで、なかなかの盛況でした。
中井先生、このお題でどんなことをお話されるのかと思ったら…ふふふ。

夜は名古屋の城友さんと急遽ごはんを食べて、楽しい夜でした。