甲賀の城
甲賀の城めぐり、本編です。
こちらがヤマヒルの大歓迎を受けた黒川氏城。
いちばん行きたかった憧れの城だったので残念でしたが、仕方ありません。
ちなみに、この景観を見て「美しいカーブだ〜」と発したところでヒルに気付きました。
気を取り直して、安全な甲賀の城めぐり。望月城、土山城も次回に持ち越しです。
寺前城、村雨城、服部城、新宮城。
甲賀独特の単郭方形の城とはこれなのだと、ふむふむ。
本当にここ一帯のスタイルで、甲賀を出るとぱったりと姿を消し、伊賀の城ですら見られないとのこと。
これは訪城していなければわからないよなあ。。
で、土塁が周囲をめぐらすだけの小規模で簡単な構造の方形プランの城が、
少しずつ技巧的になって虎口が複雑化し、さらには石垣を利用した城になっていくとのこと。
それは織田勢力下になると織豊系城郭に改修されていく、ということなのでしょうか。
それとも、甲賀に限定した独自の城なのでしょうか。
このあたり、聞けばよかったな…。
まあ、進化系の代表格である黒川氏城はリベンジ必須だし、
次の機会までに予習して、自分の目で確かめてから聞いてみよう。
関東の人間としてはやはりちと地理に弱く、
甲賀の位置関係と重要性を教えてもらって、初歩的ながら勉強になったり。
こういうのは、やはり地元の人や数をこなしている人に聞くとわかりやすい。
草津から鈴鹿山脈に向かって東海道が通っていて、甲賀を抜けて伊勢に続いていく、という立地。
そして、甲賀は六角氏が行方をくらませて拠点を置いた地。
室町時代から六角氏の勢力の一翼を担っていた地。
なんとなく甲賀の在り方みたいなものが想像できてきます。
(でも知識不足だなあ、、、勉強しなきゃ。)
新宮神社表門の近くに「新治の七城」なるマップ看板が掲示されていて、
近隣の城館・城砦が連携していることがわかりました。
それにしても、隣の城が近い!
なんというか、町内会みたいな感じですな。
しかし人間たるもの見栄はあるはず。
こんなに近いと、やれあの城は立派だとか、負けられんとか、いろいろあったのではないでしょうか。
そしてそして、新宮支城ー!!
これが噂の土塁か!
主郭の土塁に到達する前に、まず驚愕。
くっきりと残る土塁の先に切岸らしきものが立ちはだかるのですが、曲輪かと思いきや、これも土塁にすぎない。
裏側にまわってみると、ざっくりと大規模な堀切が切ってありました。
ここが主郭の北側の堀切で、南側にも大規模な堀切がありました。
とりあえず降りる。深い。
感動しつつ足を進め、虎口を抜けると主郭の土塁!
「ありがとうー!」と言ってしまうほど見事でした。
人と比べてもらえればわかりますね。
とりあえず登る。そして見下ろす。眺め回す。
主郭内は、20m×30mくらいとそれほど広くはないのですが、
それを取り巻く土塁が高い!そして分厚い!
高さは9〜10mくらいでしょうか。左に傾斜がついていました。
これで終わりかと思いきや、主郭の南側にも大堀切!
逆サイドの大堀切と、主郭をサンドするように固めてるんですね。
ここも、とりあえず降りる。
写真で見るより急勾配で、ちょっと登るのが大変でした。
これだけの大規模な土塁が盛っただけのはずはないので、
版築土塁なんでしょうね。
なにか特殊な技術集団を抱えていた、なんてこともあるのかなあ。
…なんてことも話しつつ。。
デザート的に、伊賀の福地城にも連れていってもらいました。
松尾芭蕉が福地氏の出自とのことで、芭蕉公園になってます。
伊賀随一の中世城館、とのことでたしかに本丸の土塁も幅広で立派だし、
本丸の虎口は石垣づくりの桝形門だったりと見事。
だけど、新宮支城がすごすぎて、さほどテンション上がらず(笑)。
全員、魂を吸い取られたかのように無言だったのでありました。。
大規模な虎口はなかなか立派で、ちょっとテンションが上がりました。
「土塁すごーい!」で終わった感のある甲賀の城。
年内にも来訪する予定があるので、ちと勉強だ!
- お城のこと l
- 13/06/23/23:59
ヤマヒルに遭遇!甲賀の城
城友さん5名で、甲賀の城めぐり。
ヤマヒルの大群に遭遇するという大事件が一番の想い出になってしまいました。
このブログは山城ビギナーさんも読んでくださっていると思うので、参考までに経験談を書いておきますね。
ヤマヒルに遭遇したのは、黒川氏城。
登りはじめて5分ほどでしょうか。最初に気付いたのは私です。
恥ずかしながら、トレッキングシューズにまとわりつくミミズかナメクジと勘違いしてました。
払おうとしても取れないし、しつこくまとわりついてくる。
枝を使って取ろうと1人で格闘し、
「なんだこの虫、しつこい!取れないー!」となったところで、ヒルと発覚。
気付けば4〜6匹ほどが、トレッキングシューズの紐の隙間から進軍してきていました。
すごいです、シューズの紐の隙間ですよ。スライムのように、ねじ込むように侵入してきます。
つまり、フットカバーなどで固めたところで防御不能です。
しかも、動きが早い!地肌を求めて猛スピードで這い上がってきます。
衣類の素材によっては、早ければ足から首まで30秒で到達するそうです。
慌てて下山し、ヒルが侵入していないかチェックすることに。
すると、5人中2人が吸血されてました。
1人は首筋に痛みを感じて気付きましたが、
1人はふくらはぎから流血しているのに気付いていない!
自覚症状がないというのも怖いところですね。けっこう肥大化していましたから。
みんなで全身チェックをし合っていなければ危ないところでした。
カメラの隙間に潜んでいたり、髪の毛の中に隠れていたり。。
とにかく急いで全身、衣類、持ち物をチェックすることが大切です。
幸い気付いたのが早かったのと、
それなりに慣れたメンバーで冷静に対応できたので大事には至りませんでしたが、
あのまま登っていたらどうなっていたか…。
そして、「鈴鹿山系はヒルが出る」とちゃんと書いてありました。情報収集不足です、反省。
5〜10月はヒルのシーズン。
また、この日は数日間の雨の翌々日。雨の後はヒルが出やすいのも覚えておきましょう。
さて、もし遭遇してしまったときの、ヒルの対処法です。
これは基本事項ですが、食いつかれたら、絶対に無理矢理剥がしてはいけません。
牙が残ってしまい、出血が止まらなくなる場合があります。
私のシューズから侵入しようとするヒルは、
城友さんが持っていた虫除けスプレーので退治できました。
虫除けスプレーの成分は有効ではないようですが、刺激で撃退できるよう。
城友さんの肌に張り付いたヒルも、これで剥がしました。
あくまで一時的ですが、効果的なことがわかったので、
ヒル専用スプレーがない場合は、とりあえず虫除けスプレーで対応しましょう。
あとは、アルコール、タバコの火、アンメルツなどが有効といわれます。
私達は、城友さんが「ヒルさがりのジョニー」なる
ヒル忌避剤を持っていたのでこれで対応。
調べてみたら、事前対策として身近なのは「塩」みたいです。
◎食塩水に浸したタオルを足首に巻き付ける。
◎塩を靴下などにすり込む。スパッツ等を塩水に浸し、乾かしたものを用いる。
◎塩を布で包んで足首のあたりに巻いておくとヒルはそこから上には登ってこない。
◎女性用ストッキングは蛭が吸い付こうとしても繊維が邪魔して吸い口から空気が漏れるので吸い付けない。
◎木酢液を原液のまま使用すれば、足元に上がらない。少々臭いのは我慢。
遭遇したら…
◎アルコール入りの小瓶の口を山ビルの下にを持っていくと自分から落ちる。
◎たばこの火でヒルを焼く。牙を残さないよう注意。
◎とりあえず、虫除けスプレーで剥がす。
◎傷口から血を押し出し、消毒し、ムヒやレスタミン軟膏を塗って絆創膏を貼っておく。
といったところでしょうか。
それから、吸血したヒルは必ず殺すこと。
血を吸ったヒルは1週間ほどで産卵します。
踏んづけたくらいでは死にませんので、
殺ヒル剤をかけるか、焼き殺すかして確実に抹殺しましょう。
「山城へはきちんとした装備で」なんて発言している私、ヒルに対する知識不足は反省です。
もう少し勉強しておこうと思いますが、とりあえず。。。
- お城のこと l
- 13/06/23/23:59
大満喫!!湖東の城
ここのところの城めぐりの中でも、もっともアツい登城でした。
うーん!スゴすぎて言えません。
城マニアさんのアレンジで、スペシャリストさん達とどっぷり登城。
なんともなんとも贅沢な1日でした。感謝。
もう、大っ嫌いな百足すらどうでもよく思いながら、夢中で山を這い駆け回りました。
今日は遺構だけでなく、
たくさんの城友さんにも会えた至福の1日でした。楽しかったー。
いろんな出会いに感謝。全部含めて、やっぱ城っていいな。
- お城のこと l
- 13/06/22/23:59
愛知の城めぐり
滋賀2日間の城めぐりの前に、愛知(プラス岐阜)でプレ城めぐり。
大給城、足助城、市場城、そして岐阜の妻木城+妻木城士屋敷。
あいにくの雨で軽めの登城でしたが、三河のゴールデンコースをまわれて楽しかったです。
市場城、初登城でしたがよかったです。
愛知県に、こんな畝状竪堀のある城があったなんて!
そして、私はやっぱり、
戦国末期に中世城郭から石づくりの近世城郭へ変貌する、過渡期な城が好きなのです。
悪天候のため降りるのは断念しましたが、
写真でもくっきりわかる5本の大きな竪堀は上から見下ろすだけでも十分満足でした。
これって防御装置になるのか?と疑問に思う部分もありましたが。
市場城の一般的なメインビジュアルである本丸の石垣はもちろん見事だけど
本丸脇の切岸もかなりダイナミックで見応えがあるし、お手本のような桝形虎口も残っていて
なかなか見どころの多いお城でした。
城内に遊歩道が整備されていて、歩きやすいのが魅力。
ひと通り歩けば切岸、桝形虎口、石垣、畝状竪堀が見られるという
親切なつくりなので、ビギナーさんにもやさしいです。
このあたりの地理と歴史が不勉強で、やや不完全燃焼。
88年城主を務めた鈴木(鱸)氏のこともよくわからずでしたが、
この城を見る限りではけっこうな勢力を持った一族だったのだろうなあ、と推察。
でもって案内板を見てみると、
4代の鈴木重愛が串原・広瀬の城を攻めて大功を挙げ、加増を受けたときに城の大改修をした、とのこと。
なるほど。明らかに石垣はこの時期なので納得。
ちなみに、姉川の戦い、三方が原の戦い、小牧長久手の戦いなどで家康に従軍してるんですね。
加増とともに、家康から鱸姓を賜ったよう。
しかし謎が多い一族のようで、改易の理由なども不明とのこと。
…市場城、遺構も歴史もまだまだ気になります。
そして、城友さんのご提案のままご一緒した、土岐市の妻木城が意外とよかった。
山麓の居館と山頂の詰城という典型的な中世城郭ですが、
居館部の妻木城士屋敷がなかなか見応えありました。県の史跡です。
ここでも知識不足で不完全燃焼でしたが、
妻木氏は関ヶ原合戦で東軍に味方した、いわゆる勝組みの城。
居館部は敷地面積も広く、設計も城並み。
土塁なんかを見るともともと立派だったように思えますが、
江戸期に入ってから石垣が構築され、拡張していったような気がします。
山上の妻木城は悪天候でじっくり見られませんでしたが、
妻木氏断絶は1658年(万治元)だそうなので、
廃城までの600年で繰り返された改修の痕跡などがあるのでしょう。
再訪したいところです。
川沿いにちょっと入ったところに、こんなスゴい高石垣がありました。
雨だったけど、これを見られたから満足!
- お城のこと l
- 13/06/21/23:59
城フェスvol.1前夜祭
城フェスvol.1 2013 in TOKYO、いよいよ明日!
ゲストの中井均先生&畠中和久さんと
戦国居酒屋で軍義(という名の前夜祭)を
明日の段取りを確認しただけで、わくわく。豪華で濃厚な3時間になりそうです。
おかげさまで、前売り券はソールドアウト。
立ち見になるかもしれませんが、当日券も販売します。
18時OPEN、19時START。
新宿ネイキッドロフトでお待ちしてまーす。
城フェスチョコ
城フェスvol.1 2013 in TOKYO、いよいよ明後日に迫ってきました!
写真は、イベント参加者のみなさんへのおみやげ。
オリジナルの城フェスチ
超かわいいんですけどー!!(自画自賛)。
トークセッションのスライドづくりを差し置いて、
これからちまちまラッピングします(こういう作業スキ)。
6種類(竹田城・岩村城・備中松山城・高取城・山中城・
1つプレゼントいたします。
前売りチケットは明日15日まで発売。
おかげさまでソールドアウト直前ですが、まだちょい空きがあります。
当日券もわずかながらあるかも。
6月16日(日)18:00OPEN、19:00START。
新宿Neked Loftにてお待ちしてます!
キリンラーメン&しかコロッケ&こんにゃくソフト
東海&近畿の城友さんたちと、1泊2日で播磨の城めぐり。
単独城攻めが多い私にとって、とっても楽しい2日間になりました。
みんなでワイワイも楽しい!すてきな女子達がいっぱい!
また仲間に入れてもらえたらうれしいなあ。
みんなで山城を登って、山頂でラーメン大会。
名古屋の城友さんがわざわざ持ってきてくれたキリンラーメン、
愛知県西三河地方の大人気ご当地ラーメンだそうです。
こんな岩場があったりとハードな道のりを40〜50分登った後の体に
ラーメンの塩気が染み渡るー!
しお、しょうゆ、みそ味と3味。
しお味で近年再ブレイクしたという通り、なるほどしお味がNo.1でした。
黄色い外袋に“豆乳”“米粉”と書いてあるのがわかるでしょうか。
豆乳のせいかマイルドで、米粉のせいか麺がややもっちりでした。
販売元は愛知県碧南市の小笠原製粉というメーカーなんですが、
なんと、池袋のサンシャイン水族館がコラボしたペンギンラーメンなるものもあるそうで!
「ペンギンのように親しみやすい商品」「水族館との関連」を考えシーフード味にし、
食べた時に海をイメージできるようホタテの香りを強く、エビ・スルメ・魚介系をベースにした。
…とのことで、こちらも気になる。
城で全国のお友達とつながったこともうれしく、
ご当地ラーメンで名古屋と東京がつながったのもなんだかうれしかったのでした(笑)
まだ売っているのかなあ。次回は私がお持ちして、またみんなで食べたいな。
こちらはしかコロッケ。
左の写真の赤い○のついた場所に鹿さんがいることを発見し、急いで撮影。
ズームしてみたら…カメラ目線だったというミラクル!
以前ここを訪れたときは、しかコロッケより先に鹿さんに出会ってしてしまい
「つぶらな瞳のかわいいあの子も、解体されてミンチにされて、油でカラッと揚げられちゃうのね」
と思うとあまりのシュールさにさすがの私も食欲を失ってしまいましたが、
今回は遭遇する前に食べられてよかったです。
なかなかに肉々しく、獣の味がしました。ジビエだね。
こんにゃくソフトもおいしかった(←これヒット!)
ホルモンうどんもおいしかった。
津山で食べたものとはちょっと味も麺も違ったな。
- お城のこと l
- 13/06/10/21:40
薬物依存が怖すぎる
群馬&埼玉の城めぐりで出会った2枚の看板。
(左/箕輪城、右/潜竜院跡)
“意”の漢字が間違っている丸ゴシック調フォントのクマ出没よりも、
薬物依存のほうがはるかに生命の危険を感じます。
「死にます」って…(笑)!言い切りが恐怖感を増長。
クマは注意すればどうにかなりそうですが、薬物は手を出したら確実に死に至るようです。
薬物依存の人、よく見ると、顔色が看板の地色と差別化されて、ほんのり色付けられている!
顔色を悪く見せる表現力が、恐ろしさを演出しています。
コピーも秀逸で、訴求力ありすぎです。
国指定史跡の入口に置かれている、という点でも衝撃。
ライオンズクラブとライオネスクラブの違いも気になります。
かつてはヤクといえばシンナーだったなあ、と懐かしくもあり。
中学生の時、山手線内でビニール袋を片手にした人に
泳ぎ気味の目で睨まれてびっくりしたことを思い出しました。
- お城のこと l
- 13/06/04/23:59
埼玉5城に立ち寄り
群馬へ行った帰りに、1日埼玉の城へ立ち寄り。
ベタに松山城。
この時期に来る城ではありません。
漕いではみたものの、当たり前ですが竪堀見えず。
ベタに杉山城。
やっぱり安心する、THEお手本な城。
ベタに菅谷館。
そしてそして、実は初めて行きました。小倉城!
「すいませーん、この城好きですー!」…と、言いたくなる城でした。
噂には聞いていたけれど、関東にこれほどまでの緑泥片岩の石積みがあろうとは!
しかし和歌山城や徳島城のそれとは違う、
今にも落盤しそうな見るからに脆いタイプでした。
それを証拠に、桝形状虎口の先は崩落して立ち入り禁止に。
ちょっと覗いてみたら、ざっくりごっそり崩落して崖になってました。
信濃の城にあるような平べったい石積み(私好み)なんだけれど、雰囲気は全然違います。
岩肌のディテールも、荒々しいというより、言葉は悪いけどちょっとさもしい感じ。
主郭の東側なんかはキメが揃った感じがして、情緒的でしたけれど。
ちょっと加工もていねいか?
ついつい石積みの写真ばかり載せてしまったけれど、
土塁も立派。4〜6mくらいありそうなものも。
関東らしさも感じられる城でした。
こちらは腰越城。
囮虎口なんかもあったりして、縄張がおもしろいなと思いました。
全貌はちょっとよくわかりませんでしたが。
決して広大ではないけれど、横堀もしっかりしているし、
竪堀もうまいこと入って、立地は催行で眺望も申し分なし。
さすがは松山城の支城といったところでした。
- お城のこと l
- 13/06/03/23:59
戦国真田の岩櫃城跡探検隊 – 2
さて、本日のメインイベント、
地域起こしクループ<あざみの会>さん主催「戦国真田の岩櫃城跡探検隊第7弾」。
8:30に城域内のホテル「コニファーいわびつ」に集合、午前中は教育委員会の方の講演、
午後は3コース(①岩櫃城、②岩櫃山、③周辺諸城)に分かれて歴史ハイク。
なかなか豪勢なランチ&資料付きで2,000円と充実でした。
なにより、あざみの会のみなさんがとても感じがよかったです。
地元愛に憧れる私には、こういう雰囲気が心地よい。
私は①岩櫃城へ参加しました。
超〜〜久々の登城でしたが、
はっきり言って以前は“ただ来た”だけの状態だったので、今回は解説付きでかなり満喫できました。
うーん、岩櫃城はひと言でいうと…国指定史跡になってもいい!
そしてもっともっと発掘してくれ!解明してくれ!という感じ。
初めてちゃんと見た私ごときが熱くなるのもなんですが、
レベルは高いものがあるんではないでしょうか。
同行していた教育委員会の方とのお話がとても興味深いものばかりだったのですが、
いい意味で、疑問を問いかけても明確な答えがない。
しかし、きちんと教育委員会の方の見解があるのです。
「そこは発掘調査をしていないので実は詳しいことはわからない。しかし私の見解は〜」といった具合に。
これはすなわち、解明すべき事項と無限の可能性が眠っているということ。
明らかに珍しい遺構が状態よく残っているし、
そういう文化財としての原石がありながら放置されているのはもったいないことです。
それから印象的だったのは、
「城域が特定できないのが、国指定史跡にならない最大のネック」というお話。
うーん、それがこの城の最大の魅力なんだけどなあ!
まあ、理屈はわかるけれど、
となると史料がある、証明できる結果がある、というのが
価値ある史跡の判断基準になってしまうんですよね。
なんかそれって…と思ったりするのです。
趣味で城めぐりを単発的に楽しむ分には、
国指定史跡かどうかという点はどうでもよく判断基準にもならないのですが、
(それなりにディープに城めぐりをして、いい城に出会っている城ファンは別)
文化財保護的観点からいうと、それではいかんじゃないか、と。
私はこの部分は強く感じていて、私ごときがあれですが、
素晴らしさと希少価値を広めることくらいならできるのではないかと日々思っています。
しっかりとした竪堀が山頂から山麓に延々と伸びているのが珍しい。
ガイドさんや教育委員会の方の解説によると、
ものによっては横堀と連携したりしながらちゃんとつながっているのだそうだ。
時期的に竪堀を降りることはできませんでしたけれど、
次回はトライしてみたいところです。
こうした竪堀が群馬県内で見られるのは岩櫃城と松井田城だけとのこと。これも興味深い。
国指定史跡の価値があると思う理由は、もちろん歴史的価値が高いからというのもあります。
なんのために、誰が、いつつくったものなのか、その変遷も解き明かされたらおもしろいと思います。
予測の域を少しでも出たら、縄張図にも信憑性が出てくるのでしょう。
岩櫃城の写真で一般的に登場する、二の曲輪と中城の境目にある、大手道とも考えられる長大な竪堀。
時期的に…美しいシルエットは草木のヴェールに包まれ姿を消していました(笑)
ただの草原に迷い込んだ人みたいになってますが、
肉眼では竪堀ラインがよく見ました。
一の曲輪南側に腰曲輪があり、その西側に虎口があるんですが、
その虎口&延々と伸びる横堀のコラボもなかなか好きでした。
もう一度同じルートを辿れ、といわれたら行ける自信がなく、すべてを歩いたとは言えない城。
素晴らしい城であることは間違いないので、もう一度訪れてみたいところです。
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織田信長の武田攻めで、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために3日で築いたという潜竜院跡。
一度は岩櫃城籠城戦を考えた勝頼だったといわれていますが…。
潜竜院の先には、潜竜院とともに昌幸が築いたとされる郷原城跡が残ってます。
この城、発掘されたのは1992年ですと!
最終的には岩櫃城に勝頼を匿って、ここで迎え撃つつもりだったのでしょうか。
近くにいたヤギ。
「かわいい!」と思って写真を撮ったけれど、よく見たらそうでもない。
痩せ型のおじいさん顔。
岩櫃城温泉(笑)!
夕方18:00、ひっきりなしに車が出入りする、侮れない繁盛ぶり。
町営らしいので安いのかも。地元民にとっての休日の憩いの場でしょうか。
- お城のこと l
- 13/06/02/23:59






























































































































