三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑧〜鳥取編2〜
鳥取の旅、若桜鬼ヶ城の続きです。
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑤〜姫路編4〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑥〜姫路編5〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑦〜鳥取編1〜
景石城(秀吉が鳥取城攻めで落とした城)
標高508mの三角山の北西にある支峰のひとつ、標高325.1mの山にあります。
天正8年(1580)、秀吉の鳥取城攻めに伴って磯部兵部大夫康氏が攻め落とし、
城主となって鳥取城めの重要拠点とします。
ところが、磯部が若桜鬼ヶ城へ出向いた際に山名氏がこれを奪取。
翌年、秀吉の鳥取城攻略後に磯部氏は再度景石城主となりました。
山城は登山と同じで、雨や雪の翌日に行ってはいけません。よくない例です。
とくに晴天だったため、刻一刻と解けてとても危険でした(とくに下り)。
登城口から10分ほどで堀切と竪堀に到着し、その先からはちらほら石垣が登場します。
三の丸、二の丸もよく残っています。
本丸のまわりの石垣が立派!
築城当時の石垣は隅石が孕みまくり崩れんばかりですが、算木積にもなっていないかなりの年代モノ。
これが見たかったー!
南尾根正面には景石子持松砦があり、
駐車場の手前の入口からは磯部氏館にも行けますが、
さすがに滑りまくりでしたので危険すぎて断念しました。
ランチ「城下町とっとり」
鳥取に来たら、これと決めてます。
アベ鳥取堂さんの駅弁、城下町とっとり。1,050円。
鳥取駅改札脇の売店で売っています。
掛紙は鳥取県立博物館蔵の鳥取の古地図!
修復のために幕府に提出した絵図の控えで、江戸時代の鳥取城の様子がわかります。
するめの麹漬、カニサラダ、梨など鳥取の味が詰まっているのもうれしいところ。おいしいです。
積雪のため本丸ランチ計画が頓挫したので、山麓に戻って食しました。
包装紙を大切にリュックにしまい(コレクションしてます)いただきました。
駅の売店で、なかだえりさんの著書「駅弁女子」が置いてありました。
なかだえりさんは、城メグリストのイラストを書いてくれているイラストレーターさんです。
しかも、ねずみ小僧の後ろには額入りのイラストも飾ってありちょっと感動。
快く写真を撮らせてくださった売店の方、ありがとうございました。
道の駅かわはら
ドライブしていたら、怪しげな城が見えてきました。河原城。
しかし千代川沿いの丘陵上にあるということは、それなりに重要な城だったに違いありません。
河原城へは行きませんでしたが、休憩がてら道の駅かわはらへ。
道の駅、大好きです。地のものの宝庫。車の旅の特権です。
品数こそ少なく無難なラインですが、名物・名産が揃っているから見るだけで楽しいのです。
ここでいい買いものをしました。青谷和紙の便箋と封筒。
この旅の途中でレターセットに出会ったら手紙を書こうと思っていたので、よい出会いになりました。
筆マメに憧れつつ、手書きはどうも筆が進みません。
さっとお便りできる人ってステキですね。
おやつ「お城最中」
道の駅かわはらで、おやつを購入。お城最中。
この天守型は…よく見るヤツですな(笑)しかし餡のセルフタイプは初めてです。
そして、鳥取へ来たら白バラコーヒー!
うーん、甘いコーヒー牛乳と最中、すこぶる合いません。
防己尾城(秀吉軍を3度退けたといわれる城)
鳥取城攻めの際に攻略されるも、秀吉軍を大いに苦しめた城としてしられます。
湖畔の小城ひとつと見くびった秀吉は3度にわたり攻撃しますが、
城主の吉岡将監は、変幻自在の戦法で大群を3度とも撃破。
とくに2度目は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの圧勝だったそうな。
ここへ向かう途中の景色がとてもキレイで、ドライブにぴったり。青島が美しいです。
けっこう鳥取市街地から離れるのですが、
こんなところまで秀吉の攻撃は及んでいたのだなあと思うと、
本当にスケールの大きな戦いであったことがわかります。
じわじわと鳥取城に向かって攻め上っていく様子は恐ろしいものがあります。
鹿野城(亀井茲矩が攻略して大改築した城)
この城は因幡と伯耆の境目に位置するため、毛利氏にとって重要拠点。
秀吉はいち早く攻めています。
旧尼子家臣の亀井茲矩が攻略して、この功で1万3800石が与えられて鹿野城主となっています。
亀井茲矩が大改修した織豊系城郭、のはずですが公園として整備されていて
あまりその面影は感じられません。
天守曲輪に、天守台と天守台上の礎石列が残っている程度です。
鹿野の街は今でも城下町として整備されていて、古い佇まいを残しているのは魅力です。
温泉館 ホットピア鹿野
鹿野は温泉地でもあります。
昨夜、鳥取温泉に行きそびれたこともあったので、日帰り温泉に立ち寄ってみました。
地元の方向けのスーパー銭湯といった感じでしたが、
受け付けの方の接客が、ハキハキとしていて心地よかったです。
駐車場の脇には足湯もありました。入湯料420円。
※鳥取温泉は、鳥取駅徒歩圏内にある温泉街。4つの天然温泉公衆浴場があります。
おつまみ「砂丘たまご」
あっという間に鳥取の旅も終わり。
鳥取駅へ戻り、レンタカーを返却して特急いなばで岡山へ向かいます。
鳥取駅では、キヨスクの立ち寄りがマスト。
キオスクと侮るなかれ。鳥取のお土産はだいたいここで揃います。
境港の鬼太郎グッズなんかも置いてあります。
移動中のおつまみに、以前から気になっていた砂丘たまごを購入。
ビールにゆで卵。板東英二かっ!
私はパサついた固ゆで卵は苦手なのですが、これはおいしいです。
パッケージにもある通り、ほくほく。栗はやや言い過ぎですけれども(笑)
ややグダグダ旅になってしまいましたが、ドライブの利点を生かした1日が過ごせました。
遺構だけでなく、地形や立地、城と城との距離感なども含めて。
よーくわかったのは、千代川が大動脈であること。千代川を制圧した秀吉の戦略はやっぱりスゴい!
そんなことを思いながら鳥取を後にしたのでした。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑦〜鳥取編1〜
3日目、鳥取の旅です。
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑤〜姫路編4〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑥〜姫路編5〜
歴史博物館やまびこ館
これまで来たことがなかったので朝イチで。
鳥取城の資料なんかもこちらで扱っています。
太閤ヶ平&鳥取城(秀吉の鳥取城攻めの本陣&籠城戦の舞台)
本当に素晴らしい城です。
昨秋に城郭研究家の西尾孝昌先生と、鳥取市教育委員会の細田隆博さんに
1日かけてどっぷりとご案内いただいたので、今回はぐっとこらえて断念。
太閤ヶ平は昨年訪れた城の中でも衝撃的なでした。
太閤ヶ平もすばらしい遺構ですが、大防衛ラインが見事!とくに伝羽柴秀長陣跡の南側の三重の空堀は圧巻です。
こちらは玄人向けですので、山城に慣れた方限定ですがかなりオススメです。また行きたい。
太閤ヶ平とその日のことはこちらで→ ★
4月発売のもので太閤ヶ平について書きましたので、発売されたらお知らせします。
太閤ヶ平、なんて珍しい名前なので、ざっと説明を。
ここは、豊臣秀吉が天正9年(1581)の鳥取城攻めの際に本陣をおいた陣城(付城)です。
歴史的価値があり、遺構の状態も良好。
「鳥取城跡附太閤ヶ平」として国史跡に指定されています。
陣城とは、ターゲットとなる城を攻略するために前線基地として築いた城のこと。
領国経営などを行う居城とは異なり、長期にわたる城攻めの際に攻撃拠点になる臨時の城です。
当時の鳥取城は現在とは異なり、久松山に築かれていました。
(現在の鳥取城は、江戸時代に山麓を改築して新たに築かれたもの)
鳥取城から太閤ヶ平までは、わずか1.5キロ。
久松山を取り囲むように70か所及ぶ陣城を配置していて、
いくつかの陣城は、鳥取城本丸からわずか500メートルしか離れていません。
そんな状況下で、鳥取城は飢餓状態に陥っておくわけです。
太閤ヶ平からは、鳥取城を見ることができます。
その距離はまさに目と鼻の先で、拡声器を使えば声が届きそう。
現在では山は木々に覆われていますが、当時は剥き出し。
太閤ヶ平で煮炊きする様子は肉眼で確認でき、匂いも届いていたかもしれません。
逆に、太閤ヶ平からは鳥取城が弱り切っていく様子が手に取るようにわかっていたはずです。
鳥取城が見える場所は舗装された道になっていて、比較的登りやすいです。
ゆかりの地として訪れたなら、この距離感を感じ取ってほしいところです。
朝ごはん「カフェ・ダール・ミュゼ」
同じくモニターツアーに参加した歴史コラムニストの上永哲矢さんが
このお店の「鳥取薬膳カレー」がおいしい、とブログに書いていたので、
朝カレーしてやろうと思い乗り込みました。
が!カレーはランチメニューでした…。がーん。
毎日ちゃんとつくっているカレーなら、そりゃそうだ。
「昨日の残りの熟カレーでもいいので…」とはいえず、キッシュをオーダー。
これが意外にも(といっては失礼ですが)、とってもおいしかったです。しかもコーヒーとサラダ付きで500円。
キッシュの決め手は卵と牛乳ですね。やわらかほんわか、ほんのり甘くて舌触りなめらか。
一応、キャッスルビュー。ほのかにテンション上がります(笑)
鳥取県立博物館、仁風閣
こちらは以前じっくり見たのでささっと。
仁風閣はけっこうお気に入りです。
皇太子嘉仁親王の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城の扇御殿跡に建てられた、
旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸です。建造物が好きな人にはオススメ。国の重要文化財です。
鳥取城はいわずもがな。ぜひ山上の丸まで登りましょう。
鳥取砂丘も見えて絶景が臨めます。こちらも写真は昨秋のブログにて。
若桜鬼ヶ城(因幡攻めで秀吉が落とした城)
さて、今回は秀吉の鳥取城攻めに関連する城をいくつかまわってみるのがテーマ。
秀吉の鳥取城攻めは、実に緻密で用意周到。
ただ大軍で鳥取城の出入口を塞ぐようななまやさしいものではなくて、
数年がかりで、蟻すら這い出ることができない3重の包囲網を構築しています。
1重目は鳥取城を包囲する陣群、2重目は因幡国内の主要拠点を奪って鳥取城への交通を封鎖する包囲網。
さらにそのまわりに、南条元続や宇喜多直家など寝返らせた有力国人達によって
3重目の包囲網が敷かれていました。
もちろん、兵糧米を事前に買い上げたり、田畑を焼き払うなどの事前工作も完璧。
鳥取城主となった吉川経家は入城した時点で兵糧が圧倒的にたりないことに気づき、
大至急手配していますが、3重の包囲網のおかげで陸路も海路も完全封鎖。
吉川元春に援軍を要請するも、もはや近づく術はありません。すべての後方支援を絶たれていたのです。
そんな経緯をたどっていくと、秀吉が潰していった支城が気になる。
…というわけで、まずは若桜鬼ヶ城(八頭郡)へ。レンタカーを飛ばして、1時間弱です。
この城は、但馬・因幡間、播磨・因幡間を結ぶルートの合流点にあたり、いち早く落としています。
すんごい石垣があるお城でもあります。
前回も積雪で断念したこの城。
1週間前の天気予報で、うすうす気づいてました。。。今回も雪により攻略不能。
右の写真を撮った後アクセルを踏んでみたものの、ノーマルタイヤは5秒後に異変。
この時点であと2.3kmなので、どう考えてもムリです。
徒歩の登城も考えましたが、諸事情あり断念して引き返しました。とほほ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑧〜鳥取編2〜 に続きます。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑥〜姫路編5〜
姫路の旅、2日目です。
だらだら書いていたら1日目だけで⑤まで更新してしまったので、ちょっと巻いていきます(笑)
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑤〜姫路編4〜
姫路城
姫路城と官兵衛については、書き尽くし話し尽くしました…(笑)
現在の世界遺産登録されている姫路城は、
官兵衛時代の姫路城とはまったく別の城。
官兵衛が誕生し城主を務めた中世には天守や石垣は存在しません。
姫路城は官兵衛から譲渡された豊臣秀吉が大改築しますが、
秀吉が築いた姫路城も現在とは異なります。
現在の姫路城は、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)に池田輝政が築いた近世城郭です。
…というこころだけ押さえておきましょう。
姫路城の見どころなどについては、
私が書いた中では「お城の手帖」(辰巳出版)がいちばん詳しいと思います。
近世城郭への変遷については
備中松山城を例に、2014年3月25日発売の
「歴史読本」(KADOKAWA)の連載
「萩原さちこのこだわり城郭探訪」でも書いていますので、ご興味ありましたらぜひ。
ちなみに、2014年4月22日に4冊目の著書
「「現存」12天守めぐりの旅」が学研パブリッシングから発売されます。
官兵衛については書いていませんが、
姫路城のことは書いていますのでぜひぜひ手に取ってみてくださいませ!
と、これみよがしに宣伝しまくったところで、ざっと写真だけ載せておきます。
さっと見て去ろうと思ったのに、
引きつけられて離れられないのが姫路城の魔力。何度訪れても、どうしても惹かれてしまう。
大天守の公開、いよいよ来年3月です。
だいぶ木を切ったようで、土塀や石垣までかなり見えるように!
小天守も足下の高石垣までしっかり見えて、スリムに感じました。
大天守以外も多くの修復が見られて、全体的にブラッシュアップされた印象です。
塗り立ての漆喰がキラキラして、眩しすぎるよ!来年の公開が待ち遠しいです。
リの一渡櫓で、官兵衛の歴史館と称して
官兵衛にまつわる資料やジオラマ等を特別展示していました。
甲冑って人気があるんですねー。…と、発見。
私は甲冑より櫓に興味があるので(この櫓、現存ですよ!)、
「この人、どこ撮ってるんだろう?」みたいな人になってました(笑)よくあることですが。
写真の構図がビミョーなのは、被写体が甲冑ではなく天井or窓だからです。
秀吉時代の姫路城は、現在の本丸と二の丸程度とされています。
上山里曲輪下段の石垣は秀吉時代のものとされ、
官兵衛も工事に関わったとされる貴重な遺構です。
岩盤上に築かれた城であることもよくわかる希有なエリアでもあります。
修復されて、よく見えるようになっていて感動しました。
こんなにも青空なのに、時おり小雪舞う姫路城でありました。
ひめじの黒田官兵衛大河ドラマ館
意外とよかったです。
おもしろかったのは、やはり、まだ放送されていないシーンのブースは盛り上がっていないということ。
撮影できるのは、官兵衛の部屋と有岡城で幽閉される土牢のセットの2か所だけだったのですが、
官兵衛の部屋に人が殺到しているのに対し、土牢は不人気(笑)
まだ有岡城の幽閉シーンが放送されていないせいでしょう。
かろうじて近づいて来た方からは、“なんじゃこりゃ?感”がひしひしと伝わってきました。
衣装の展示を見るのも楽しい。
着物の織りや解説があるとうれしかったかな。
年齢や格式によって纏う着物が違うはずで、そのあたりが気になります。
大河ドラマ館というと、出演者のサインが並んでいるケースが多いのですが、
桐谷美玲さんの字がしっかりとしたきれいな字で、
ひと言メッセージも気が利いていて、好感度アップ! ファンになりました(笑)
この方はたぶん教養があるんじゃないでしょうか。うん、きっとそうだ(笑)
そして、中谷美紀さんのサインに感動したでありんす。
同い年なんですが…こんな字を書いておかしくない年齢なのですね。美女すぎる。
どんなサインか気になる方は、ぜひ大河ドラマ館へ(笑)
おやつ「お城焼き」
姫路に来たらコレ。杵屋さんのお城焼き。
杵屋さんのお菓子はどれもおいしくて、包装紙がかわいい。
姫路城前の「いの屋敷」で実演販売していますよ。あったかお城焼きが食べられます。
店員さんの感じもいつもよいです。撮影にも笑顔で応じてくださいました。
御着城(小寺政隆の本城)
電車で行ける城、御着城へ。
姫路駅から1駅、さらに駅から城跡まで徒歩15分ほどです。
御着駅から親切に看板を設けてくれていますし、駅にパンフもあるので迷わず行けます。
天守っぽい建物は、現役の姫路市東出張所!
面倒な手続きに出向くのも苦にならなそうです(笑)
大河ドラマではよく登場する、御着城。
播磨時代の官兵衛の主君、小寺政隆の本城です。
現状では想像しにくいですが、御着城が本城、姫路城は支城という関係です。
御着城は江戸時代の絵図によれば総構もある立派な城。
なにもないわけではないですが…かなりマニアックになるので割愛します。
案内図によれば、野球のグラウンドが二の丸。
出張所の裏手に江戸時代に築かれた天川橋が移築されているのですが、
このセンターあたりの凹んだ部分がかつての堀の一部のようです。
すぐ脇にある黒田家墓所には、官兵衛の祖父・重隆と母・明石が祀られています。
ここの石材が気になりました。緑っぽい。
ちなみに、御着城南側の小寺大明神には、小寺家三代とその家臣が祀られています。
英賀城(英賀合戦の舞台)
御着城、三木城と並ぶ、播磨三大城のひとつ。
完全に住宅街化していてほぼ遺構はありませんが、
英賀神社には、土塁が残っています。
官兵衛が毛利の大軍を奇策で撃退した、英賀合戦で知られる場所でもあります。
姫路駅から電車で行ける城ではありますが、
JR英賀保駅から英賀神社までは徒歩20分ほど。
本丸跡を示す石碑はさらに山陽電鉄網干線の西飾磨駅方面です。
南の山陽電鉄西飾磨駅との間に位置するので、いずれにしてもけっこう歩きます。
広大な旧城地は、13か所の石碑を目印にたどることができますが、かなり広大です。
毛利軍が上陸した、田井ヶ浜(英賀の港)の石碑も少し離れたところにあります。
ディナー「官兵衛の築城弁当」
国府山城へ行く予定だったのですが、電車を間違えタイムアウト。
姫路を後にし、特急ほくとで鳥取へ向かいます。
シートがTOTTORI!
ディナーは車中で「官兵衛の築城弁当」!
この日は寒かったこともありぐったりでしたが、疲れも吹っ飛びました。テンションMAX!
神戸の淡路屋さんが販売している駅弁で、天守型の陶器に入っています。1,200円。
お弁当は、黒田官兵衛と竹中半兵衛の友情を表現しているらしいです。
鶏つみれ煮、鶏肉揚げ、金平蓮根、味付け菜の花、人参煮、竹炭の黒薩摩揚げ。
家紋の「黒餅」は竹炭を用いた薩摩揚げで再現、厚焼き玉子には官兵衛の焼印も。
最近の駅弁はクオリティが高いんですね。なにげにおいしかったです。
このあと仕事があったため、ノンアルだったのが悔やまれます(笑)
先日中井均先生と盛り上がったばかりだったので、つい西明石駅まで買いに行ってしまった(笑)
というわけで姫路駅に売っている駅弁ではありませんが、
ゲットしたい方は新神戸駅でも売っていますので、途中下車すれば改札を出ずに買えます。
ちなみに、この日の朝食はアーモンドバタートースト。
以前姫路出身の城友さんに連れていってもらい、初めて知った姫路名物。
姫路にもモーニング文化があるそうで。名古屋の小倉トーストみたいなものですかね。
最近は観光客向けでもあるのか、どこの喫茶店でも食べられるそうです。
いざ、鳥取へ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑦〜鳥取編1〜 へ続きます。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑤〜姫路編4〜
姫路の旅、青山古戦場の続きです。
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
銭湯 森の湯
城旅に出ると、銭湯に行くことも多いです。
夜移動することも多いので、山城で流した汗をさっと流したり。
泊まりのときも、よさげな温泉宿がなければ、安いビジネスホテルにして銭湯に行きます。
地元の人の雰囲気とかわかって、けっこう楽しいです。
意外と風習なんかも垣間見えたりしますよ。
今回は、以前姫路出身の城友さんに教えていただいた森の湯。
近代的な入口であまり銭湯っぽくないですが、姫路駅から徒歩7〜8分です。
銭湯というより健康ランドっぽいかも。
ディナー①「試」
このお店はヒット!!
日本酒スタンディングバー「試」さん。
兵庫の62蔵から届いた250種類の地酒が、なんと1杯200円から試飲できます。
おつまみもリーズナブルで、地のものもあり◎。
私は普通にオーダーしちゃいましたが、カウンターのタッチパネルでは好みのお酒を検索できるそうです。
酒質解説カード付きというのがうれしい。しかも姫路城のカード!
・名城 千姫 大吟醸
・浜福鶴 備前雄町 大吟醸
をチョイスしました。各200円。千姫おいしいです。
おつまみは、牛すじこんにゃく 150円、坊勢産からすみ 500円。
ちなみに坊勢は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。姫路から船で30分ほど。
実は前々回来たとき(2年前)から気になっていたこのお店。
コンセプトは素晴らしいですが20時閉店という唯一にして最大の欠点が…。
ありえんー!…と思いましたが、姫路城観光は日帰りが多いのかも。
多くの観光客が夕方発ってしまうとすれば、ちょうどよい設定かもしれません。
20時に閉店する飲み屋さんが
どうやって採算を取っているのかかなりナゾですが、
これだけのお酒が揃うということは、酒造協会さんかどこかが出店しているのでしょう。
観光施設の延長みたいなお店(地酒を知ってもらおう的な?)なのかも。
姫路駅ビルの1階とアクセスは抜群!姫路城の帰りにはお立ち寄りを。
ディナー②「ゆずの小町」
姫路おでんがけっこう好きなので食べたいと思ったのですが、
なんと日曜日はお休みの飲食店が多いのですね。 でもって時間が時間だけに、数少ないお店はすでに満席…。
すっかり新しくなった姫路駅、夜の中ノ門もいいなあ、
シャッターが大名行列だ、などとほろ酔いでふらふら。
イーグレ姫路にあるお菓子の姫路城の横には、官兵衛絡みのパネル展示もありました。
お店はなかなか見つかりませんでしたが、悪いことばかりではなく、こんなものを発見。
こりゃ明日絶対買おう、と心に誓いました(買いました)。
ようやくたどり着いた「ゆずの小町」さんで飲み直し。
長芋のゆずしょうゆ漬けを肴に2〜3杯飲みつつ(←おいしかった)
〆のごはんの小どんぶりは、鮮魚と山芋のユッケ丼。
鮮魚と山芋のユッケ丼は、翌日別のお店でも見かけました。名物なんでしょうか。
こうして夜はふけ、1日目終了です。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
姫路の旅、置塩城の続きです。
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
長水城(秀吉の播磨攻めで落ちた宇野氏の本城)
一応、官兵衛絡みの城を紹介しようと思い訪れてみました。
小寺家の家臣だった官兵衛は信長の傘下に入り、秀吉とともに播磨平定に奮闘。
上月・福原城の戦い、三木合戦、有岡城幽閉と、なかなかにハードな30代を過ごすことになります。
大河ドラマでも、この播磨時代が重点的に描かれるようです。
そして、ついに秀吉は三木城を落として播磨を平定し、中国攻めへと突入していくのですが、
播磨攻めの集結戦として秀吉本体が中国へ向かう途中に落とすのが、長水城です。
姫路市ではなく宍粟市というところになります。
長水城主の宇野政頼と次男の祐清は毛利方につき、
織田に降りようとした長男・満景を殺害、
しかし結局は満景の家来の内通がきっかけで落城したという背景があります。
小寺家と同様に、毛利か織田かの選択は運命の分かれ道だったのですね。
落城後、この地は官兵衛に与えられます。ですから一応“ゆかりの地”。
官兵衛の領地にはなりますが、
なんというか、合戦の最中ですからその地に根付いて領国経営どうこうでもないはずです。
そんなこともあってか、ひっそりとした官兵衛ブーム。
こちらのキャラクターは“しーたん”です。
標高は584.8メートル。
登城口は2つあり、宇野からが大手道ですが、近道の五十波の搦手から登りました。
かなりのところまで車で上がれますが、それでも山頂までは35〜40分。大手道だと1時間くらいかかります。
登山道は整備されていて歩きやすいです。
急峻な要害に築いた単純構造の城館、という感じです。
堀切で断ち切られた南郭部分なんかはちょっといい光景。
見どころは、なんといっても本丸の石垣。すばらしいです。
ストックを手にトレッキングしているファミリーに遭遇したりと
そこそこ歩く山城ではありますが、石垣を見る価値はありです。
ちなみに地元ではヒル山と呼ばれているらしいので、夏は避けたほうがよさそうです。
篠の丸城(播磨平定後に官兵衛が入城)
篠の丸城は、官兵衛が宍粟郡5万石を与えられ、初めて居城とした城。
最上山公園の駐車場(山上のほう)に車を停めれば、そこから徒歩1〜2分で登城口。
そこからは整備された道を20分くらい歩けば到着します。
この写真ではめちゃめちゃわかりにくいですが、
本丸南東部に空堀、本丸土塁の上には城址碑。
本丸を取り巻くように土塁がめぐっていて、ほほうと感心。
二の丸には東屋のようなものが建っていました。
このほか、二の丸の北側には横堀も。入城後に改修したのかもしれません。
ここで雨(みぞれ?)が降ってきたので慌てて下山。
ちなみに篠の丸城は廃城になり、山麓に山崎城が築かれて移転します。
おやつ「篠の丸」「しーたんサブレ」
あらき山田店さんで、おやつを購入。
篠の丸がなにげにおいしかったです。しーたんサブレはレーズンサンド。
青山古戦場跡(官兵衛初陣の地)
永禄12年(1569)に、官兵衛と赤松政秀とが激突した青山・土器山の戦いがあった場所。
夢前川を挟んで土器山に官兵衛が布陣、小丸山に赤松軍が陣取ったとされます。
青山ゴルフクラブの敷地になっている小丸山に、官兵衛が夜襲をしかけて大勝利。
300対3,000と兵力さを奇襲で撃破したのでした。
もちろんゴルフクラブ内は立ち入り禁止。石碑のある場所から覗きましょう。
敷地内の千石池という大きな池には戦死者が多く沈んでいるそうな…
…ゴルフしにくいですね。
ちなみに、官兵衛が布陣した土器山は、夢前川を挟んで姫路側。
船越神社となっていて、山の中腹に金毘羅宮があり、さらに登ると陣跡があります。
官兵衛はこの戦いで幼なじみでもある母里武兵衛を失うのですが、
奇襲による大勝利によってめきめきと頭角を現すことになります。
有岡城に幽閉中、フジの花を見て励まされたそうです。
…この頃はまだ励まされてないですね。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
姫路の旅、広峯神社の続きです。
・これまでの旅はコチラ↓
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
置塩城(国史跡赤松氏城跡のひとつ)
やっぱり、アイドルも来てくれないような人けのない山城は落ち着くなあ(笑)!
置塩城は、標高370m、比高310mの置塩山に築かれた山城で、播磨の守護大名・赤松氏の本城。
「赤松氏城跡 白旗城跡 感状山城跡 置塩城跡」のひとつです。
赤松氏の居城といっても、大河ドラマの序盤で小寺家が激しく敵対していた
龍野城の赤松氏とはちょっと違い、簡単にいうと龍野城の赤松氏の本家といったところです。
赤松氏は嘉吉の乱で滅亡後、20年後に赤松政則が復興を許され、応仁の乱で播磨を攻めて復興します。
政則が文明元年(1469)築いて赤松氏の本城としたのが置塩城です。
置塩城の赤松氏が、小寺氏(官兵衛の主君)・龍野城の赤松氏・浦上氏(大河ドラマで小寺氏と敵対)らを
領国経営のために重用していくのです。
置塩城の赤松氏は、かれらの家のボスというところですね。
置塩城は天正5年(1577)、5代則房のときに、織田信長(羽柴秀吉)に降伏。
置塩城は天正8年(1580)に秀吉によって破却され、姫路城に転用されたといわれます。
ということは、姫路城にある多数の櫓や門のうちのどれかが、置塩城のものであった可能性があるんですね。
(写真上段左から)登城口。車10~15台ほど置けるスペースあり/登城道1/登城道2
(中段)南曲輪群
(下段左から)茶室跡虎口/茶室跡の土塁/茶室跡から二の丸方面への道。登り切ったところに案内板がある
登りはじめて30分で二の丸南側の案内板に着きます。
私は女性にしてはさほど遅くないスピードですので、
女性グループで休憩しつつだと1時間弱かかるかもしれません。
二の丸を取り囲む南西曲輪群や二の丸北曲輪群などひと通り見て、
そこから本丸まではさらに10分ほどかかります。
観光ブログなので城の構造など専門的なことは書きませんけれど、
いわゆる典型的な中世における守護大名の城というところ。
しかしさすがは赤松氏の本城と思わせるスケールと技巧さが感じられます。
特徴は、城山の緩斜面をうまく利用して大規模な曲輪を並べていること、
二の丸をとりまく曲輪群の技巧さでしょう。折れが多用されています。
二の丸をベースキャンプのようにして放射状に曲輪を並べていることから、
実質的な本丸は二の丸と思います。
本丸は詰丸のような位置づけなのかもしれません。
(写真上段左から)南西曲輪群への分岐。左へ下ると大石垣がある/南西曲輪群1/南西曲輪群2
(下段)大石垣
見どころは、各所に見られる石垣。
代表的なスポットは南西曲輪群の大石垣です。
本丸西側の石垣もグッときました。
石垣好きな私ですが、二の丸北曲輪群と二の丸間の堀切と土塁、
切岸とその周辺の横矢が掛かる構造はそれ以上に圧倒されました。
(写真上・中段)二の丸北曲輪群と二の丸間の堀切と土塁
(下段)二の丸
(写真上段左から)本丸西側の石垣/本丸への登城道/本丸南曲輪群
(中段左から)本丸虎口/本丸1/本丸2
(下段左から)本丸から播磨灘方面を望む。左斜め前(南)が姫路、流れるのは夢前川、その隣は番城山城跡。
/案内板が設置されているてわかりやすい/本丸から北を望む。
遺構のスケールが大きく、国史跡だけあって整備もきちんとされています。
看板も設置してくれているため登城しやすく満足度の高い山城といえますが、
山城デビューにはハードルが高いかも。
戦国時代後期のいわゆる技巧的な山城で足慣らし(目慣らし?)してから訪れると、
時代の違いによる城の姿の違いが見えておもしろいと思います。
この城では、立地に注目するといいですね。
城へいくと、たいてい山頂からは絶景が拝めるはずです。
それはすなわち、見晴らしがよく街道や国境を見渡せるということ。
急峻な山に築かれた城は監視台でもありますから、景色がよいのは当たり前なのです。
置塩城の地形的な特徴は、
西から南にかけては夢前川が流れ、北部は断崖の急斜面となった天険である、ということ。
この山が播磨・但馬を結ぶ街道を見下ろす要衝であることは大きなポイントです。
このあたりをなんとなく確認しておくと、軍事拠点としての優劣が見えてくると思います。
城、とくにこの時代の山城は、立地が命です。
タイムアウトで今回は西曲輪群はパス。また行きたいです。
ランチ「富山のマス寿司おにぎり」
山城めぐりをするときは、コンビニおにぎりがルール。
今日はどうしてもあと2城行きたかったし、
食事するところもないことがわかっていたので、コンビニで済ませました。
しかし、コンビニも地域性があってけっこう楽しいものなんです。
マス寿司おにぎりは、富山直送なんですねえ。ぜいたくだー。
姫路では当たり前なのでしょうけれど、東京人にはこんなことがスペシャルです。
MADE IN TOYAMA!
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路篇1〜
旅は姫路からスタートです。
これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
土曜日の深夜に到着し、姫路滞在は日&月曜日の2日間。
日曜日より月曜日のほうが空いているはずなので、姫路城は2日目に。
1日目はレンタカーで、日曜日でも空いているであろう山城へ向かいました。
朝ごはん「えきそば」
姫路の旅をスタートする前に、訳あってちょっと電車でコソコソ朝活。
なもので、朝ごはんは姫路駅ホームにある、一応名物という「えきそば」です。
このえきそば、お土産はもちろん、なんとカップ麺まで販売しています。
まねき屋さんは、明治21年創業の老舗弁当・仕出し弁当・駅弁えきそばの会社さんだそうです。
「おおっ!官兵衛の兜(赤いお椀)をイメージした器か!」と思いましたが、違いました(笑)
麺は中華麺、お出汁は和風という珍しい麺。
うーん、でした。私は。あくまで好みですよ。
お店のおばちゃまの感じがとてもよかったので、
ホームで電車を待つ間にささっと食べることに旅らしさを感じるような、
雰囲気を味わいたい方にはよいかもしれません。
広峯神社(黒田官兵衛の祖父・重隆ゆかりの神社)
大河ドラマの影響でいきなり有名になりました(笑)
官兵衛の家というのは、端的にいうと安泰なお家柄ではありません。
流れ流れて播磨へたどり着き、
官兵衛のおじいさんにあたる重隆が、ここ広峯神社を拠点に黒田家秘伝の目薬を売って大成功。
商売に成功することで財を成し、発展することになります。
ここで重要なのが、商売を繁盛させると同時に、
情報収集のネットワークを構築したこと。
御師と呼ばれる神社の神符を全国に売り歩く人に一緒に目薬を売ってもらうのですが、
各地を渡り歩く御師は、各地の最新情報を握っている情報通。
そうした人々と密になれば、おのずと独自の情報入手ルートが築けるわけです。
この頃の商人や僧侶は重要な情報収集者でもあり、雇うケースもあったほど。
商売をしながら、お金では買えない強靭な情報網を構築できれば、そりゃ、無敵です。
この情報網と“情報収集する習慣”が、
官兵衛が有能な軍師になる最大の武器といえるのでしょう。
大河ドラマではさらりと流されていましたが
織田方につくことを進言したのも、当時の小寺家にとっては衝撃的だったと思います。
その状況で理路整然と説得できたのは、ただ信長の凄さだけを予知するカンのようなものだけではなく、
社会情勢を的確に分析できる情報網がベースにあったからです。
後に関ヶ原合戦で迅速な動きができたのも、早船を完備していて、いち早く情報をキャッチできたためでしょう。
情報は集めればいいというものではく、活用できる能力が必要ですが、
なにかを決断するときに武器になるのは間違いなく、このあたりは現代と通じるものがありますね。
ちなみに大河ドラマでいうと、白装束を着たやけに情報通な人が御師です。
広峯神社は姫路駅から車で15分もあれば着く場所ですが、
山の上の少し隔離されたような場所にあります。
一目を避けるような場所で忍者のように情報収集しながら頭角を現す黒田家は、
怪しい一族に見えたような気もします。
目薬の木を示す看板やノボリもあって、なんだか官兵衛ムードが高まりました。
境内にやけに人が集まっていて、やっぱり大河ドラマ効果かと思っていたら、
なんとアイドルが歌いだしました。しかも本殿で!
なにも、本殿内でそんなことしなくても…。正直、ちょっとがっかりでした。
その程度の場所なのかなあ、と思っちゃいますよ、一般の観光客は。
ちなみに目薬はロートZのような点滴ではなく、軟膏です。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
少し前のお話ですが、
姫路・岡山・鳥取 三都城下町物語推進協議会さまから、
「姫路・岡山・鳥取 三都城下町物語 黒田官兵衛ゆかりの地を巡るブロガーモニターツアー」
というありがたいご依頼を受けまして、三都市を周遊してきました。
名付けて「官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり」。
3泊4日のそこそこ濃密な旅を、ちょこりちょこりとかいつまんでご紹介します。
三都市は、もちろん城めぐりでは訪れているおなじみの地。
しかし今回はこのような企画で三都市をめぐるのだから、
温泉宿に泊まって、今まで行けなかったスポットものんびり訪れちゃおうかな〜
…などと思っていたのですが、やはり勝手に足が城へ(笑)
城中心の旅になってしまいました。すいません。
しかしあまり城めぐりについてじっくりブログを書くこともないので、
城好きの1日がどんなものか、ふむふむと感じていただければ。。。
官兵衛といえば城攻めの達人ともいわれる秀吉の軍師。
やはり、城は切っても切り離せない存在ですから!
最初に2泊したのは、姫路駅すぐの「ホテル姫路プラザ」さん。
リーズナブルで大浴場付きなので以前も宿泊したことがあります。
キーに姫路城ー!楽しい旅の予感です(笑)
小和田先生のお祝いパーティー
写真公開OKをいただきましたので、私の思い出の1枚に。
NHKの歴史解説や大河ドラマの時代考証でもおなじみの
小和田哲男先生の古希記念祝賀会にお声がけいただき、出席してきました。
私なんぞが参上してよいのだろうか…と思いつつ、
名前を覚えていてくださっていたのがとてもうれしく、
2次会では隣のお席で一緒に熱燗(将軍)を。
ブログでは城の話と同じくらい日本酒のお話をされている小和田先生(笑)。
憧れの先生と杯を酌み交わせるとは、夢のようでした。
昨年、思い切って著書をお送りさせていただいたところ、
目を通してくださり、直筆の感想とご指摘をくださった小和田先生。
お葉書、今でも手帳に挟んで毎日持ち歩いています。
今日もそのお人柄がよく見えました。
歴史の世界を漂うように辿る楽しみは、
小和田先生のご著書やご講演で教わった気がします。
知識はもちろんですが、
一度読み始めたら本を閉じることができない、
独自の世界へ引き込む表現力は本当に国宝級だなあと尊敬しています。
小和田先生のご著書はかなり短いスパンで出版されていて、
執筆以外でもご多忙なのに、どれほどの執筆スピードなのか疑問だったのですが…
お答えを聞いてビックリ。
私はプロを名乗ってはいけないのかもと思いました。。。
ひとまずこのあと、2時間で1本書きます(笑)
小和田先生はもちろん、研究に長年身を捧げている方々と比べると、
私は話にならないくらい知識が浅い、ミーハーな城ファンにすぎないな、と痛感。
だけれど、私の低ーいレベルの中でも、
できることも、できてないこともまだまだあるなと思いました。
日々是精進。苦手だけどコツコツ。
記念論集(これスゴーイ!)と、小和田先生から新著のプレゼント。
サインもいただきました。一生モノの宝物です。
城好きの正装(笑)!
なんと、小和田先生も中井先生と同じネクタイで登場されました(笑)
中井先生と加藤先生には今日もたくさん城トーク聞かせていただきました。
ありがとうございます。幸せです。
それと、「センゴク」の漫画家・宮下英樹さんが
私のことを知っていてくださって、感激しました。
(荻上チキさんのラジオ、2回とも聞いてくださったそうでー!)
出版社のご担当の方ともお話できて、とても楽しかったです。
一応物書きの端くれとしては、
城(歴史)を出版物にするところのお話をお話を伺ってみたかったのですが…
またお会いできるのを楽しみに。
そのときまで、私も少しでもよいものを世に出せられるようにがんばります。
倭城ツアーの仲間に入れてくださった織豊期城郭研究会のみなさんや
全国の研究会のみなさん、先生方ともお話したかったのですが…
いかんせんうまく話しかけるのが苦手です。。
という後悔はありますが、とても有意義な1日でした。
ありがとうございました。
- お城のこと l
- 14/03/08/22:52
【WORK】連載『萩原さちこの「名城に学ぶ」』第8回
ビジネス系情報サイト「Bizコンパス」の連載、
『城メグリスト・萩原さちこの「名城に学ぶ」』第8回が更新されました。
第8回は、「彦根城/現存天守に美と闘志が秘められた城」でございます→ ★
3月は休載となります。4月から復活しますのでよろしくお願いします。
- お城のこと l
- 14/02/23/23:59