城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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大阪クリスマスの陣

クリスマスは取材&打ち合わせで大阪へ。
で、先日発掘調査が行われた、大坂城山里丸の現地説明会に行ってきました。

今回の発掘調査は、
大阪市教育委員会と財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所が2011年10月から実施。
多聞櫓を構成する礎石や雁木のほか、
寛政年間(1789~1800年)〜戊辰戦争(1868~1869)まで機能したであろう
排水のための大規模な集水枡が見つかり話題になりました。
かなりの高温で焼けて壁と一体化した瓦や、なぜか紛れていた豊臣時代の金箔瓦も展示。
併せて、じっくり見てきました。

 


大坂城で焼けた瓦が発掘、といわれると大坂夏&冬の陣を連想しがちですが、
こちら戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)のときのもの。
(そもそも現在の大坂城は徳川によって江戸時代につくられたものです)
山里丸は豊臣秀頼と淀の方が自刃した場所ですが、
江戸時代の山里丸はまったく違う姿をしており、
加番と呼ばれる警護役の大名やその家臣の屋敷だったそうです。

瓦、焼けて変形したあげくに壁と一体化してます。
金箔のものだけ豊臣時代のものですが、どうして紛れているのかはナゾとのこと。

 

A、B、C、D地区に分けた発掘調査の中でも、D地区の遺構は形状が良好。
南北3.9m、東西3.0mの巨大な石組みの集水枡が発掘されました。
壁面の石材は、なんと最大一辺150cm、高さ80mにも及ぶそう。
城内の排水システムが明らかになったのですから、こりゃスゴい発見ですよ!
しかも、補強の石垣を積んだり、一度泥や砂を沈殿させて水を排出するなど、
思わず感嘆してしまう仕組みが明らかに見て取れました。これぞ先人の知恵。

寛政年間の絵図に「沙留(すなどめ/すなだまり)」として描かれた四角い構造物が、この集水枡。
排水路を設置する穴から19世紀前半の陶磁器が出土していることから、
つまりは1800年には存在し、19世紀前半に改修され、戊辰戦争で廃絶したことが証明されました。

いやはや、さすが大坂城!
「エレベーター付きでニセモノの大阪城天守なんて見る価値なし!」というのは
まあ残念ながらある意味正解ですが、
やはり、歴史的にも城郭としても価値あるおもしろい城だと思います。

難しい記述はマニアックすぎるので割愛しますが、
単純に、掘ったらこれが出てくるってスゴいですよね?
よくぞまあ、長い年月埋まっていたものです。
逆に、なぜ今まで見つけられなかったのか不思議なくらい。
今立っている場所にも、数百年前の日本の欠片が眠っているもかもしれませんね。

それにしても、真冬にも関わらず熱心な城郭ファンがいらして、
発掘に携わった教育委員会の方を質問攻めにしておられました。
私も気になるあれこれを、横でふむふむと盗み聞きさせていただきましたー。
 

お天気よろし、でしたー。

一般参賀&江戸城西の丸探訪

12月23日は天皇誕生日。恒例の一般参賀へ行ってきました。
12月23日と1月2日、年2回の一般参賀は
皇室御一家にお会いできる貴重な日でもありますが、
普段は立ち入り禁止区域になっている江戸城西の丸(皇居)に合法的に入れる、
お城マニアにとってはスペシャルデーでもあります。

 


江戸城西の丸をさらりとガイドしつつ、お出ましへ。
私は熱烈な皇室御一族ファンではありませんが、
ここへ来ると、これだけの人が集まることがなんとなく納得できます。
慈悲深いお心を感じますし、なにより一般人にはない気品がある。
なにかこう、人として心惹かれるものがあります。
あと、皇后様はいつも体ごと天皇陛下のほうを向いていらっしゃるのが素敵です。

 


一般参賀のルートをざっくり説明。
固く閉ざされている現在の皇居の正門、西の丸大手門を抜け、西の丸へ。
現存の伏見櫓。伏見多門と連なる貴重な遺構を二重橋の上から至近距離で見られます。

 


宮内庁正門の坂下門からも出られますが、
蓮池濠からの富士見多門、現存の富士見櫓を見て、桔梗門(内桜田門)から出ます。
ここでは高麗門と渡櫓門からなる典型的な枡形を見ることができます。
無料で開放されている東御苑(本丸、二の丸、三の丸)はこの日は入れませんが、
こんな江戸城探索もなかなかおすすめです。

昨年は城メグツアーとして一般参賀&江戸城ガイドしましたが、今年は個人的にこっそりガイド。
来年はまた催行しようかな、と思ってます。

 

3月の地震で漆喰が剥がれまくった大手門の壁が
いまだそのままなのが心痛し。。

今年のお誕生日

心の故郷・仙台で過ごしましたが、
今年は生まれてきたことや生きていることに感謝したいな、と思っていたのでよかったです。
震災後初めて親戚にも会えたし、お墓参りにも行けました(お墓、ズレてた、、)。
自分をとりまくすべてことを大切に、1日をていねいに積み重ねたいものです。

ここでお礼をするのもなんですが、
メールや電話、FACEBOOKのコメントやメッセージなど、
たくさんの「おめでとう」をありがとうございました!

独立祝い、誕生日、クリスマスとプレゼントをいただく機会が多く
「何が欲しい?」と聞かれるたびに
「デジタル一眼レフカメラかmac book airが欲しい」と答えましたが
それは誰も買ってくれませんでした。まだ受け付けております。

 

仙台2011〜仙台城の被害について〜

2011年12月現在の仙台城の被害状況。

別のお仕事で、事前に教育委員会の方から被害状況について取材させていただいてましたが、
やはり目の当たりにすると辛いものがあります。
3月の地震でもっとも甚大な被害が出たのは、本丸北側の石垣。
車両・歩行者とも完全に通行止めになっています。

 



国定史跡は国の許可なく勝手に修理や調査をできません。
そのせいで放置状態こなのかもしれませんが、
街の発展と比較すると置いてけぼり感が否めず、ちょっと悲しい。
文化財はなくても生活できるけれど、やはり失ってはならない大切なものだと改めて感じました。

こちら別に書く機会があるので、写真だけざっと載せておきます。

 






 

仙台2011〜光のページェント〜

仙台の冬の風物詩、SENDAI光のページェントへ。

 


東日本大震災で60万個の電球が全損したものの、
実行委員会のご尽力と表参道はじめ全国からの支援で、開催が実現しました。
一瞬消灯してから一斉に再点灯する“スターライトウインク”には思わず歓声。
変化がありすぎたこの地の人々にとって、<いつもと同じように開催されること>は
とてつもなく大きなことなんだと感じました。希望の光になりますように。

 

少しずつライトの色が違うのは、支援のライトだから。
表参道のイルミネーションは小さめで繊細な光でした。

そしてこの夜は、従兄弟に牛タン料理をご馳走してもらいました。
厚切り牛タン焼きはもちろん、トロ牛タンの握り寿司、牛タンしゃぶしゃぶなど。
なんだかホッとした、楽しい夜でした。

仙台2011〜松島&多賀城〜

仙台へ行ってきました。
松島→多賀城→仙台光のページェント→仙台城、というスケジュール。

仙台と石巻を結ぶ仙石線の車窓にはまだ津波被害の爪痕が広がっていて、
何事もなくガタゴトと走行する電車とアンバランスな感じがしましたが、それこそ復興の証。
塩竈港のあたりは漁船もちらほら見られ、
まるでモノクロの世界に色が差したような、静の中の動が感じられました。
ですが、仙石線の運行は高樹町まで。その先(奥松島方面)は「いつになることやら…」だそうです。

 

松島の被害は少なかったと報道されていましたが、想像以上で驚きました。
すぐ隣の東松島市は甚大な被害でいまだに大変な状況ですが、
松島では、湾にせり出すように建つ五大堂も流されずそのまま残っていました。
松島湾の島々が緩衝剤となって津波の衝撃をやわらげ、松島を守ってくれたそう。
これもまた、自然の力なのですね。。
朝焼けは、何事もなかったかのように穏やかでキラキラしていました。

 

思い出の店、五大堂前の松華堂菓子店も元気に営業中。

 


松島は子供の頃から何度も訪れている場所ですが、なぜか今回時間を費やしてしまったのが、円通院。
三慧殿は一見の価値あり。
伊達政宗の息子、2代藩主忠宗が早世した嫡男光宗のために建立した霊廟です。
寄棟造萱葺の<大悲亭>は、その名称からも愛息を失った悲しみが伝わってきます。
光宗公は将来有望な有能な若者だったらしく、それゆえ暗殺説もあるのだとか。
太平の時代とはいえ、まだまだこういった黒い陰謀は絶えなかったのですね。
この大悲亭は、江戸納涼の亭を解体移築したものなので、
江戸で残っている建造物ははないので、移築によって残った貴重な遺構といえます。
小堀遠州の作庭といわれる庭がまたすばらしい。
こちらも江戸から移築したそうな(池ごと移動!)。
秋の紅葉ライトアップはそれはそれば美しいそうです。

 


石庭<雲外天地の庭>も、すばらしい。
<地の庭>はなんてことない石畳のようで、3種類の石で人生を表している。
手前から、生まれたままの割石から叩かれ、磨かれて成長する様。
天水橋が架け橋になり<天の庭>と結ばれるそうです。
光宗公に対し、あの世へ行っても精進して立派な人間になるように、との願いが込められているとか。
愛情とは、ただかわいがることではないんですね。

 



松島を後にして、多賀城へ寄ってきました。
こちらも大変な場所でしたが、現在はだいぶ落ち着いたようです。
多賀城跡のレビューは、改めて書きますね。

この日は秋保温泉に泊まりました。雪見温泉、サイコー。

Chara Live Tour2011“Very Special”

半年ぶりに、崇拝するCHARAのLive@SHIBUYA-AX。
あれもこれも、大好きな曲目白押し。
20周年の〈Very Special〉にふさわしい、不朽の名曲揃いでした。

「毎日淡々と自分を生きることって難しいよね」とCHARAが言ってました。
いつも音楽を通じて、うわべの無意味さを教えてもらう気がします。
次は2月のポピュラーウィーク2012。

皆既月食

理数系はどうにもこうにも苦手で
何度説明されても原理を理解できないのですが、
とにかくものすごいキレイでした。
冬の空は澄んでいて好きです。

【WORK】辰巳出版「お城の手帖」

2011年12月9日に辰巳出版さんから発売された
【お城の手帖】に執筆させていただきました。

お城ムックにしては珍しい、A4の大判サイズ。
お写真大きめ&見やすさ重視の誌面レイアウトで、特集ページはなんと撮り下ろし!
小和田哲男先生の監修ページや三浦正幸先生の解説ページもある、なんとも豪華なつくりです。
合戦、武将、構造と多角的に城に迫った充実の内容ですし、
ビギナーさんからお城ファンまで楽しめる、充実の内容になっていると思います。

私は巻頭特集「完全制覇!姫路城」のほか
「滋賀県125城一挙紹介」「東北の名城38城の現在」など書かせていただいています。
現在工事中の姫路城大天守の様子も徹底取材。
今だからこその楽しみ方もご紹介しています。

全国の書店、ネットショップで発売中。
ぜひご覧ください。

城メグリスト

東北にクリスマスプレゼントを送ろう

参加させてもらっているボランティアチーム「HRH」&「東日本支援ネットワークはぐみ」で
被災地のみなさんへクリスマスプレゼントを送る企画をしています。
●2,000円以内のプレゼント
or
●プレゼント購入代のご寄付
のいずれかでご協力をお願いしています。
もちろん、1人1個でもOKです。

寄付金の場合はHRHがプレゼント&ラッピング、現地への送料ははぐみが負担します。
送付先はこれまでボランティアでお邪魔した避難所や現地団体で、
お子さまの数も確認し、みなさまに喜ばれるものが行き届くよう調整してくれています。
お気持ちを、確実に被災地へお届けできます。

詳細、送付先や振込先はこちら →

ちなみに“ペンギンおじさん”は
東北支援団体はぐみの主催者、我らがリーダーkazさんこと品川一治さんです。
ものすごーくちゃんとした方ですのでご安心を(笑)

不安な場合は、私にメッセージをいただいても。
ぜひ、ご協力お願いいたします。