城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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姫路城石垣見学&大天守瓦の記名

「ふりかえり城メグ日記/2012年1~2月」その2。

姫路市立城郭研究室主催の姫路城石垣セミナーに参加してきました。
城郭研究室の方には以前取材でお世話になりましたが、
当たり前ですが、城郭に関する知識と研究成果がすばらしい!

姫路城は世界遺産だけに研究も調査も資料も充実しているけれど、
それでも解明されないことばかりだし、知らないこともたくさん。突然新たな学説が生まれたりもする。
石垣というひとつのパーツからだけでもいろんなことが紐解けていく。城はミステリーです。





「なんだ、この写真?石が並んでるだけで意味わからん!」と思うことでしょう。これでも厳選ですよ(笑)
1枚1枚、石のミステリアスかつファンタジックなストーリーを語りたいところですが、
「ふりかえり城メグ日記」中なので割愛しますね。
私はこの写真を見てにやにやできるので、備忘録としては意味をなしているということで。
石質や積み方の違いや刻印に秘められた謎を解く楽しさはもちろん、
なぜここに石垣があるのか、戦略的な設計の部分はもちろん、地形や地質にまで見解が及ぶ。
つまり、今も昔もスゴいものには理由がある、というのがおもしろい、ということです。

ところで、大盛況だったこのセミナー、
定員の3倍もの応募があったそうです(市民セミナーなので、姫路市民だけで)。
城郭研究室の方の説明が分かりやすい上に聞きやすく、みなさんとても楽しそうなのが印象的でした。
もちろん人に語る以上はあるレベル以上の知識が必要だけれど、
“楽しんで知ってもらう”には、もっと違うものも大切だなあ、と痛感しました。
トーンとかリズムのようなものも大いに重要ですね。

さて、姫路に来たもうひとつの理由は、葺き直される姫路城大天守の瓦への記名。
「愛城(あいじょう)募金」という修繕費用寄付の特典です。
久しぶりに城のイラストを描いたら失敗しました(涙)


大天守は、いよいよ瓦の葺き替えがスタートしていました。
半世紀に一度の大修理工事については、
【お城の手帖(タツミムック)】の「姫路城のすべて」という特集で書かせていただいてます。
写真も撮り下しの贅沢な特集になってますので、よかったら見てみてくださいね→

岐阜の城をぐるり

2ヶ月近く、城メグ日記の更新が滞ってしまいました。
一部ではここで生存確認がされているらしく、心配をおかけしてしまいました。
いたって元気です。すいません。
ざざっと、「ふりかえり城メグ日記/2012年1~2月」を書いておきます。

その1、岐阜の城めぐり。
ちょいと姫路に用事があったので、取材も兼ねて岐阜に寄りました。
かなり久しぶりの岐阜城をはじめ、岐阜市&大垣市周辺の城をうろうろと。




念願だった苗木城、すばらしかった!!こりゃ隠れた名城ですな!
遠山資料館も含め、かなりの時間を捧げてしまいました。
お決まりのセリフですが、詳しいレビューはいつか「城ある記」で(笑)
 


苗木城の看板、桜と城のイラストをあしらったステキなデザインですが、書いてある内容はシュール。
石垣崩落の危険性があるため、城では石垣から離れて通行することを促されるものですが、
この城は、絶壁のため石垣側のほうが安全。
たしかに、<崖から転落>よりも<石が落下>のほうが危険レベルとしては低いですね。

菩提山城では、登っているうちに雨が雪に変わり、そのうち霰に。
で、下山したら豪雨。歩きながら標高と気候のつながりを実感しました。
ぐちゃぐちゃどろどろでなんとか帰還。ちょっと無謀でした。下山する勇気も必要です。

第88回箱根駅伝を観戦

お正月といえば、箱根駅伝。
今年は、山の神・東洋大学柏原くんのラストランということで、
伝説誕生を期待しつつ、ナマ柏原くんを見るべく5区観戦に行ってきました。
 

陣取ったのは、中間地点の宮ノ下温泉。富士屋ホテル駐車場側入口の最前列。
毎年テレビを見ていると、宮ノ下だけは選手名の大コールで沸いていて、
応援に一体感があって楽しそうだなと思っていたのです。
きっと取りまとめてくれる有志の応援団がいるんだろう、と。

宮ノ下では、応援旗以外に、全大学の5区選手の名前が書かれた紙まで配布。
やはり有志らしい応援団の方がいて、“柏原コール”の練習もありました(笑)
この方が、次に来る選手の名前が書いたお手製のプラカードを掲げた上で
コールを起こしてくれるので、応援が楽しかったです。

 

宮ノ下を選んだ理由はもうひとつ。
宮ノ下名物の渡邉ベーカリー「温泉シチューパン」が無料で配られるのです!(先着1,000?個)
ただ寒い中待つより、シチューパン行列に並んだほうが時間も潰せていいことづくし、ということで。ふふ。

 

ナマ柏原くんですが、色白のつるつる美肌でした。
そして、太腿がものすごく太くてびっくりしました。
柏原くんに限らず、意外とがっちりで足の筋肉がモリモリ。
もちろんものすごくスリムなんですが、体脂肪がなさそうな感じです。
上半身が細いから、中継だけ観ていると華奢に見えるのでしょうかね。
後で聞きましたが、箱根駅伝の選手は体脂肪率4~5%(!)らしいです…心から衝撃。

毎年テレビ観戦していると、引き締まった表情からも強靭な精神力が見て取れて
とても20歳そこそことは思えないなあ、とただただ尊敬なのですが、
近くで見る選手はとってもフレッシュ。
肌がピチピチで、やっぱり若いんだなあ、と思いました。
汗だくも、若いと美しい(笑)
若いっていいなあ、と改めて思いましたよ、はぁ。

それにしても柏原くんの走りは素人が見ても違いました。
足を蹴り上げてから前に運ぶまでが他の選手と比べてはるかに軽々しく早い!
坂道とは思えぬ軽快な足取りで、マッハで走り去って行きました。。。

そして、意外と健闘していた我が母校。
地味に頑張れー、と密かに応援していましたが、2区、3区では3位になっていて大コーフン。
目の前を通過したときは、熾烈なデッドヒートを繰り広げていて思わず大声援。

テレビ観戦のようにレースの一部始終を見ることはできないけれど、
現地は応援は臨場感があってとても楽しかったです。
選手が近づいてくると花火が上がるし、ヘリが近づくし、ざわめくし。
選手の必死な表情とひたむきな走りは、一瞬見るだけでもちょっと感動するものがあります。
バイク中継のカメラさんのすごいスキルにも感心です。

現地の様子で驚いたのは、ロードバイクの多さ!
大手町から同時にスタートして、箱根を目指してきたんでしょうかね?
あと、意外と直前まで交通規制をせず車両を通している上、
最終選手が去った途端、解除されていたことも驚きでした。撤収早すぎ!
箱根周辺は道がないので理解できるんですが、
あんまり余韻を感じさせてくれないんだなあ、と思いました(笑)

 

復路は、5時半起きで温泉に入り、早々にチェックアウト。
8時に箱根湯本駅前で観戦スタンバイして応援してきました。
8時に芦ノ湖をスタートしたばかりなのに、8:40頃には湯本を通過。
坂道を転がり下りてきたのかという猛スピードで、選手達が駆け抜けて行きました。
8位以降は繰り上げの一斉スタートなので、
あまり時間差なく全選手が行ってしまってちょっとさみしかったかな。

終わってみれば東洋大学のすごすぎる完全勝利でしたが、
いろんなドラマがあるなあ、と思いながら、しみじみ録画を観ました。
全力をかけたシード争いには、観ているこちらも熱くなってしまいます。
そして、繰り上げスタートの瞬間ほど、見ていて辛いものはない。。
中央大&神大の執念と、東農大のコンセントレーションには感服。
年明けに素晴らしいものを見せてもらいました。私も今夜からしっかり仕事がんばろ。
 

三浦まぐろツアー2011

親愛なるホップの会、年末恒例の三浦まぐろツアー。今年は日帰り。
三崎まぐろ祭りで正月用のお刺身や魚介類を買い漁ることがメインイベントです。
とにかく安い!なんでもありな乱暴な商売!試食が充実!
おいしい!あやしい!大好き!
商店街のある町で生まれ育ったせいか、
市場の活気あるムードはものすごく好きで落ち着きます。

 

超肉厚なエボダイ3匹1,000円、巨大な真アジ6匹500円、塩辛、エイヒレ、みそ汁用まぐろなどなど購入。
これで、2012年はしばらくおいしいお魚ライフです♡

 

そして、こちらふっくらシラス1kg、2,500円!
ジップロック持参で分け合いました。
おばさん的行動ではなく、デキる女子ということにしてください。

夜は餃子の街蒲田へ移動して全力締め会。
本場中国では水餃子がスタンダードということは、
<焼き餃子×ビール>のコラボは、日本人独自の食文化ではないでしょうか?うーん、すばらしい!
「もう終電か、早〜い!」と名残惜しみつつ終電で帰りましたが、
16:30から24:30まで飲めば十分ですね(正確には11:30から乾杯)。

大阪クリスマスの陣

クリスマスは取材&打ち合わせで大阪へ。
で、先日発掘調査が行われた、大坂城山里丸の現地説明会に行ってきました。

今回の発掘調査は、
大阪市教育委員会と財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所が2011年10月から実施。
多聞櫓を構成する礎石や雁木のほか、
寛政年間(1789~1800年)〜戊辰戦争(1868~1869)まで機能したであろう
排水のための大規模な集水枡が見つかり話題になりました。
かなりの高温で焼けて壁と一体化した瓦や、なぜか紛れていた豊臣時代の金箔瓦も展示。
併せて、じっくり見てきました。

 


大坂城で焼けた瓦が発掘、といわれると大坂夏&冬の陣を連想しがちですが、
こちら戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)のときのもの。
(そもそも現在の大坂城は徳川によって江戸時代につくられたものです)
山里丸は豊臣秀頼と淀の方が自刃した場所ですが、
江戸時代の山里丸はまったく違う姿をしており、
加番と呼ばれる警護役の大名やその家臣の屋敷だったそうです。

瓦、焼けて変形したあげくに壁と一体化してます。
金箔のものだけ豊臣時代のものですが、どうして紛れているのかはナゾとのこと。

 

A、B、C、D地区に分けた発掘調査の中でも、D地区の遺構は形状が良好。
南北3.9m、東西3.0mの巨大な石組みの集水枡が発掘されました。
壁面の石材は、なんと最大一辺150cm、高さ80mにも及ぶそう。
城内の排水システムが明らかになったのですから、こりゃスゴい発見ですよ!
しかも、補強の石垣を積んだり、一度泥や砂を沈殿させて水を排出するなど、
思わず感嘆してしまう仕組みが明らかに見て取れました。これぞ先人の知恵。

寛政年間の絵図に「沙留(すなどめ/すなだまり)」として描かれた四角い構造物が、この集水枡。
排水路を設置する穴から19世紀前半の陶磁器が出土していることから、
つまりは1800年には存在し、19世紀前半に改修され、戊辰戦争で廃絶したことが証明されました。

いやはや、さすが大坂城!
「エレベーター付きでニセモノの大阪城天守なんて見る価値なし!」というのは
まあ残念ながらある意味正解ですが、
やはり、歴史的にも城郭としても価値あるおもしろい城だと思います。

難しい記述はマニアックすぎるので割愛しますが、
単純に、掘ったらこれが出てくるってスゴいですよね?
よくぞまあ、長い年月埋まっていたものです。
逆に、なぜ今まで見つけられなかったのか不思議なくらい。
今立っている場所にも、数百年前の日本の欠片が眠っているもかもしれませんね。

それにしても、真冬にも関わらず熱心な城郭ファンがいらして、
発掘に携わった教育委員会の方を質問攻めにしておられました。
私も気になるあれこれを、横でふむふむと盗み聞きさせていただきましたー。
 

お天気よろし、でしたー。

一般参賀&江戸城西の丸探訪

12月23日は天皇誕生日。恒例の一般参賀へ行ってきました。
12月23日と1月2日、年2回の一般参賀は
皇室御一家にお会いできる貴重な日でもありますが、
普段は立ち入り禁止区域になっている江戸城西の丸(皇居)に合法的に入れる、
お城マニアにとってはスペシャルデーでもあります。

 


江戸城西の丸をさらりとガイドしつつ、お出ましへ。
私は熱烈な皇室御一族ファンではありませんが、
ここへ来ると、これだけの人が集まることがなんとなく納得できます。
慈悲深いお心を感じますし、なにより一般人にはない気品がある。
なにかこう、人として心惹かれるものがあります。
あと、皇后様はいつも体ごと天皇陛下のほうを向いていらっしゃるのが素敵です。

 


一般参賀のルートをざっくり説明。
固く閉ざされている現在の皇居の正門、西の丸大手門を抜け、西の丸へ。
現存の伏見櫓。伏見多門と連なる貴重な遺構を二重橋の上から至近距離で見られます。

 


宮内庁正門の坂下門からも出られますが、
蓮池濠からの富士見多門、現存の富士見櫓を見て、桔梗門(内桜田門)から出ます。
ここでは高麗門と渡櫓門からなる典型的な枡形を見ることができます。
無料で開放されている東御苑(本丸、二の丸、三の丸)はこの日は入れませんが、
こんな江戸城探索もなかなかおすすめです。

昨年は城メグツアーとして一般参賀&江戸城ガイドしましたが、今年は個人的にこっそりガイド。
来年はまた催行しようかな、と思ってます。

 

3月の地震で漆喰が剥がれまくった大手門の壁が
いまだそのままなのが心痛し。。

今年のお誕生日

心の故郷・仙台で過ごしましたが、
今年は生まれてきたことや生きていることに感謝したいな、と思っていたのでよかったです。
震災後初めて親戚にも会えたし、お墓参りにも行けました(お墓、ズレてた、、)。
自分をとりまくすべてことを大切に、1日をていねいに積み重ねたいものです。

ここでお礼をするのもなんですが、
メールや電話、FACEBOOKのコメントやメッセージなど、
たくさんの「おめでとう」をありがとうございました!

独立祝い、誕生日、クリスマスとプレゼントをいただく機会が多く
「何が欲しい?」と聞かれるたびに
「デジタル一眼レフカメラかmac book airが欲しい」と答えましたが
それは誰も買ってくれませんでした。まだ受け付けております。

 

仙台2011〜仙台城の被害について〜

2011年12月現在の仙台城の被害状況。

別のお仕事で、事前に教育委員会の方から被害状況について取材させていただいてましたが、
やはり目の当たりにすると辛いものがあります。
3月の地震でもっとも甚大な被害が出たのは、本丸北側の石垣。
車両・歩行者とも完全に通行止めになっています。

 



国定史跡は国の許可なく勝手に修理や調査をできません。
そのせいで放置状態こなのかもしれませんが、
街の発展と比較すると置いてけぼり感が否めず、ちょっと悲しい。
文化財はなくても生活できるけれど、やはり失ってはならない大切なものだと改めて感じました。

こちら別に書く機会があるので、写真だけざっと載せておきます。

 






 

仙台2011〜光のページェント〜

仙台の冬の風物詩、SENDAI光のページェントへ。

 


東日本大震災で60万個の電球が全損したものの、
実行委員会のご尽力と表参道はじめ全国からの支援で、開催が実現しました。
一瞬消灯してから一斉に再点灯する“スターライトウインク”には思わず歓声。
変化がありすぎたこの地の人々にとって、<いつもと同じように開催されること>は
とてつもなく大きなことなんだと感じました。希望の光になりますように。

 

少しずつライトの色が違うのは、支援のライトだから。
表参道のイルミネーションは小さめで繊細な光でした。

そしてこの夜は、従兄弟に牛タン料理をご馳走してもらいました。
厚切り牛タン焼きはもちろん、トロ牛タンの握り寿司、牛タンしゃぶしゃぶなど。
なんだかホッとした、楽しい夜でした。

仙台2011〜松島&多賀城〜

仙台へ行ってきました。
松島→多賀城→仙台光のページェント→仙台城、というスケジュール。

仙台と石巻を結ぶ仙石線の車窓にはまだ津波被害の爪痕が広がっていて、
何事もなくガタゴトと走行する電車とアンバランスな感じがしましたが、それこそ復興の証。
塩竈港のあたりは漁船もちらほら見られ、
まるでモノクロの世界に色が差したような、静の中の動が感じられました。
ですが、仙石線の運行は高樹町まで。その先(奥松島方面)は「いつになることやら…」だそうです。

 

松島の被害は少なかったと報道されていましたが、想像以上で驚きました。
すぐ隣の東松島市は甚大な被害でいまだに大変な状況ですが、
松島では、湾にせり出すように建つ五大堂も流されずそのまま残っていました。
松島湾の島々が緩衝剤となって津波の衝撃をやわらげ、松島を守ってくれたそう。
これもまた、自然の力なのですね。。
朝焼けは、何事もなかったかのように穏やかでキラキラしていました。

 

思い出の店、五大堂前の松華堂菓子店も元気に営業中。

 


松島は子供の頃から何度も訪れている場所ですが、なぜか今回時間を費やしてしまったのが、円通院。
三慧殿は一見の価値あり。
伊達政宗の息子、2代藩主忠宗が早世した嫡男光宗のために建立した霊廟です。
寄棟造萱葺の<大悲亭>は、その名称からも愛息を失った悲しみが伝わってきます。
光宗公は将来有望な有能な若者だったらしく、それゆえ暗殺説もあるのだとか。
太平の時代とはいえ、まだまだこういった黒い陰謀は絶えなかったのですね。
この大悲亭は、江戸納涼の亭を解体移築したものなので、
江戸で残っている建造物ははないので、移築によって残った貴重な遺構といえます。
小堀遠州の作庭といわれる庭がまたすばらしい。
こちらも江戸から移築したそうな(池ごと移動!)。
秋の紅葉ライトアップはそれはそれば美しいそうです。

 


石庭<雲外天地の庭>も、すばらしい。
<地の庭>はなんてことない石畳のようで、3種類の石で人生を表している。
手前から、生まれたままの割石から叩かれ、磨かれて成長する様。
天水橋が架け橋になり<天の庭>と結ばれるそうです。
光宗公に対し、あの世へ行っても精進して立派な人間になるように、との願いが込められているとか。
愛情とは、ただかわいがることではないんですね。

 



松島を後にして、多賀城へ寄ってきました。
こちらも大変な場所でしたが、現在はだいぶ落ち着いたようです。
多賀城跡のレビューは、改めて書きますね。

この日は秋保温泉に泊まりました。雪見温泉、サイコー。