城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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尾高城の発掘調査

国史跡を目指して発掘調査が始まった、米子市の尾高城。
調査区域の本丸・二の丸は私有地につき立入禁止ですが、注目はしてほしいので許可を得てシェア。
(それ以外のエリアの広範囲、草が刈られて恥ずかしいほど丸裸に!今、見応え抜群です!)

 

 
 

 

・本丸と二の丸間からは、エントランスのような謎の空間が出現
・本丸東面は栗石が散乱しているものの積石の落石はなし。中村さんによる米子城への転用か?
・本丸および二の丸の出土遺物から生活の痕跡は確認されるものの、礎石はなし。…テントで優雅な生活してたのか?
・礎石は本丸南西側で一部確認されたものの、1列のみ
・本丸北東側の土塁は、石積みを伴って数段に分かれる。段差部にわざわざ石を積んでいる
・土塁は排水用の窪みを伴うもの

本丸と中の丸間の枡形に接続する虎口がメインゲートだとすると、
本丸南東面にも石を積んでいてほしいところ。
しかし落石もなく痕跡はなし(てか積めないと思う)。
本丸北西側の虎口との役割の違い、それに伴う形状の違いはとても興味深い。
防御と示威のバランス、というか。。
そしてその手法は勝手に思っているものと違うのかもしれません。

廃城と破城の定義ってちょっと解釈がおかしくなっていて(研究者ではなく一般人がね)、
案内板の記述とは(ときに報告書も)現地の状況と辻褄が合わないと感じることが多々ある。
そんなことも思案しつつ…
情勢を考えると、米子城へ移転後も継続して使われたんじゃなかろうか。居城ではなくなっただけで。
などと考えてしまいました。
それはそれで、どういう使われ方をしたのか気になってきますけれどもね…。

 


大きく絞って3段階(国衆・杉原・中村)。
その改変すら解明するのは難しいとは思うけれど、
それこそが、さすが西伯耆の要と唸らされるおもしろさ。
そして、尾高城から米子城へとつながっていくことが、この地域の歴史に触れる上で大切なところ。
米子城のすばらしさや意義に直結する、地域を深く系統的に知ることができる城だと思います。
こういうところを、ゆくゆくは地域の方に知っていただきたい。伝えたいです。

 

 

米子市ではすでに赤色立体地図も撮影していて、照合しながら現地を歩くと本当におもしろい。

公開されたときも、わかりやすく理解してもらえる大きな手がかりになると思いました。


以上、市の見解でもなんでもなく完全な素人私見ですんで勝手に言わせといてくださいな。