五稜郭の取材
国防のために築かれるも、まさか内乱の舞台になるという、ドラマチックな五稜郭。
後者の印象が強いため、榎本武揚や土方歳三が築いたと思っている地元の子供もいるのだとか(!)。
私も後者にウェイトを置いて書くことが多いのだけれど、
今日は前者のおもしろさが感じられた1日でした。
江戸幕府が開国に対してかなりの危機感を感じつつも、何を優先したのか。
変わりゆく世をどう捉え、どんな外交政策をとり、
どんな価値観や美意識の中で、五稜郭という城をどのように位置付け築いていったのかが現れているな、と。
たとえば奉行所の脇にもある松、444本も佐渡島から運ばれたそう!
単なる軍事施設であるならば、その資金や時間は半月堡づくりに充てようよ、と思うよね。
わずか15年の間に日本はがらりと変わり、兵器もぐんと変化する。
五稜郭のハイブリッドな構造、建物の特徴や工法は、まさにそんな時代の移ろいの体現。
今日は老舗の洋食店の取材もでき、函館の風土と歴史、文化の知らなかった1面を知れました。
…そんな感じの具体的なところを、連載で書こうと思います。
狗尸那城へ
鳥取城の取材後、午後は念願の狗尸那城をご案内いただけました。
贅沢な時間でした。
すごいで!
…という前情報通りでした。興奮冷めやらぬ。
コンパクトながらムダのない空間設計。
何段階かに及ぶと思われる、明確で的確な改変。
いろいろ考えてしまうことが多い。
こうして少しずつ、謎解きのヒントが出てくるのだろう。。たまらん。
昨年も一昨年も、ポッキーの日は鳥取に呼んでいただいていたことが判明。
来年…を待たず、このあたりの城をゆっくり歩きたいな。
米子城!
久々に米子城へ。
改めて、コンパクトながら城のおもしろさがギュッと凝縮された名城だなと感激しました。
やはり、毛利の石垣築造技術力はかなり高いのではなかろうか。
海城の構想とルート、破城の時期と目的、江戸期の改変、幕末の活用。
そしてあまり語られないけど軍港と商港の使い分け。
…興味深いことばかり。よくできた城だー。
今日は、載せられないけど、水手御門腰郭の石垣に驚愕しました。
そして、赤色立体図がすごい!
眺めていると気づくことがあるし、
一般人にも感覚的に伝えられるポテンシャルを秘めたツールだなと。
私ももっと、私にできることを考えねばね。
三の丸からの景観が、数年後には見違えるほど変わる。
これにもじーんと。
二の丸の石垣も、根石まで見えるようになるかも。
今より3メートルは高いはず。
思い起こせば米子市さんとのお付き合いは、
三の丸の駐車場化を食い止めたい、米子城を守りたいとご連絡をいただいたことでした。
私は何もできなかったけど、たった5年ほどでここまで成果を出し、
市民の認知度までもを高めた米子市に敬意を表したい。本当に。
(三の丸は今月中に史跡追加予定。祝!)
9歳になりました
10月で、フリーになって9年が経ちました。
10周年に向けてのプランは狂ったけど、シフトチェンジだ。
今、新たにつくりたいものがあって。
3年で形にして、5年以内に結果を出したい。
違う景色が見たいなと思います。
2年くらい前から、人前に出る仕事がしんどい。
なんか本当にもう限界かな、整理しようかな、と考えた今夏でしたが、
いろんな人に相談したりゆっくり話を聞く時間ができたおかげで、なんとかうまく軌道修正できました。
需要があるうちは、トライアルアンドエラーしてすべてを糧にしたいと思います。
(お仕事くださったみなさま、嫌々やっていたわけではないですよ、断じて。
そういうことではないので誤解なきよう!)
浮上した今、私はメラメラしている。
いい状態で10月を終えられてよかったな、と。
やればできる!
(ティモンディ風)
「日本100名城のひみつ」3刷
重版出来。
9月6日から3刷が出回ってます(今さら感)。
児童書は売れているらしいです。
18冊目となる新刊を8割書き終えました。
編集さんからサポートと刺激を受けつつ精進の中。
とても楽しい!
来秋発売予定です。