城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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【春風亭昇太と登る鎌刃城址】

【2011 湖北“センゴク”セミナー 現地セミナー 春風亭昇太と登る鎌刃城址】に行ってきました。

前々から行ってみたいと思いつつ、未踏だった鎌刃城。こんなにも魅力のある城だったとは!
鎌刃城については、文献も購入したもののまだ目を通していなかったりもするので、また改めて。
ひとまず、ざっくりとこの日の感想などを書きますね。

 

芸能界きってのお城好き、昇太師匠。なんと自作(!)の足軽衣装で登場。
さすが、人を楽しませる達人ですね。
この格好で、登ってました。さすが山城マスター。お城へのリスペクトと偏愛を感じます。

 

   
   

鎌刃城は、西は琵琶湖の水運、東は美濃、南は京、さらには越前へ続く北国街道の分岐も近い交通の要衝。
江南の六角氏と江北の京極氏・浅井氏によって争奪戦が繰り返された歴史があります。
つまり鎌刃城は、湖北と湖南の境目だった、この国境の城なのです。
そりゃもう、どっちも欲しかったことでしょう。

 

東山道番場宿から徒歩1時間。
なぜこんなところに?という場所に突然ある標高384mの山城ですが、
登れば納得、北には京極氏の居城上平寺城、浅井氏の居城小谷城、そして南には佐和山城が丸見えという好立地。
こんなにも絶妙にして奇跡的な立地なのにも関わらず、
登城前は、どの山が鎌刃城なのか、遠巻きに見るとあまりよくわからないから不思議。
しかも、おもしろいほど佐和山城を見下ろせるのにも関わらず、佐和山城からは鎌刃城は見えません。
これは本当にもう、これも含めて鎌刃城のすごさというべきマジック。

 

 

堀切。人がいると、大きさと傾斜がわかっていいですね。

 

 

コースから逸れて、見に行ってみた大石垣。
思いのほか危険なエリアで、1人で行っていたら、滑って急降下して死んでました。
一緒に行ってくれたマニアの方、助けてくれた地元の方、ありがとうございました。

 

 

昇太師匠は<近江お城大使>に任命されました!記念樹?に私も名前を書いてきましたよ。

 

元滋賀県米原市教育委員会、元長浜城歴史博物館館長で、
NPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」理事長、滋賀県立大学教授中井均先生は、
平成10~14年の発掘調査に携わってこられた方なのですが、
その時の成果は貴重なもので、直接お話を聞けて嬉しかったです。

調査から証明された建物の構造や発掘物、推定される廃城の時期をはじめ、
やはり特筆すべきは、主郭虎口の一直線の大規模な石垣と石段。
これは、織田信長が安土城で総石垣の城を初めてつくったという定説を覆すもの。
つまり、安土以前に、安土にこんなにも近い場所で石積みの技術があり、
戦国時代に総石垣の城が存在した、ということです。
穴太積みとは異なる、石と石の間を粘土で埋める工法だというのも興味深い。

織田信長による「破城」という歴史の片鱗も、明らかになっています。

 

さて、昇太師匠といえば、食事も取らずに1人で大堀切の写真を撮りに行ったりと(マイデジカメ)
ただの山城マニアになっていたのが好感度大でした(笑)
もちろん、人気者ゆえに、写真やトークに応じて大忙しだったのですが、
お城愛を抑えきれなかった瞬間があったようでした。
その様子を微笑ましく見てらした中井先生も微笑ましかったです。

 

  
  

ランチの時間が惜しくて、大石垣に膨大な時間を取られたせいで見逃していた、門周辺へ。
「こんな門跡は初めて見たよー!」と大コーフンでした。
思わず1人でザクザクと裏側まで散策してみました。
昇太師匠がうまい表現をしてらっしゃいましたが、「石垣」ではなく「石張り」ですね。
土塁のまわりに、まるで補強タイルのように石を貼付けていくような。

下山した途端、地元の方に
「ヒルたくさんいたでしょ?大丈夫だった?靴の中入ってない?」と5人から聞かれました。
どうやらこの時期はヒル大発生シーズンらしい…先に言ってよ。。
知らなかったおかげで、果敢に攻められてよかったです。

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午後は、『春風亭昇太のおも城噺』。
こちらは、米原市民の方もたくさん来られてました。

そして、昇太師匠と中井先生のトークショー。これもおもしろかった!
昇太師匠の城の“個性”を見る、という独自の楽しみ方を語る姿に共感しつつ、
どうすれば城のよさを伝えられるか、継承できると思うか、みたいなお話は
私も大いに興味がある部分だったので、考えさせられたりもしたり。

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と、イベントはここまでだったのですが、ご厚意で、昇太師匠の歓迎会にも参加させていただきました。

泉市長をはじめとした米原市のみなさま、伊吹薬草の郷文化センター副館長、伊吹山文化資料館長の谷口さま、
安土考古博物館の大沼副館長、佐和山城研究会の田附さま。
文化財や地域と密に携わり、日々継承と発展に尽力されている方々とのお話は、
どれも興味深く、勉強になることばかりでした。
今まで知らなかった近江の魅力にも、たくさん出会えましたし。
本当に貴重なお時間をいただきました。ありがとうございました。
谷口経済環境部長さま、囲炉裏の宿へのツアー、ぜひ実現いたします!

 

そして感激といえば、この湖北グルメ。
西番場ふるさと味の会のみなさまがつくってくださった郷土料理の数々です。
味の会は、ふるさとの味の伝承と開発を目的に、年齢を超えた触れ合いや地域の活性化に貢献されているそうです。

どれだけ心のこもったお料理だったかは、写真を見ればわかりますよね。
調理室の使用開始時間が13時になっていたので、半日かけて準備してくださったのだと思います。

なによりもうれしいのは、こういうおもてなしの心ですね。
どんなに高いお店に連れていかれるより、私はこちらのほうがうれしい。

 

   

湖北にはおいしくて珍しいものがいっぱい。東京では、あんまり知られてないんですよね。もったいない。

左から/
○長浜の郷土料理「焼き鯖そうめん」。
焼き鯖を甘辛く炊き込んだだし汁で、そうめんを煮込んだもの。私の大好物です。
○滋賀グルメの代名詞「鮒寿司」。
素面ではとても食べられませんが、日本酒のアテにはたまらない。
ちなみに素材の質や製造法によって味も値段もピンキリだそう。こちら高級品!
○1200年超の歴史を誇る「丁字麩の辛子酢みそ和え」。
加賀の治部煮に入っているような生麩とも、仙台麩(油麩)ともひと味違う、
もちもち食感となめらかさ。
私の中でKING OFお麩かもしれません。
○近江八幡発祥「赤こんにゃく」。
派手好きな信長にちなんだ色だとか。なにげに、意外とおいしい。

 

   

○琵琶湖生まれの「ビワマスフライ」。
琵琶湖にしか生息しないマス。味が濃くて、甘くて、脂ノリノリ。
○地元産馬肉の薫製「さいぼし」。
○関東の私からすると関西の味「豆腐の田楽」。
○地元産大根のとのハーモニーがたまらん「合鴨ロース」。
などなど。

 

そして、近江お城めぐりの新名物(?)、石垣団子。ネーミングがすばらしい!
滋賀のおいしい地酒もたくさんいただきました。

泉市長はじめ、米原市のみなさまが次々にいらしてお酌してくださいました。
みなさん間違いなく偉い方々なのでしょうが、気さくで楽しく、愛がある。
そして、2人以上になると芸人のよう(笑)いたるところで<米原漫才>が繰り広げられていました。

 

昇太師匠と。とてもやさしく楽しい方でした。

 

 

中井先生はお城界では有名な先生ですが、気さくでお話もおもしろく、
とってもステキな方で、すっかりファンになりました。
「僕も城メグリストになりたいなあ!」と言ってくださってうれしかったな。
ご紹介などもしてくださって。人がお好きなんでしょうね。
米原市の方にノセられて、恐れ多くも握手ショットも。中井先生、失礼しました!
 

近江のお城と近江の国がさらに大好きになった、夢のような1日でした。

 

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【WORK】イカロス出版「あやしい天守閣」

イカロス出版さんから2011年9月28日に発売された
【あやしい天守閣】に執筆させていただきました!

想像、妄想、偏愛、地域の切実な諸事情などなど、
いろんな理由で残念なことになっている、全国のイカサマなお城たち。
そんなあやし〜い部分に迫り、時折ぶった切っている、
ちょっとシュールでおもしろいお城本になってます。

全国の書店、ネットショップで発売中。

ぜひご覧ください♪
 

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おひさま

NHKの連続テレビ小説「おひさま」が終わってしまいました。
何度、朝から泣いたことか…(笑)
お手本にしたい言動がたくさんあったドラマでもありました。
戦後はほのぼのとしていて、とにかく日向子がかわいかったなー。

ドラマチックな悲劇でもサクセスストーリーでもないけれど、
人や物や時間、身のまわりのすべてにちゃんと向き合って、
太陽のように上を向き、つつましくしなやかに生きて行く姿は、見ていてすがすがしかった。
陽子さんみたいに、今という時を大切にして、人を愛して、
ちっちゃな幸せを見つけて生きていけたら幸せだなあ、と思います。

ちなみに。
実直で心やさしく、無口だけど言うときは言う、
親孝行で子煩悩で家族思いのかずさんは理想的な夫なのでしょうが、
私はそこをあえて、しげ兄ちゃん派でした。
あのひねくれているけど芯が強くて、不器用だけど懐が深い感じがたまりません。
育子さんと結婚してくれてうれしかったー。おめでとう、しげ兄ちゃん!

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【WORK】池田書店「歴史を訪ねる 城の見方・楽しみ方」

池田書店さんから2011年9月14日に発売された
【歴史を訪ねる 城の見方・楽しみ方】、執筆させていただきました!
全224ページ、なかなか充実のお城本です。

歴史好き&城好きなら知っているであろう、
大河ドラマ「江」の時代考証も担当されている小和田哲男先生の監修です。

お城めぐりしてみたいな、どんなお城があるのかな、という方にぴったりの
日本全国のお城の辞典、という感じになってます。
日本城郭協会認定の100名城を中心としたベーシックなチョイスで、
すべて小和田先生による見どころポイント付き。
攻防戦、復元技術、歴史など、多角的な解説で読み物としても楽しめ、
アクセス&地図掲載で、城めぐりのバイブルにもおすすめです。

全国の書店、ネットショップで発売中。

ぜひご覧ください♪

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青森&秋田&山形へ城めぐり






取材も兼ねて、青森、秋田、山形の城へ行ってきました。

弘前城築城400年祭 平成23年度建造物・宝物特別拝観事業として9/23~25の3日間だけ特別公開された、
弘前城の辰巳櫓・ 東内門(ともに重要文化財)へも。
一般客が5~6ローテーションする間、櫓内に居座りくまなくチェック。
学芸員さんのお話もたくさん聞け、なかなか充実の時間でした。

そのほか、久保田城、秋田城、横手城、山形城、長谷堂城、上山城、米沢城と南下。
私的感想&レポは、時間ができたら改めて。(・・・といって、いろいろ溜まる。。。)

今回は、久保田城の素晴らしさを再認識。
久保田城は遺構としても貴重で、楽しみ方も千差万別。
だけど、あくまで“城好きが楽しめる城”。
事前知識なしにいきなり訪れても確実につまらないし、労力の無駄に近い。
文化財を身近に楽しんでもらうためには、ほんの少しの橋渡しが必要。その役をしたいと改めて感じました。

田んぼ、山、空。大自然のトリコロール。
2時間経っても変わらない、ローカル線車窓の風景を見ながら、いろいろ考えられた旅でもありました。
こういう時間も大事ですね…

弾丸でしたが、バタバタとできる限り地のものも堪能。
ハタハタの焼き田楽、おいしかった!
東京で食べるハタハタとは、ふっくら度とうまみが違いますのー。
そして、東北はやっぱり日本酒がうまい!

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襲撃事件

今朝、歩いていたら、背後からカラスに頭をつかまれました。
実は昨年も、ランニング中に頭を蹴られました。

私は止まり木っぽいのか?
バカにされているのか。はたまた、愛されているのか。
まさか、私の頭は残飯臭がするのか?私はすでに生ゴミなのか?

カラスの生態について調べてみたところ、
低空飛行で背後から迫り、蹴ったりするのは、典型的な威嚇行為らしいです。
攻撃される覚えはないんですが、なぜ敵意を持たれてしまったのでしょうか。

「巣づくりの材料に好適な髪なのでは?」との意見も。
たしかに、小枝などを巣づくりの材料にするようなので、
私の髪の色や質が小枝と認識されたのかもしれません…。
が、昨年のランニング時はキャップをかぶっていたなあ、とも思ってみたり。

「巣の子供を襲う、敵カラスと間違われたんだよ。ツヤツヤの黒髪だってことだよ」
とも言われましたが、
私はツヤツヤの黒髪ではありません。カラーリングしてますし、そもそも地毛が茶色いです。
そして、今朝襲撃されたのは一般道なので、巣には近づいていません。
なぜ、私が標的に…?

カラスって、なにげにものすごい重いんだよー。黒いし。
背後から頭を蹴られると、突然殴打されたくらいの衝撃があります。ホント怖かったー。
カラス怖い、カラス怖い。。

カラスに襲撃されがちで困っている人、
カラスに打ち勝つ方法を知っている人がいたら、紹介してください。

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イカセンター

たまには大人らしくしっとり飲んでみようと神楽坂をリクエストしたら、
【イカセンターはなれ】に連れていかれました。
・・・ツボを心得ていらっしゃる(笑)
しかも、「イカセンターは満席だったから、“はなれ”でもいい?」と打診。
・・・どっちでもいいよ(笑)!

入店までちょいと時間があったので、看板を撮影。
なんの気なしにFACEBOOKに載せたら、意外に反響が。。
やっぱ気になるよね。 

 

ぴくぴく動くイカ刺しはおいしかったけど、
キンキンに冷えたジョッキと瓶ビールが出てくるのはナゾ。
ジョッキがあるなら、生ビールを導入してくれ!
 

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9.11〜三陸牡蠣復興合同応援祭〜

東日本大震災から、早いもので6ヶ月。
節目のこの日、宮城県石巻市で行なわれた、SWEET TREAT311→ &日本オイスター協会→ 主催の
三陸牡蠣復興合同応援祭に、炊き出しボランティアとして参加させていただきました。

 
  

5ヶ所での同時炊き出し、私はHRHのメンバーと牡鹿半島へ。
前にもこの地を訪れたメンバーによれば、冠水被害状況や道路の復旧、開店店舗数は劇的に変わったそうですが、
それでもまだ、こんな状態。

半島というだけあって、交通の便が悪い。
以前も書きましたが、こうした地域の条件というのはかなりネックで、
物資のお届けやボランティアの数にもかなりの差が生じている。
地域側が、連絡手段がないために、サポートを要請できない、なども事情も。
とくに、お年寄りの多い集落などは、若い現地のボランティアスタッフがいないと、まわっていきません。
半年経っても、まだまだ、生活のサポートが必要な地域がたくさん。

 

   

今回は避難所の台所をお借りしての、ゆったり炊き出し(こんなことしてたら、このあと戦場)。
麻婆茄子の下ごしらえ、茄子の素揚げをしております。

 

   

遥か海を越えたフランスから被災地に届けられた、ワイン。
SWEET TREAT311から、有名パティシエさんによるスイーツ。
カメラマン蓮井幹生さんのスマイルレター→
人を笑顔にする、写真ってステキ。蓮井さんの写真は本当にステキ。
写真をなくしてしまった方がほとんどだから、涙を流して喜ばれる方もいらっしゃる。
 

 

たくさんの後方支援に支えられて、今回もこんなに豪華なお食事を届けることができました。 
愛情たっぷり、超〜おいしいよ!

 

元気なハチマキおじさんに肩を抱かれて、記念撮影をパチリ。

震災から半年経って。
私が直接見たのは、今回の避難所だけですが、
お話をしたり、以前よりもそういうふれあいの部分に、たくさん笑顔を見せてくださるように思いました。
もちろん食事も喜んでくださるのだけれど、
「温かいものはありがたい~」という状況からは少し逸脱してきたようです。
少しずつ、いい意味でもよくない意味でも、不自由な生活に対しては慣れが生じているのでしょうか。
絶望的な表情の方はお見かけしなくなったようにも思います。
ただ、だからといって問題が解決したのではなく、問題が変わってきただけ。
仮設住宅に入った方にも、何かしていきたいね、と話し合いました。

世代や環境が違っても、やっぱり人は人とつながれるのは幸せなこと。
被災地の方とお話をすることは、私にとっても心の栄養です。

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炊き出し後は、ガタガタ道をぶっ飛ばして、石巻市雄勝中学校へ移動。
気仙沼市と石巻市の合同慰霊祭へ立ち寄りました。

地震が起きた14:46に黙祷を捧げたあと、生徒さんによる「雄勝復興太鼓」の演奏がありました。
東日本大震災、9.11同時多発テロで犠牲になった方たちへの
鎮魂と追悼、廃校となった校舎への感謝と復興の決意を込めたもの。
太鼓は津波で流されてしまったため、廃材のタイヤを代用。
タイヤとは思えぬ力強い音色で、心に響いて仕方ありませんでした。

 

  

雄勝中学校校舎の壊滅的な被害は、修復できるレベルではなく、取り壊しが決まっています。
生徒さんたちは、現在は遠く離れた学校で間借りして学校生活を送っており、
震災後、半年ぶりに母校を訪れたのだそうです。

すぐ向かいにある山が壁になって第1波がせき止め、ゆるゆると冠水。
そのために第2波が増勢、そして続く第3波が根こそぎ破壊したようです。
だから、校舎の1階よりも3階のほうが、損壊が激しい。
木々を見渡すと、驚くほど上のほうまで津波の跡が残っている、木の変色で、浸水の度合いがわかる。

Tシャツには、<たくましく生きろ>の文字。
これを見て、「ああ、私はこんなTシャツ着させられたことなかったな」と思った。
たくましく生きる必要がなかったから。 
いや、わりとたくましかったけれど、たくましいの次元が違う。

たくましく生きろ。背中を押してくれる言葉でもあるけれど、
たくましく生きるしかない子供たちに、切なさも感じました。
前向きに、希望を持って生きるのは素晴らしいことだけれど、
そんなにいつも頑張らなくてもいいし、無理せず、当たり前の生活をさせてあげたいとも思うのです。

ただ、こういう言葉に支えられて、やっと生きられる子もいるんだろう。
自分のバランスを保てる子もいれば、
「頑張らなきゃいけない、弱音を吐いてはいけない」というギリギリの精神状態がむしろ支えになる子もいる。
これは、大人も然り。

 

太鼓の後は、雄勝中学校歌の合唱。
最後に、「29年間、お世話になりました、ありがとうございました!」という言葉。
スピーカーもテープもないから、もちろん伴奏なんてないのだけれど、
こんなにも揃うものだのだなあ、と心が震えました。
ひとつになれる術があるって、やっぱり素晴らしいことだと思いました。
歌、音楽、言葉。この世に表現があって本当によかった。

私は母校が創設何年かも知らないし、少なくとも、私はこんなふうに校舎に感謝したこともなかった。
震災以降、自分の人生に感謝ばかりです。

 

  

少し前までは、被災地に積まれた瓦礫や車は<一時的に置いてあるもの>だったけれど、
最近は、その地にもともとあるかのようになじんでしまっている。
この地は再開発されることがないから、これらはこの後片付けられる予定はなく、この状態が完結なのだそう。
廃材が根を生やして、朽ちはじめている。
どこもかしこも立派なクモの巣で覆われて、草木が生い茂る。こんなところに自然のパワーを感じるのが残酷。 

 

 

建物の上に乗り上げている観光バスが降ろされることはないし、必要もない。

もう一度作り直すことができるものもあるけれど、
完全に元通りになることはないし、どうしても帰ってこないものもある。
復興、再生というのは簡単だけれど、元に戻らないことが多すぎて、
現状維持が精一杯で、二の足を踏んでいるのも現状だと思います。
できるものとできないものがあるんだなあ、と悲しくもなるけれど、
ただ、前へ進もうとする姿に、いつも逆に励まされます。
私も、感傷的にならずに、ゆっくり、できることを。

 

うまくまとめられていませんが、
できること、やるべきこと、生きること。
私なりにいろいろ感じ考えさせられた、貴重で大切な1日でした。
ありがとうございました。

ステキすぎるボランティアのメンバーも私の宝。
人のつながりって本当にすごい。
ピースフルで刺激的で、キラキラした毎日を生きる人ばかりです。私もこの一員でありたい。
たくさんの後方支援、寄付やご協力にも心から感謝です。ありがとうございました!

 

  

それにしても、落ち着きのない私。
集合写真を撮るくらい、おとなしく前を見てようと思いました。
でも、この写真を見ての通り、楽しい楽しいボラなのです。

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織豊期城郭研究会/佐和山城見学会

織豊期城郭研究会の佐和山城見学会に行ってきました。

彦根市教育委員会文化財課の方の解説付きで、
最新の調査状況も織り交ぜつつ、専門的な考察のもと佐和山城をディープに散策。

マニアックすぎるので見学の詳細は書きませんが、いや~、楽しかった!!
専門家の話は勉強になるし、おもしろい!
そして、そこに集まる城好きは、ドン引くほどマニアックです。
これまで常識とされていた説が、日々微動していくのが城郭研究。
地道な発掘調査によって、数百年のミステリーが紐解かれていくのが魅力です。
このあたりは、ちょっと考古学的なジャンルになりますが。

私の方向性は、今のところ城郭研究にどっぷり浸かるほうではないのですが、
個人的には、浅くても広く勉強したいと思っている今日この頃なのです。
のんびり掘り下げたいジャンルではあります。極めるなら、近江の城だな。

  

貴重な3ショット!この写真の価値が分かるあなたは、サワヤマニストです。

 

   

織豊期、織豊時代というのは、安土桃山時代のこと。
織田信長と豊臣秀吉が全国的に政権を握っていた時代のことで、織豊政権ともいいます。
2人の頭文字を取って、そう呼ばれます。

こういうセミナーに行くと、中世史を勉強されている方や、中世城郭に魅せられた方が圧倒的に多いですが、
私は中世城郭から近世城郭へ移り変わるこの時代の不安定さが好きですね。
ざっくり中世城郭と近世城郭を分けたとして、探し出した城の片鱗から、改革前後の特長を見る、というか。
なので、遺構から織豊時代を考察する、という話はかなり興味深いものがありました。

佐和山城は、関が原合戦に敗北したときの石田三成の居城。
それもあってなかなか人気の山城なんですが、秀吉お抱えの大大名とは思えないほど、実に質素。
城は城主の思想や性格も反映されるもので、こんな山でも、歩けばそのあたりがわかるわけなのです。
どのへんでわかるのかは、ひと言では説明ができませんが、
「これで十分。余計なところに金をかけなくていい」という、三成の理念が伝わってきます。
これはもう、他人の家に行ったときにこだわりポイントがわかるのと一緒。
収集した瓦も、素材から焼きから、かなり質の低いものなのだそうです。

関が原合戦後、佐和山城に家康の兵が乗り込んだとき、
三成ほどの武将の居城でありながら、財宝が一切なく驚愕した、という話は有名ですが、
贅沢や権力誇示には興味のない人だったことがよくわかります。
一般的には堅物というイメージが強いけれど、治世にも長けた、人格者だったようですね。

真面目で堅実で、実直という言葉がぴったりの、頭脳派の政治家。
ある意味、おもしろみに欠ける男というか・・・。
まあ、革命家ではないし、世渡りは下手でしょう(笑)

私が城を極めるなら、近畿にいないとダメだなあ。
とくに石垣が好きとなると、近畿は必然、魅力的すぎる。
数年ぶりに、近畿お城留学(つまりはただの移住)を本気で考えた日でした(笑)

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【名物刀剣 宝物の日本刀】

今日は、目黒のさんま祭りでしたね。行ってませんけど。

【名物刀剣 宝物の日本刀】を見に、根津美術館へ行ってきました。

刀というと、武士が人を斬るためのものというイメージですが、
家格を表す証としての顔がありました。

「名物刀剣(めいぶつとうけん)」は主に平安時代から南北朝時代までにつくられた名刀のこと。
室町時代に鑑定が発達し、宝物としての性格が強まったそうです。
戦国時代に入り、信長、秀吉、家康もこぞって収集し、
武家の表道具となり、褒美として与えたりもするようになったのだそうです。
スラリと反りキラキラ輝く刀は、殺し合うための道具ではなく、芸術品でした。

刀の善し悪しや見方、価値は私にはよくわかりませんが、
宝物が名立たる武将から武将へと受け継がれ、時を超えていくのはおもしろいなあ、と思いました。
桶狭間で打ち取った今川義元から織田信長が召し上げたもの、
石田三成が佐和山城へ蟄居した際に、護衛を務めた結城秀康(家康の次男)にお礼として献上したものなど。
織田信長は、太刀を刀に磨り挙げたんだそうだ。信長的オリジナリティというか、美学みたいなものも感じますね。

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以前、刀言葉についてお話を伺ったことがあります。
たとえば「反りが合わない」というのは、仲がしっくりこないことをいいますが、
これは刀の反りは1本1本異なるため、違う鞘には収まらない、というのが語源。
「切羽詰まる」「元の鞘に戻る」「付け焼き刃」「身から出た錆」も刀言葉です。
現代にも生きる言葉のもとになるということが、密接なものだったということの現れなのでしょうね。

   
   

根津美術館は、庭園がすばらしいのもうれしい。微妙にナゾだけど。
ちなみに根津美術館という名称は、根津にあるからではなく、
根津嘉一郎という方がつくったからです(場所は表参道です)。

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