城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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火鍋城で忘年会

女11人でワイワイ、MB友の忘年会。
仕事バリバリ、毎日キラキラ。
パワフル女子の集いは、いつものことながら刺激的です。

このメンバーは、ただ楽しいだけじゃないのがいいんだな。
人生はいろいろあって、それぞれ立場も状況も考え方も違う。
たまに会うだけでは抱えているものを知ることもできないけれど、
別に全員が共有・共感する必要もないし、報告の義務もない。
でも決して、距離を置いて付き合えるからラク、なのではなくて、
遠くてもつながっているような、家族的な安心感がなんとなくあるのです。

いい感じの自分でこの会に参加できるかは、日々のちょっとしたテーマになるかも。
昼間から騒ぎ、おいしいものを食べ、大いに飲むことを、
贅沢ではなくご褒美と思えるように、時間を使いたいものです。

ところでこのお店【蒙古薬膳火鍋専門店 天香回味】の薬膳火鍋、めちゃめちゃおいしかった。
要予約の小龍包も美味。
薬膳というと生薬っぽい独特な香りがしそうですが、この鍋にはうまみしかない!
そして、間違いなく翌日の肌はぷるぷるだ。

「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」展

招待券をいただいていたので、サントリー美術館で
「開館50周年記念『美を結ぶ。美をひらく。』IV
南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」展 を見てきました。

西洋画のように見えて、れっきとした日本画。
大和絵の技術や絵具によって日本人によって描かれている南蛮屏風は、
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に名護屋城に随行した絵師たちが
長崎で南蛮船や西洋人の風俗を見たのがはじまりともいわれます。
禁教令によるキリスト教弾圧とともに悲しい運命をたどりますが、
それゆえに制作時期も背景も筆者も特定できない作品が
時を経て発掘されるというミステリアスな側面もあります。

今回の展覧会はタイトルの通り、
桃山時代から江戸時代初期の初期洋風画の傑作といわれる
重要文化財【泰西王侯騎馬図屏風】の制作の経緯や実態に迫るというもの。
本来ならば南蛮屏風に関する感想を書くべきところですが、私が夢中になったのは、南蛮漆器!
南蛮漆器とは、16世紀後半に蒔絵に魅了されたスペイン人・ポルトガル人が
日本でキリスト教祭礼具や西洋式家具を調度し、欧州に持ち帰ったもの。
螺鈿を併用したこの輸出漆器のことを指します。

作品として残るのは、キリストの磔刑図や聖母子像などを収めるための聖龕、
ミサに使用されるオスチアを入れる聖餅箱、聖書を乗せる書見台など。
これは、螺鈿や蒔絵を単なる珍しい流行のアートとして取り入れたのではなく、
格式高い芸術品として、かなり高評価をして採用していたということ。
文化や芸術というと、やはり西洋のほうが歴史も長く奥も深くなりますから、
ざっくりいうと<日本文化はしょせん西洋のまねごと>みたいなイメージになりがちですが、
まだ異国交流がほとんどなかったこの時代に、
世界に認められる芸術が日本にもあったというのは誇らしいことです。

これらの作品を見ながら、
「蒔絵や螺鈿をまったく知らない人が見たら、どこの国の作品だと思うのかなあ?」と想像。
いわゆる海賊の宝石箱みたいなフォルムの【花鳥蒔絵螺鈿洋櫃】などは
日本人の若者ですら、もしかしたら西洋の作品だと思う人がいる気がします。おもしろい。

日本人が南蛮文化にもの珍しさ以上の視点を持っていたことも、なかなか興味深い。
南蛮船は“財や富を運んでくる”象徴で、庶民が憧れを抱く存在だったよう。
憧れや理想からヒントを得たり、新たなものを生み出すパワーが、この頃の日本にはすでにあったんですね。

ちなみに【泰西王侯騎馬図屏風】は会津若松城(鶴ヶ城)の屏風絵でした。
蒲生氏郷がキリシタン大名だったことも関係あるのでしょうかね?
蒲生時代の会津若松城は、外観もさることながら、
内装もかなり絢爛豪華で色彩豊かな城だったのでしょう。

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ヴィーガンカレー屋さん

住宅街に突然ある、ゆるカフェ風の本格カレー店。

こつこつ、好きなものをひとつずつ揃えて、
こつこつ、バランスを考えてものを置いていっている感じ。
だから、シンプルだけどとても楽しそうな空間になっている。

このお店のすばらしいところは、珈琲がおいしいところです。
豆は丸山珈琲、プレス式で一杯ずつていねいに淹れてくれます。
ヴィーガンスイーツもすべて手づくり。
焼き菓子は、通販のほか、京都でも販売しているようです。
好きなことを極めるっていいですねー。

こちらヴィーガンカレーのお店ですが、意外と食べ応えあり。
常時7種のラインナップ。なんとなーく、また行きたくなる味です。

描かれた姫路城

昨日【浮世絵 戦国絵巻〜城と武将〜】について書きましたが、
先月の姫路取材の際に姫路市立美術館で見た
【描かれた姫路城】のことを思い出したので、書き留めておきます。

油彩、日本画、版画など多種多様な表現で描かれた姫路城の絵が展示された、
計77点の特別企画展です。

現実の姿を忠実に描写するのではなく、
位置を示すための象徴として描かれるのが主流だった江戸後期。
付近一帯が軍隊の管轄下に置かれていたせいか、作品が残らない明治期。
少しずつ姫路城が一般人の目に触れるものになり身近になってくる、戦後。
時代とともにその姿や存在が変わっていきます。
時代ごとにあり方は変化していきますが、
常に人々の中に姫路城ないし城が存在していたというのがうれしいところです。

興味深かったのが、油彩の姫路城。
日本の建築物は繊細すぎて、油彩のモチーフには不向きという通説がありますが、
それでも多くの画家が姫路城を題材に取り上げたということは、
概念を越えて魅了された画家が多くいた、ということ。

油絵の姫路城は、それはそれでステキ。
城好きの私から見ても違和感がないし、
「やっぱり城は和の色彩だよなー、なんか合わないや」ということもない。
どの絵も、変にシブい色を使ったり、質感やフォルムを強調したりせず、
そのまま、一瞬を切り取ったような世界だったのが逆によかったな。

姫路出身の日本画家、丸投三代吉さんの【播磨路】はインパクト大でした。
あれもキュビスムというのかなあ。絵の専門的なことはわかりませんが。
無意識レベルの幻想的な世界がダイナミックに描かれていて、
その現実味のない空想の中に、姫路城が小さいながら存在感を放っている絵なんです。
こんなふうに、世の中に城がナチュラルに存在したらいいのに。
城の計り知れない魅力を具現化してくれているようで、うれしくもあったのでした。

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浮世絵 戦国絵巻〜城と武将〜

太田記念美術館で【浮世絵 戦国絵巻〜城と武将〜】を見てきました。

前期/群雄割拠の時代〜本能寺の変、後期/天下統一〜戦国時代の終焉
の2期にわたり開催され、今回見たのは後期です。

江戸や明治の人々にとっても現代のような“戦国ブーム”はあったのでしょうか。
小和田哲男先生の図録中の解説によると、
いつの時代も人々は前の時代を追憶する傾向があり、
江戸庶民にとっても徳川幕府は忌避するもので、豊臣政権への憧れと回顧願望があったよう。
為政者への風当たりは、現代と変わらないのですね。
農民から天下人になった秀吉のサクセスストーリーは、当時も人気絶大。
それが、現代なら伝説に近い“ものすごく前のこと”なんですが、
江戸後期においては現実みのある“ちょっと前のこと”にしか過ぎないんですよね。
そのへんの臨場感や切実さみたいな温度差もおもしろいな、と思いました。

秀吉が絵の主役になるということは、徳川が家臣として描かれるということで、
もちろん江戸幕府が許すはずはなく、どんどん規制が厳しくなる。
そんな中でおもしろいのが、武将の名前の記述。
真柴久吉(=豊臣秀吉)、武智光秀(=明智光秀)、佐藤正清(=加藤清正)、浮島正則(=福島正則)というように、
仮名を使い架空の人物とすることで、幕府の審査をかいくぐっていたというのです。
もちろん、見る側にとっては<久吉=秀吉>と一目瞭然。
というか、幕府側もわかっていたでしょうが、このへんの審査基準はゆるいようです(笑)
戦国時代のことなのに、源平争乱時代や南北朝内乱時代の設定にしているなど、場面描写もハチャメチャ。
絵師のユーモアとフィロソフィー、幕府とのバトルが垣間見えました。
それから、幕末の黒船来航などによる脅威と江戸城炎上をリンクさせて
現代社会を風刺しているのも、なんともアーティスティックで粋。
浮世絵師というのはやはりジャーナリズムも不可欠なんだなー、などと感心してしまいました。

となると、さぞかし徳川家康の勇猛ぶりが崇められるかのごとく描かれているかと思いきや、
家康はじめ、徳川将軍の姿はどこにも見当たらない。
その理由は「徳川将軍は神格化した存在で、容易に描くなどもってのほか」ということだそうだ。
264年の栄華、などとひと言でいうけれど、
徳川幕府もいろいろ自己プロデュース大変だったのですねぇ。。

城の描写に関しては、
たとえばポスターに採用されている歌川貞秀の【真柴久吉公播州姫路城郭築之図】が
秀吉時代の三重天守の姿ではなく、江戸期以降(つまりは現在の姿)の白漆喰壁の五重の天守になっているなど、
<中世城郭であるはずなのに、江戸期の絵師ゆえに、江戸期以降の近世城郭を描いている>
という事実はリアリティがあって興味深かったのですが、
個人的には、浮世絵においての城の存在とか、絵師が城をどう捉えていたかとか、そういう考察がもう少し知りたかったかな。
合戦図も野戦が中心で、城をめぐる攻防というわけでもなかったですし、
戦国大名と城のつながりを感じさせられる説明もなかったのがちょっと残念。
「ああ、これ、城好きじゃなきゃおもしろさに気づいてもらえないじゃないかー」というもどかしさがあり(笑)、
城マニアとしては、〜城と武将〜というサブタイトルにはちょっと違和感がありました。

この手の展覧会に行くと、周囲はご年配の男性が大半なのですが、
明治神宮前という立地もあってか、今回は若い女性の姿が多く見られました。
(だからこそ、もっと城に興味を持ってもらえるよう城をフューチャーして欲しかったのですが…ブツブツ)
なんにせよ、喜ばしいことです。

図録がなかなか充実していそうなので、これからじっくり読みます。

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第8回 人んちカレー会

自家製カレーを持ち寄り、青空の下でみんなで食べる愉快なイベント【人んちカレー会】。

前回はカレーをつくりましたが→ 、今回は断念。全12種類、ひたすら食べました。
食べるだけでももちろんOKですが、せっかくなので次回はつくるぞ、と。

しかし、カレーというのは奥深い料理ですね。
これだけ種類があってもカブらないし、つくる人によって全然味が違うのがおもしろい!
人をつなげ、幸せにできるその魅力には、感動すら覚えます。

 
 

カレー色の帽子でイベントを小粋に演出したつもりでしたが、
そこには誰も触れてくれず、ただの秋らしい装いということになってました。しょんぼり。
食後は、大縄跳び!楽しかったー。平和な土曜日でした。

GKI in 涁

魚介LOVERの集い<club GKI>のお魚ナイトは、念願の【魚介三昧 涁】開催。
お隣のご実家が魚屋さんという、感動しないはずがないお魚料理店です。

メインは、予約必須の「金目鯛のしゃぶしゃぶ」。いや~、美味でした!
お刺身盛り合わせ、銀ムツの煮付け、厚岸生牡蠣、ホタルイカの一夜干しなどなど。
写真は、キンメしゃぶしゃぶを稲庭うどんで〆た後、
さらにぺろりと平らげた、名物「秋刀魚で焼いた焼きおにぎり」。
ごま、シソ、じゃこなどが入った混ぜごはんを秋刀魚で巻きて焼いた絶品です。
「食べきれなかったらお持ち帰りできますよ」の言葉に後押しされてオーダーしましたが、
誰ひとり持ち帰った人はいませんでした。。

おいしいお魚と日本酒をいただきながら、
仕事のことや趣味のことなど、魅力的な人たちと楽しいトーク。充実した夜でした。

結婚式♪

同級生K氏の結婚式。
K氏は実家もご近所、今住んでいる家もご近所。
引っ越すたびに数百メートルずつ近くなるという、どちらかがストーカーとしか思えない間柄でしたが、
そんなK氏もこんなにキレイでかわいいお嫁さんをもらうことに。めでたい!!
もう、めでたいから写真載せまくるね。

 


家族、親戚、友人知人を大切にする2人の人柄とおもてなしの心が伝わる
あたたかくステキな式&披露宴&二次会でした。

乾杯後、私より先に料理を食べだした新郎新婦が微笑ましすぎました(笑)
がっつきすぎではないか!
老夫婦になっても、こうして仲良くゴハンを食べているのでしょう。

 


グルメでセンスがよいK氏。
披露宴はCANOVIANO AOYAMA。
料理がすべておいしい!デザートプレートの内容は人によって違うし!引き菓子もおいしかった!
テーブルコーデも、シンプルながらナイスなセンスだったな。
そしてこれは奥さんセレクトだと思いますが、引き出物がすばらしかった。
iittala、ARABIA、marinecco大好きな私にはたまりません〜☆

 

今日は式にも列席ということで、こちらのお着物。
小紋ですが、訪問着っぽくも見えるものです。帯は華やかに、扇太鼓。
ヘアはかれこれ8年くらい髪を切ってもらっている
A10 OMOTESANDOのJUNさんにアレンジしてもらいました。JUNさんありがとー。

滋賀&京都ゆるり

お勉強モードから解き放たれ、最終日はのんびり湖南&湖西で琵琶湖周辺をドライブ。

 




大津城、膳所城、白髭神社、大溝城、坂本城、比叡山延暦寺に行ってきました。
滋賀県の方がおだやかで親切なのは、この広くておだやかな琵琶湖を毎日見ているからな気がします。
人のつながりを大切にする方が多い気がします。だから、また行きたくなる。

 

ユネスコ世界文化遺産の比叡山。やはり延暦寺の根本中堂は素晴らしかった。
1200年守られ続ける不滅の法灯は神秘的。各々が心にほのかな灯火を持ち帰ることができます。
途中からだったのですが、「間を取ること」のお話を聞いてきました。
順境のときも、逆境のときも、何もないときも。
人のせいにしていないか、責任と誠意を持って取り組んでいるか、人を思いやれているか。
いかなるときも一歩踏みとどまり、自信の言動を振り返るとともに周囲を見ること。
当たり前のことですが、ハッとさせられるお言葉でした。

 

夜は京都に移動して、京都のお友達と楽し〜い京都ナイト。
清水寺&広大寺&知恩院の夜間ライトアップめぐりをして、乾杯!

 

京都ではポピュラーだという「よこわ」のお造りをいただきました。
全国区ではないことにびっくりしていましたけれど、初めて食べたし、初耳。
クロマグロの幼魚のことらしく、赤身とも中トロとも違う味わい。
とろんとまろやか、でもしつこさがなくて飽きのこないおいしさでした。
ブリしゃぶも、京都ではホームパーティーのメニューになるほどポピュラーなのだそうです。

お酒は伏見の竹酒というのをいただきました。さっぱり。
次回は「ぐじ」というこれまた初耳の京都フードを指南してもらう予定。
まだまだ日本には知らないことがいっぱいだなあ!

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安土のほんまもんツアー【日本最大級の山城 観音寺城を歩く】

安土のほんまもんツアー2011【日本最大級の山城 観音寺城を歩く】に参加してきました。

中世城郭のスペシャリスト、滋賀県立大学人間文化学部准教授の中井均先生の解説で観音寺城を歩くというスペシャルな1日!
前回の【小和田哲男先生と歩く安土城】もかなり贅沢なツアーでしたが、
またしてもこんな夢のようなプランを実現するとは、安土観光協会さん、すばらしい!

前日は浜松で講演を聞き、翌朝には滋賀で出迎える。
私、まるで中井先生の追っかけのようでした(笑)
今日はたっくさんお話できて楽しかったですー。
中井先生の説明は要点がまとまっていて、トークのテンポがよく私の頭に入りやすい。
そして、さすが関西の方(大阪ご出身)といいますか、ちょいちょいおもしろネタを挟まずにはいられないようで、楽しいです。
こんなことをいうのは失礼かもしれませんが、山城にいるときは本当に楽しそうで、まるで少年のようなんですよね。
私の職業まで覚えてくださっていて、記憶力もよいのでしょうが、
人のつながりを大事にされていて、まず人がお好きなんだなあ、と思いました。

 


以前は時間のない中でさら〜っと見学に終わってしまったので、少し時間をかけて歩けた観音寺城。
といっても広大な敷地なので、今日歩けたのもほんの一部。
写真(上段左上)のレプリカでいうと、左の小さな山が安土城で、右の大きな山が観音寺城。
安土城でキツい方は、観音寺城はかなりハードです。

 




観音寺城は、日本で最初の総石垣の城とされている安土城以前に存在した、
安土城の目と鼻の先に位置する、石垣のある山城。
そして、城が軍事施設だった戦国期において
近江守護佐々木氏が居を構えたこと山上都市であったことが研究上断定できる
ミステリアスで貴重な中世の山城です。
なぜ、できたのか?安土城との違いや関係性は?中世城郭としての特徴は?存在意義は?技術的なポイントは?
疑問と感心が尽きない、山城好きならもう大コーフンの城なのです。

山城に慣れてくると審美眼みたいなものが養われきて、
素人さんなら素通りするただの道のあちらこちらに城郭のかけらを発見できるようになりますが、
やはりまだまだ気づかないことやわからないことだらけで、発見と驚きの連続。
専門的な考察はできませんし、先生のそういったお話にはうなずき感心するばかりでした。

暗渠や開渠、埋門や門跡を部分的に見るだけでなく、そこから全体像を考察したり、
山全体から縄張りや曲輪の存在意義を見ていけたのがとてもおもしろかったです。

 



コースは石坂→観音正寺→観音寺城跡→教林坊。
城内は御屋形跡、布施淡路丸、三の丸、本丸、平井丸、池田丸というコース。
本丸が頂上にないという極めて稀な城ですが(かつて観音寺があったという推察が深まる一因)、
頂上にもいずれ行ってみたいものです。

ランチは、治産地消の安土弁当。
安土商工会安土献立部会さんによる特別メニューです。
赤こんにゃく、ニジマスの甘露煮、琵琶湖産川魚煮、近江牛のしぐれ煮のほか、
湖魚と地場野菜の揚げ物、地鶏の串焼き、老蘇産もみじ玉子の出し巻き、そして私の大好きな丁字麩も。
安土はうまいもんもいっぱいです。

 

滋賀には1,300の城があり、とても制覇しきれません。
(※滋賀に限らず、各県1000くらい城があるといわれます)
安土の夕陽を見ながら、「ああ、滋賀に住みたい!」とまたしても思ったのでありました。

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