城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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朝日新聞大阪「月刊文化+ 城+」に掲載

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朝日新聞大阪の11/30付朝刊「月刊文化+ 城+」に掲載されました。

こんなに大きく(しかもカラーで)、城が取り上げられるようになったなんて。
担当の記者さんは歴史専門の方だそうですが、
古代遺跡などが多いようで、長い記者歴の中で城の取材ははじめてなのだそうです。

奈良大の千田学長、滋賀県立大の中井教授と並んでご紹介いただきただただ恐縮。
著書と城フェスのことも載せていただきました。

 

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さすが歴史専門の記者さん(…なんているんですね!)ということで、
ポイントというかツボを押さえてくださってますね。
城フェスにもわざわざお越しいただき、
思うところがあったようで、写真付きで大きく取り上げてくださいました。
短い時間でしたがお話できて、いろいろ思考のヒントと刺激のある記者さんでした。お会いできてよかった。

昨今はあれこれ考えるべきことが増え頭が満タンなのだけれど、
しょせんできることなんて限られているわけで。。
ひとつずつ取り組むのみだな、と自分に言い聞かせる昼下がりなのでした。さて、集中。

鎌倉七口

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鎌倉で取材があったので、ささっと終わらせて「鎌倉七口」へ。
今日は2か所、朝夷奈切通と名越切通。
冬は日没が早くて困る…最後は軽くトレイルラン。

鎌倉は、端的にいえば一帯が鎌倉城。
いわゆる中世ヨーロッパや中国にある城塞都市というやつの日本第一号です。
南面は相模湾、ほか3面は山に囲まれている好立地で、
源頼朝が鎌倉幕府を開いたのも、この立地のよさが重要素のひとつだと思う。
だけれど、完全に孤立しては軍事的にもよろしくなく、
なにより人々の往来や物資の運搬ができない。
そこで、東・西・北面の山を削って鎌倉と通じる道をつくったのだ。
「切通(きりとおし)」とは城郭用語としてもよく出てくるもので、
山を削って通した道のこと。
主要な7つの虎口(出入口)が「鎌倉七口」といわれています。

部分的に見ても、地方領主の小さな山城なんかよりよっぽど“城”だ。
高低差も巧みに利用して、つねに崖と共存している感じ。
かなり遠くまで見渡せて、富士山も見えて、相模湾も見えて。

名越から朝比奈まで、はじめて歩いてみました。
今もこれだけ広範囲に状態よく残っているわけだけれど、
守られたり放置されて運良く生き残ったというより、
いまだに手がつけられない、という印象。
だって、ハイランド住宅地のあたりはかなり宅地化しているわけだから。
あれだけ開発されながら、
いまだに肝心の防衛ラインには近づけていないような感じでした。

総構っぽくもあり…、
鎌倉時代にすでに総構的発想があったということか…いや、ちょっと違うか。
日本で城塞都市があまりないのはなぜ?
…大都市が発展しようがないからか、
それに、そもそも日本というのは地方の支配者同士が小規模に攻防し続けていたわけだし。
…などと考えつつ、わくわくしながら歩きました。
結論:鎌倉ってすごい。

今、鎌倉~南北朝時代のことも書かねばならぬ状況のため、
一般書に書かれていないことを思ってしまうと困る(笑)
ご存知の方、よき文献などありましたら教えてください。

 

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名越切通は、衣笠の三浦一族や房総の御家人が往来する、鎌倉から三浦に通ずる古道。
鎌倉七口のなかでも面影がよく残ると思います。

朝比奈切通、やっぱりここはよい。
1240年(延応19)、鎌倉幕府第三代執権の北条泰時が鎌倉と六浦を結ぶ道として開削。
六浦港からの物資輸送の重要路ということでしょう。
六浦付近で採れた塩も運んだらしく「塩の道」としても知られます。
しかし、重要路であるとともに、
鎌倉東部の守る城郭としての性格も持っていただろうところにそそられます。
物資輸送の重要路としてだけでなく、
東側の防衛ライン的な、城的な要素もふんだんに感じます。

朝比奈峠の岩壁に刻まれた磨崖仏や岩盤をくり抜いたやぐら、
陽が暮れかっていたた今日はただただ怖かった。。

 

鎌倉駅3番からバスで「緑ヶ丘入口」バス停で降り、小坪階段口からスタート。
第一切通に出て、そこから道なりにまんだら堂やぐら群、大切岸、衣張山山頂へ。
(あとで知りましたが、かまくら幼稚園裏手は関東の富士見百景らしい。たしかに絶景)
ハイランドから巡礼古道を進み、報国寺、浄妙寺に出て、
一般道を歩いて(というか時間がなくて軽くジョグ)朝比奈方面へ。
「十二所神社」バス停の脇から朝比奈切通に向かい、
鎌倉側から横浜側に出て「朝比奈」バス停でゴール、というコースでした。
朝比奈バス停からは、金沢八景または鎌倉駅へバスが出ています。

なんかいろいろ行き方やハイキングコースがあるようで。。
私も思っていたコースと違うことに途中で気づき、ちょっと焦りました。
わかりにくいので、備忘録的に載せておきます。参考まで。
鎌倉七口はじめ見どころや特徴などは
不親切な感じでなにも触れていませんが…ご容赦を。ググれば出てきます、たくさん。

城本と書店さん

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「城めぐり」のインデックスを発見!!

歴史書の棚に「城」のインデックスはあるけど、
実用書の棚で「城めぐり」のインデックスははじめて見た。
しかも、そんなに細分化されてもいない棚で。。。大大コーフン。
LIBRO池袋店さんありがとうございます。ご挨拶したい(笑)

城本の品揃えは、やっぱりジュンク堂池袋本店さんと紀伊國屋新宿本店さん。

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ジュンク堂池袋本店さん、充実のラインナップのなか、
「山城へGO!」のこの扱いありがとうございます(1冊しかなかったので補充お願いします)。

ブックファースト渋谷店さんは、私の本をとてもよく扱ってくださるので大好きです(笑)

Amazonポチッとしまくりすとですが、
出版情勢と世の中の流れを知るには、書店に行かないといかんですね。

フランス人と城トーク

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来年3月、世界文化遺産・姫路城が大改修を終えてリニューアルオープンされます。
そのタイミングに合わせてフランスのTVで城番組が放送されるとのことで、
パリから来たクリエイターさんとランチ&ミーティングでした。

番組のDVDを見て欲しい、とのことだったのだけど…この映像が秀逸!
外国人特有の視点や感覚のフシギな世界かと思いきや、
専門用語の解釈や構造の理解もそのへんの城好き日本人よりよほど深い。
この映像をそのまま日本で放送したいくらい!
(というか、日本はなんと遅れていることか…クリエイターの端くれとして恥ずかしい)
julienさん(右)はカメラマンもこなし城の書籍も出版もしていて、これまた見事でした。

コンテンツのクオリティもさることながら、まず写真がすばらしい!
城の写真を見るとその人がどれだけ城を知っているかだいたいわかるのだけど、
彼の写真には日本人の美意識や日本の城ならではの造形美が表現されていて、
城の本質を伝えてくれていると感じました。
ただなんとなーく“ニッポンの城”を雰囲気よく撮影しているのではなく、
日本の四季や日本の美へのリスペクトが感じられる作品でした。

聞けばかなりの城&日本フリークで、日本人より日本に対する造詣が深い。刺激的でした。

パーツとしての城の表現ではなく、
もっと深く歴史や文化に切り込んだ表現を目指したいとのことで、
その部分はどうしてもカバーしきれないためネガティブの力を借りたい、
コラボレートしませんか?とのこと。

「海外にも城の魅力発信を」という発想は私には一切なく取り組むつもりもないのだけど
(必要と需要はあるので誰かやってください!)、
新たな出版物のクリエイトには大いに興味あり。ちょっと心がざわつきました。

ランチに何を食べたいか聞いたら、「お好み焼き」、
しかも大阪スタイルより広島スタイルが好きとのこと。
お箸も使いこなしていてびっくり。よく知っているなあ!
東京下町出身者としてはすかさずもんじゃ焼きを教えてみましたが、
うまく説明できなくて「大阪スタイルのお好み焼きをドロドロにした感じ」みたいな表現に…。
はじめは興味を持っていたけれど…あんまり食べたそうじゃなかったな(笑)

次はいつ日本に来るのか聞いたら、
2月の京都マラソンと東京マラソン、5月に城取材と日本観光で来るとのこと。
日本に来すぎだし、フルマラソン走りすぎだよ(笑)

しかし、言葉の壁は厚かった。。。
そして、やっぱりパレスホテルはサイコーだった。江戸城ビュー。

岩櫃城温泉でプロジェクションマッピング

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岩櫃では、岩櫃城温泉(町営の日帰り入浴施設)で
プロジェクションマッピングが催されたので、連れて行っていただきました。
最後は炎上(笑)!

動画も撮ったけどアップの仕方がわからずー。

 

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忍者がバイオリン弾いていてびっくりしました。
たまに弦を刀に見立てて殺陣もするの。すごいー。

続・真田合宿2014秋〜稲荷城&柳沢城&中山城〜

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岩櫃城でのトークショーの翌日は、真田合宿を再開。

稲荷城→柳沢城→中山城。名城揃いの濃い1日でした。

稲荷城は無名の城ながら、以前ちらっと訪れてコーフンし、再訪したいと思っていた城。
やっぱりスゴかった!!紛れもなく隠れた名城。
あれこれ興奮気味にトークしながら歩きました。
岩櫃城の前線基地として、かなり重要な城だったよう。かなりファイトモード。
この城のことは、ちょっと調べたいしじっくり書きたい。

そして、岩櫃城の支城・柳沢城!
こちらもすばらしかった。竪堀の使い方が岩櫃城と同じ。
今月末発売の「山城へGO!」で志布志城を“空堀天国”と書いたのだけど、
岩櫃城やこの城が“竪堀天国”だと思いました。
ふと見上げれば岩櫃城がバッチリ見えることにも感動。なんとも優等生な支城でした。
うん、この城や郷原城、岩櫃山まで知り尽くしてはじめて岩櫃城を語れるのだな、と。
やっぱり岩櫃城はおもしろい。もっと知りたい。書きたい。

中山城、歴史的価値も高いしつくりも遺構の残存度もすばらしいのに、ちょっと手つかずで残念。。
しかしこの立地は感動モノ。
もともとある城に手を入れたのではなく、明らかに目的があって築かれた城だけに、
シンプルだけれどムダがなくて、研ぎすまされた感じ。
そこに危機感と緊迫感をビシビシ感じる。
この城後北条氏の真田攻めの拠点で
土橋も効率よく狙っているし、横矢もかかっている。
あの主郭の正面に あの光景が見えた瞬間、敵兵は萎えるに違いない…。
いくつもの堀切が断面図のように見える姿は圧巻でした
(=側面にあたる部分が地形ではなく人口的にざっくり切り落とされている)。

写真は稲荷城の虎口にて狂喜乱舞、のもの。

岩櫃城でトークショー

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群馬県東吾妻町のあざみの会のみなさんと!

あざみの会さんにお声がけいただき、
「戦国真田の岩櫃城跡探検隊」でのトークショーに出させていただきました。

岩櫃城跡探検隊、第10弾!
午前中は岩櫃城跡遺跡見学と岩櫃城跡発掘現地説明会が行われ、
私は午後のトークショーでお話させていただきました。
ご一緒したのは、司会をしてくださった児童小説作家の加部鈴子さん、
そして、歴史プロデューサーの六龍堂・早川知佐さん!
早川さんは私がこの仕事をする前から活躍されている歴史界の有名人。
…が、とても気さくで同世代ということもあり、親近感わきまくりで
初対面とは思えないほど図々しくいろいろお話させてもらっっちゃいました。楽しかったです。
またご一緒したいなあ。というか、とりあえず飲みつつお話したい(笑)

個人的には手探りのところがあり相変わらず課題満載でしたが、
大きなトラブルもなく、来場者の方にも楽しんでいただけたようでひと安心です。

主催のあざみの会さんのお気遣いと熱意に触発され、あれこれ考えたりと有意義な1日でした。、
私はもともと、一昨年の岩櫃探検隊に一般客として参加したのがきっかけ。
岩櫃城のすばらしさもさることながら、
あざみの会さんが本当に素晴らしい活動をされていると感動したので、
今回おしごとを頂戴し、あざみの会さんに仲間入りできたような気もしてうれしかったです。
つながりに感謝。仕事はご縁。
ひとりで仕事をしているほうが、組織にいるよりよっぽどつながりの濃度を感じます。
本当に、よい経験をさせていただきました。

写真は、反省会の最後に撮ったもの。
「要は飲み会です」と言いながらも酔う前にきちんとフィードバックして、
そのあと楽しくとことん飲むようすに感服。
私もできるわずかなことを全力で着実にと思ったのでありました。

楽しい記念撮影は、おいしかった日本酒とともに(笑)
飲み残しをおみやげにいただいて、このあと部屋飲みしました。

岩櫃城は本当にすばらしい城!
こんな竪堀の使い方をする城はほかにないよ!
私の今回のつたないトークではその魅力を伝えきれなかったので、
すでにあれこれ、勝手にトークテーマや企画を妄想しています。
岩櫃城の魅力を伝える機会を与えていただけますように。
そして、みなさんとまたご一緒できますように。

あざみの会、東吾妻町のみなさん、ありがとうございました。

城番附!

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この前旅館で見つけたのれん。
「徳川時代 城番附」ですと!

 

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なんだかミョーに納得。
河内の赤城城は赤坂城のことでしょかね?

真田合宿2014秋〜松井田城&岩櫃城〜

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再来年の大河ドラマは三谷幸喜脚本の「真田丸」。
ということで、来春からの執筆に備え真田の城合宿へ。

松井田城を4時間、翌日岩櫃城に4時間。西股先生とじっくり踏査したのが貴重な経験になりました。。
この2城を連続してじっくり見るというのもかなり贅沢。
記憶が薄れぬまま対比できて、違いがよくわかりコーフンしました。
「箕輪、松井田、岩櫃は上州3名城だね」という先生の言葉に心から同意。

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すばらしき松井田城!
激しい薮漕ぎでアゴに枝が刺さり流血するも、どうでもよいほどの城でした。

城は主郭を中心に3方向に派生していくのだけれど、
その防御の手口がすべて違うことがいちばんの感動。
さすが後北条の城!抜かりなく緻密!秘められた静かなる知性がニクいじゃないか!

城を見ていると構造のセオリーがわかってくるのが心地よく、
「こういうケースは虎口をこうして竪堀をああして」などとパターンが見出せるようになってくる。
それが理解できると城を見る目がレベルアップした気がしてうれしい。
だけれど、よく考えてみたら城としてはそれじゃダメなのだ。
だって、わかりやすいきれいな城では敵に予測され戦略を練られてしまうから。

松井田城でいうなら、進撃口①②③があって
①から撤退した敵は②または③からリベンジするはずなのだから、
①の守り方をパターン化してしまっては、攻略される可能性がぐんと上がってしまう。
だから、松井田城は①②③はすべて異なる手口で守るようにしてある。
攻め手としては、どこから攻めても初めて出会うトラップに立ち向かわねばならないというわけだ。

馬出しの中に桝形があるという予想外のコラボレーションに遭遇し、
どういうことかわからず西股先生にその場で図解していただいた私(←ゼイタク!!)。
ここを理解したとき「なんと!この城の感動ポイント第1位ココだな」と思ったのだけど、
そのあと開眼した私の前にじゃんじゃかスゴいのが現れて、
下山する頃には、もはや1位の座は奪われ5位くらいに転落していました、とさ。

洗濯板のような、笑っちゃうほどウェービーな連続空堀は
迂回させ東側の尾根筋から攻め上がるよう誘導した敵へ強靭な防壁か。
これを突破できたとしても、
崖のようなニの曲輪(しかも櫓台付き)を攻略するなど現実的とは思えない。
そして、そこから後北条らしい技を駆使したトラップや虎口が連続して、
異常に広い主郭へと続いていくのだ。

山のようにざっくり切り立たせた切岸に、さらに竪堀をプラス。
さらにクランクした横堀を連鎖させてパワーアップ。
こういったバリバリのTHE防衛を見せておきつつ、
ディフェンスが弱そうな緩斜面には連続竪堀を施しておくなど、コワザも惜しみなく披露してくれる城です。
侵攻ポイントと迎撃ポイントを把握して、敵の上をいく発想で効果的なしかけを丹念に施していく。
そんな緩急がついた守りに、ただただ感服。
こういう守り方をされると、精神的に萎えますね。

攻めるとすれば北東からで、
前述の通りもうここから攻め上がることなど不可能だと思うのだけれど、
それでも手を抜かずがっちり反対側の尾根も三重の堀切で固めているのがこの城。
武田vs.後北条の緊迫した状況が伝わるし、
なんとしても死守せねばという決死の覚悟のもとの改造策が見えておもしろいなと思いました。

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岩櫃城は竪堀天国!
山麓に向かってズドーンと落ちる、こんな竪堀の使い方は類を見ない。
どこまでも城域が続く不思議な城だけれど、
ダラダラ続き隙があると見せかけて、
要所ではしっかりかっちり竪堀や横堀でシャットアウトし完全封鎖している。
竪堀がどこへ続くのだろうとたどってみれば、
ずっと先にある谷や緩やかな尾根筋という弱点をカバーするらしきものだったり。
かなり中心部から離れたところでも、二重竪堀や二重空堀を設けてしっかりと守っている。

とくに、ニノ曲輪下あたりの北側の竪堀がY字で合流するところなんかは、
驚きを通り越して笑ってしまった(←もはやおかしくなってる)。
こんなダイナミックな合流は見たことがないし、しかも合流した後はズドーンと延々と竪堀が続いていく。
笑ってしまうポイントは1か所のみならず。これもスゴいこと。

本丸西側の横堀の草木がなくなると、もっといいなと思いました。
あのラインもシビれます。ずっーと西側に延びて本丸をガード。
ニノ曲輪側はガクッとクランクして、西の山麓に向けてどーんと竪堀が落ちる。
(で、山麓でまわり込んでみたところ、山麓の竪堀にぶつかっていた)

前日の松井田城とはまさに正反対というか、
いわゆる武田らしさにふれた城!
「横堀を張りはりめぐらせて、そこから放射状に竪堀を落としていく」という、
まさに武田流の築城術が見られる城でした。

登山スポットとしても人気の岩櫃山だけれど、
歩いていて飽きないのは、くるくる景色が変わるから。
そして景色が変わるのは、山全体に空堀が張りめぐらされていて、
起伏に富んでいるからだと思います。

秀才学級委員長タイプの後北条の城とは違い、武田の城はどーんと守る男らしさが魅力。
でも大雑把ではない。潔く緻密、といったところでしょうか。
そんな男気が堪能できる城です。
岩櫃城は謎も多いし、郷原城や柳沢城も含めて広域かつ統合的にもっと知りたい。
松井田城とともに、何度も徹底的に歩きたいなと思いました。

あ、トップの写真は中城南側の竪堀にて。
竪堀すごーい!と楽しそうにしてますけど、
結果的にはこんなものたいしたことないということになります(笑)
山麓の竪堀すら、車道になっちゃっているほどでした(つまり幅がかなり広い)。

 

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こちらがY字のところと、そこから続く竪堀。

 

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そうそう、岩櫃城の本丸では発掘調査が進められていて、おもしろい遺構が出ています。
吾妻町教育委員会の吉田さんが偶然お会いしたにも関わらずご説明くださり(ありがとうございます!)、
わくわくしながら見学しました。

本丸から鍛冶場が発見された衝撃的ですが、
第1トレンチ、第2トレンチからこの場所が二段構造だったことがわかったことも驚き。
岩櫃城の本丸がそれなりに凝ったスペースであったのなら、
これだけ軍事施設としての精度を高めておきながら、
やはり単なる戦うためだけの臨戦基地ではないということ。
時代の特定はまだできないけれど、武田時代のものだとしたら、
やはり真田にとってはこの地域の支配拠点として重要な城だったのだなと思います。

個人的には、第4トレンチのタイルのような石積み、
そしてなにより、第7トレンチの表面がきれいな石垣が興味深かったです。
こちらの時代の特定はまだできないけれど、武田時代のものだとしたら
積む技術力を持ち、かつ意図的に見せていたということなのだろうか…と想像が膨らみます。
やっぱり、真田時代なんじゃないかなあ、と思ってみたり。

私は発掘や専門的なことは無知だけれど、
なんにせよ、これまで見えなかったものが現れたというのはそれだけでドキドキ。
今後の解明が楽しみです。

長野の城めぐり

久々の3連休!!
長野へ城めぐりに行ってきました。

1日目/鞍骨城→天城城
2日目/尼厳城→清滝城→塩埼城
3日目/屋代城→姫城→岩崎城→葛尾城→村上氏館→荒砥城

総勢11名での城めぐりでした。なんだか猛者ばかりでびっくり。
ちょっと心ここにあらずな状態でしたが、とても楽しかったです。
ご一緒したみなさま、ありがとうございました。

歴史的背景を知っていると楽しめる城だなと思いました。鞍骨なんかはとくに。
印象的だったのは葛尾城、塩崎城かな。

書きたいことがたくさんありすぎる。いずれていねいにちゃんと書きたいな、と。
撮った写真は約800枚。披露する機会がありますように。

一個人ブログのほうにもちょこっと書きました。