城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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鳥取城から石垣が新発見

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鳥取城で石垣が発掘されたニュースが、1/17付で新聞に掲載されました。

この石垣、昨年12月に鳥取城&太閤ヶ平をご案内いただいた時に、
見せていただきまして、ちょっと感動しました。

二の丸から天球丸に向かう途中の石垣で、
天球丸の石垣修復工事中に見つかったのだそうです。

石垣の内部にこんな慶長期の石垣が埋められていたとは…!
写真の出隅の部分のほかにもう1ヵ所の出隅と、1ヵ所の入墨があります。
新聞記事によると、高さは約2.5m、延長は約12mとのこと。
肉眼でも、けっこう長い範囲で確認できました。

現在の鳥取城の石垣は関ヶ原合戦直後に池田長吉が築いたものだというのが定説。
しかし内部から別の石垣が出てきたということは、
それ以前に別の石垣が築かれていたか、もしくは埋め立てられたかのどちらか。
そして慶長期の石垣で池田長吉以前とは考えられないので、おそらく後者。

天球丸がすぐ後ろにあるんですが、そこの石垣は10m。
なので、1617年に入った池田光政が、
天球丸の改修時に地盤強化のために埋め立てたのではないか、とのことでした。
説明をもとにラインを結んでいくと、なるほど考えるのが自然だなと納得でした。

これだから、城は目が離せません。

由布院の旅

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釜山→湯布院、夢のような1週間から戻りました。

 

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真ん中の写真は亀の井別荘にある鍵屋のおはぎさん。これおいしい!

湯布院2泊目は、奥まった場所にある旅館「月燈庵」さんの、離れの特別室に宿泊。
全室個室で、吊り橋を渡って森の奥へと進んでいく旅館なのですが、
特別室があるのは、さらに奥の長い橋を渡ったところにある、
ぐっと雰囲気が高級化する別空間(本館の宿泊客は橋の先には入れない)。
橋の先に、まるでもうひとつ旅館が出現したかのように母屋などが出現します。
母屋を抜けると敷地内に2つの専用露天風呂があって、特別室(5棟くらい?)が点在しています。

専用露天風呂+お部屋の露天風呂、専用お食事部屋、お部屋は2棟連結、というゼータク空間。
高級旅館の離れは、お部屋に入ると煎茶ではなく抹茶が出てくるんですねぇ〜。
 

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お夕食の関サバが、悶絶するほどおいしかったです。
その後には、雉の小鍋、豊後牛の石焼きステーキ。
もはや、どれがメインなのかわからなくなりましたが、
ふろふき大根、鱧のお椀、八寸、炊き込みごはん、郷土菓子のデザート、
朝食の野菜ジュースからデザートのヨーグルト、
ちょこっと添えてある柚子風味の明太子まで、こだわりがあって何もかも美味。
もちろん地酒もね。

味も歯触りも香りも彩りも繊細でていねいで、有田焼の器もすべてステキー。
お野菜や調味料が地のものを使った自家製なのはもちろん、雉の養殖までされていて驚きました。
朝食のお味噌汁がおいしくておかわりをしたら、なんと違う種類の味噌汁が出てきましたよ、奥さん!
これが最高峰のサービスというものなのでしょう。

もちろんお部屋は居心地がよく、おふとんもふっかふか!
2ヵ所の露天風呂もお部屋の露天風呂も、心配りが行き届いていて快適&極楽ー!
由布院のお湯は、くせがなくてさらさらしていていいですね。湯上がりが気持ちよいです。
幸せすぎて、温泉で溺死しそうでした。
 

お恥ずかしいと思いつつ、個室だったのでコッソリお料理の写真を撮りました。
ああ、思い出すだけでおいしいー。

 

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城ファンとしては約5年ぶりの岡城に満足、水曜どうでしょうファンとしては姫だるま工房に興奮。

 

今年の疲れはすべて癒えました。
ひと足先に、今日から2014年の仕事始めな私です。

第21回全国山城サミット鳥取大会

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鳥取で仕入れた速報!
来年、鳥取市で行われる山城サミット鳥取大会は、2014年9月28日の開催だそうです。

あたくしの仕入れた情報によると、
あんな方やこんな方、ものすごい豪華なゲストが内定されているもようでした。
ホントにスゴい!鳥取市教育委員会さんってば、やりますねー。
かなり、人が集まるのではないでしょうか。

9月というと城めぐりシーズンなので早々に予定を入れてしまいそうですが、
お城ファンの方は、ひとまず日程をチェックしておくとよいかもです。

私も行きますー。楽しみ!

 

太閤ヶ平と陣城めぐり

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取材で、太閤ヶ平と周辺の陣城めぐりへ。
但馬の城といえばこのお方!山名氏城跡保存会会長の西尾孝昌先生と、
鳥取市教育委員会文化財課の細田さんにご一緒していただきました。
鳥取城を知り尽くしたおふたりにご案内いただくという、身に余る贅沢。じーん。
近年の城めぐり及び取材の中でも、トップクラスの充実した1日になりました。

太閤ヶ平は2〜3年前の見学会でいたく感動しまして、
周囲の陣城群もじっくり見てみたいと思って訪れたのですが、
いやいや、想像を絶するものがありました。
すばらしい、すばらしい、すばらしい!
もう、3回言っちゃう。いや、3回じゃ足りない。
今回の取材だけではもったいないので、他の媒体でも別の企画で書きたい!!
今書いている次の著書でも、盛り込むと思います。

これからたっぷり書くつもりなので、ここでは書きません。
写真だけ載せて、私が満足するだけ。だって日記だもん。

太閤ヶ平(たいこうがなる)は、
いわゆる「鳥取城の渇え殺し」と呼ばれる兵糧攻めの際に、
鳥取城のある久松山のわずか1,300m対面の本陣山に置いた、秀吉の本陣。
これが、スゴイ。
どう見ても、太閤ヶ平のつくりは異質で、一時的な基地ではなく城。これは遺構から見ても明らかです。
こんな陣城、私は見たことがないです。
切岸だって大胆だし、櫓台も四方にある。大手口には両サイドから横矢がかかる厳重っぷり。
信長は太閤ヶ平に入り、毛利と直接対決するつもりだったのでは、という学説も納得です。
信長が自分の出陣を匂わせている文献がありますし、
そもそも信長は、秀吉が力攻めしようとするのを制し、兵糧攻めにするよう指示しています。
「鳥取城の渇え殺し」は、数年かけて三重の包囲網を構築した実に巧みな包囲戦。
城攻め名人とされる秀吉を代表する真骨頂です。
それだけでも深く追っていくと感心の連続なのですが、
さらに背後で信長が糸を引いていたのだとすれば、
信長の頭の中のシナリオって、超人的すぎて恐ろしいものがあるなあとゾクゾクします。

私は元亀争乱にはじまると思われる
信長の陣城を使った包囲戦の発展史みたいなもののを、
いずれわかりやすくまとめて書きたいなあと思っていたりします。

縄張や遺構からこういう推察ができるって、それだけでおもしろいことですね。
さらに文献史学も少し追っていくと、また違った推論があっておもしろい。
考古学と文献史学の研究者では観点が違うから、どちらが正しいということでなく明らかな違いがある。
そうした観点や論点をかいつまんで知り、自分が見たものや感じたことから連想して楽しめるのが、私達ファンの特権です。
想像力の広げ方、などというと大げさだけれど、奥深さのスケールを提示するような、
そんな本も書きたいなあと思っています。これは書きます。

秀吉の鳥取城攻め「鳥取城の渇え殺し」については
先日発売になった『黒田官兵衛をめぐる65の城』(タツミムック)でわりと詳しく書いたので
ぜひ読んでみてくださいまし。籠城戦までの道のりや三重の包囲網、布陣図も載ってます。

 

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細田さんに鳥取城天球丸の石垣修復現場を見学させていただいた後、
西尾先生が書かれた縄張図を手に登城スタート。
午前中は、尾根伝いに陣城をめぐって太閤ヶ平を目指しました。

 

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尾根上の遺構はさほど期待していなかったのですが、いちいち感動するほど良好。
ただ、この砦でどうこうするというのではないから技巧的ではありません。
常に久松山が見えている状態、かつ文献によれば構築は短期間で行われているので、
とにかく視覚的に線をつくることが目的なんでしょうね。
先月訪れた岩屋城の仕寄とはまた全然違っていて、おもしろいなあとニヤニヤしてしまいました。

時折、西尾先生が、踏査しながら自らの縄張図に赤入れしていたことに大感動(笑)!
だってこれが日本の城の常識になっていくんですもの。。
目の前に伊能忠敬がいるようなもんですよ!

いちいち解説しませんけれど、山城へ行く人ならば、写真を見て驚くはず。
堀切や曲輪の段差、土塁がこれだけ写真にきちんと写るのが、どれだけすごいことなのか!

 

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久松山をバックに、西尾先生とパチリ。

 

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以前太閤ヶ平の訪れたときは雪で、遺構が見えないところがあったのですが、
今回は草も刈ってあって、くっきりはっきりよく見えるー!
座って、西尾先生&細田さんと談義。
私、このときちょっと地面に頬を埋めて寝てみたくなり、我ながら変態だなと思いました。

 

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さて、実はここからがメインイベント!!!
2本、場所によっては3本の巨大な竪堀が平行する、通称「大防衛ライン」を伝っての陣城めぐり。
この大防衛ラインこそ、太閤ヶ平が陣城とは思えない過剰防衛であると断言できる所以。
西尾先生に解説していただきながら、竪堀をガシガシと登っていく。

ありがとう、ありがとう!大防衛ラインありがとーう!!
日本語を生業としていながら、この感動はすぐには表現できません。いずれ書きます。
山城の遺構を見たいだけ、という人でもここは一見の価値ありです。
(でも確実に上級者向けですのでご注意を)
とくに伝羽柴秀長陣城への竪堀は絶叫するほど見事でした。

どーんとジャンボリーな竪堀と平行して、雛壇状の曲輪があるのも特徴。しつこい!
二重の竪堀+曲輪群。つまり三重の防衛ラインを構築しているということですよねえ。
羽柴秀長陣城などは、雛壇状の曲輪のラインが二重ですから、かなりの厳重警戒です。
(西尾先生の解説で、ここが最前線であると納得)
それにしても、この城はいったいいくつ曲輪があるのでしょうかね。

 

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羽柴秀長陣城周辺を果敢に散策した後は、
瓢箪池北西の陣城群、寺屋敷方面をまわり、尾根伝いに久松山へ。
ちっちゃい砦の桝形虎口、鳥取城の登り石垣に感動しつつ、山上の丸もぐるりひと通り。
西尾先生と細田さんの石垣議論に耳を傾けて、ひっそりとコーフンしながら。。
本丸から太閤ヶ平が見えるようになっていて感動しました。
太閤ヶ平から久松山、久松山から見る太閤ヶ平の両方が見えるということですね。鳥取市に感謝です。
天守台からは雁金山砦や丸山城がばっちり。旧河川の位置も教えていただきながら、距離感と配置を確認。
でもって、鳥取城へ下山したのでありました。来年は丸山城方面ですな。羽柴秀次陣城に行きたいです。

それにしても、西尾先生のタフさには感服いたしました。
私、ここ10年ほどフルマラソン完走翌日以外に筋肉痛になった記憶がありませんが、
なんと翌日、足が筋肉痛に!
女性にしては足腰の強さと体力がかなりあるほうだと思いますが、今日はハードでした。
この1年はかなり運動不足で筋力と体力の低下が著しいというのもありますが、これではいけません。
鍛えなきゃいかん!と思いました。そんなことも西尾先生に教えていただきました(笑)
ちなみに今、私の足はアザだらけです。

本当に有意義な1日でした。西尾先生、細田さん、本当にありがとうございました!
いいもの書くぞーい。

「医王山城を援護する城郭群巡り」

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美作の中世山城連絡協議会さんのイベント、
「山城登山会~医王山城を援護する城郭群巡り」へ参加してきました。
せっかくなので、梶間山城→吉見仙砦→烏ヶ仙城→塩屋城→医王山城、というマニア向けコースをチョイス。

うーん、うーん。
いろいろ書きたいことがあるけれど、解説はしません。ひとまずざっと写真のアップを。

 

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なんとも、なかなか!想像以上にハードでした。
とくに梶間山城は、ロープを手繰りよせ這い上がるサバイバルな1時間の登山。
急峻すぎて立ち止まることも困難な道のりで、写真撮影などできないほどの緊迫感でした。
2時間弱で梶間山城到着。
その後は尾根伝いに医王山城を目指すのみ…というわけではなく、アップダウンを繰り返しながらの登城でした。

下段左は、吉見仙砦へ向かう途中の絶景。
津山盆地には、AM10:00だというのに雲海が広がっていました。
…竹田城よりすごい。
この気候が、このあたりの名産である黒豆をおいしくするらしいです。
…原理はわかりませんが、言われたことをそのまま書いておきます。

 

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ガイドしてくださった地元のNさんが超ツワモノ!
「城には興味がなくて草刈りが趣味。草を刈っていたらこの城を見つけた」とおっしゃっていました(笑)
ハードな登山道を、芝刈り機を背負って登るTHE山男のNさん。
ときに案内板を釘で打ち込み、ロープを張り、鎌で薮を払い、道標のリボンを結びながら先導していた…(笑)
美作の中世山城連絡協議会さんは熱心に保存活動をされていると伺っていたのですが、
今日訪れた城の登城道が整備されているのは、地元の方の尽力も大きいのでしょう。

 

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けっこう遺構の残りがよくてびっくりー。

医王山城は毛利方の城で、天正8年(1580)に信長方の宇喜多直家・秀吉の攻撃を受けるんですが、
なんとこの山城で2年間も籠城戦に耐えるわけです。
そのときに見事なサポートをしたと思われるのが、今日歩いた陣城群。
医王山城は播磨方面からの進軍と加茂川を挟んで対峙する立地。
ちょうど眼下に、因幡へ抜ける加茂川と街道(因美線)が見渡せる要衝です。
医王山城を最前線に、後方の砦が背中を支えるように段層的に控えていく。
横のラインをつくるというより、バッグアップを繰り返してサポート体制を固めるイメージでしょうか。

 

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こうして尾根伝いに自分の足で歩くと、
防衛ラインの役割や距離感、役割はもちろん、情勢も連想できる。
背後の天狗寺山城が、親方的な重要な役割を担っていたんだろうなあ、とか
常に視界に入る東側の中山城もさぞかし争奪戦が激しかっただろうなあ、とか。
医王山城が南北朝時代から錚々たるメンバーが争奪戦を繰り広げてきたのも納得です。
地図上に直線を引いたりするかのように、
見えている景色が色分けされて見えてくるから不思議なものです。

陣城も地域によって構造や連携のしかたが全然違うんだなあ、というのも
全国の城めぐりを通じて見えてくるおもしろい点です。

 

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医王山城そのものの遺構としての見どころは、北側の3段堀切と、南側の畝状竪堀。
石垣も、美作の山城では貴重。これは宇喜多領になってからのものでしょうかね?
二の曲輪の切岸の下は土塁止めのような使われ方をしていて、ほほぅと思いました。
意外にテクニカルでもある、ニクい城でした。

関東人の私には岡山はそれほどなじみのある地域ではないので
土地勘もないし、歴史もさほど詳しく頭に入っていません。
だからこそ、こうして説明を受けながら歩くと楽しい。
後で資料をいただいたら、興味深いことがたくさん書かれていました。
いつも思うことだけれど…
もうちょっと歴史的な予習ができていたらもっと楽しめたかな。

 

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前述のNさんが車で送迎してくだった上、
お赤飯おにぎりをつくってきてくださいました。おいしかった!
医王山の本丸では熱々の甘酒が振舞われたりと
(わざわざ山頂までカセットコンロを持ってきてくださっていた!)
事務局長の長瀧さん、細やかなご配慮とおもてなし、本当にありがとうございました。
よき1日になりました。

そして、来年こそ必ず矢筈城に行こうと心に誓いましたとさ。

 

出雲の城めぐり

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翌日は、出雲の城をてくてく。

 

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月山富田城。ひさびさ。

 

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茶臼山城。甘く見てたら意外と急勾配。2回コケた。

 

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白鹿山城塞群。ほぅぅ〜。

 

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松江城。なんか混んでた。城ブーム到来なのか?

 

京羅木山城跡・勝山城跡の縄張りをさぐる

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京都から移動して、2日間島根へ。

11月4日(祝)は、
島根県立八雲立つ風土記の丘
京羅木山城跡・勝山城跡の縄張りをさぐる
に参加してきました。

京羅木山城と勝山城は、毛利元就が月山富田城攻めをする際に築いた陣城。
『出雲の山城』編著者の高屋さんのご案内で、豪雨の中の強行軍でした。
金比羅神社から京羅木山山頂へ。そこから京羅木山城A群→B群→勝山城、というルート。

 

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泥んこわんぱく城めぐりー。
「こんな日に山城に行くのはやめましょう」というような天候。
通常ならイベント中止だと思うのですが、動じない出雲魂に尼子の気概を感じました(笑)。

 

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尼子攻めの際に大内義隆や毛利元就が陣を置いた京羅木山城から見下した、尼子氏の本城・月山富田城。
もう1枚の晴れている方の写真(※翌日撮影)はその逆で、
月山富田城から見た京羅木山城(右手前が元就の本陣・勝山城)。

こうして至近距離で対峙しつつ、周囲の山々の小さな城も巻き込んで城塞化し、
連携しながら標的の城を落としていく。
城をパーツで見ていくのも楽しいけれど、点と点が線で繋がるともっとおもしろい。
そこにはもちろん歴史も絡んでくるけれど、
年表に1行でまとめられる前のサイドストーリーみたいなものがたくさんあって、
その一面を見つけるのも城の楽しみのひとつなのだと思うのです。

 

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ウワサの勝山城の遺構に大コーフン!
畝状竪堀40本は圧巻。
1本が大規模で、ダイナミックなものでした。残り良好。
薮っているので、例の如く写真にはうまく写りません・・・。

3本の大堀切もしっかり残っていて、これまた圧巻でした。

 

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左の↓が勝山城、右の↓が月山富田城。

 

陣城を使った包囲戦、その秀逸なまでの連動性やしくみはもちろん、
その発展史みたいなところに、今ものすごく興味があります。
はじまりは元亀争乱にあるんだろうなあ、といろいろ推察してみたり。。

高屋さん、いろいろありがとうございました。
資料もいただき感謝です。満喫!

 

 

湖北センゴクセミナー2013 伏見城見学

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11月3日(日)に行われた、
湖北センゴクセミナー 第5講 現地 伏見城「伏見城桃山稜との関係は」
に行ってきました。
先日の座学 → に続き、講師は滋賀県立大学中井均先生です。

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並べられてもなんだかわからん写真ですが。

上段左から/
桃山天満宮に展示された、伏見城石垣の石材(矢穴の幅が約16cmとかなり大きい!)
伏見城本丸(桃山陵墓の後方の山。天守台は本丸後方で、座学で解説のあった左寄りがポイント)
徳前丸と二の丸の間の空堀(堀底が駐車場に。竹薮が二の丸で土塁が残る)
下段左から/
徳前丸と出丸を繋ぐ土塁(上手に撮れなかったけれど、これスゴイ!もっと見えるようにすべきー)
大蔵丸の土塁(競技場に改造されても、土塁と曲輪のラインがしっかり残っている)
外堀(地形を改造するほどざっくり掘りおこした空堀であることを確認)

トップの写真は、御香宮神社に転用された旗立物用の石材。

座学で聞いたことを自分の目で確認できて、有意義な見学会でした。
それにしても驚いたのは、伏見城のすさまじい土木量!
信長の城の延長が秀吉の城…と単純に考えるには無理があることがいくつかあって、
この相違点も1つなのだなと思いました。
信長はしなかったのかできなかったのか…というお話を中井先生とランチ時にしたり。

増田長盛屋敷跡は四段の曲輪があって、石垣も残存。
掘ればいくらでも出てくるだろう、と中井先生。
伏見城の調査報告は来年5月を目標にされているとのこと。そちらも拝見してみたいです。

 

岩屋城踏査会3〜岩屋城付城群〜

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そして付城ぐーーん!

 

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付城は、1584年(天正12)に宇喜多直家が岩屋城を攻撃した時に構築した陣城。
いやいやいやー!噂の通りすごかった!!
以前中井先生からお話を伺い、城フェス vol.1でもスライド付で少しお話いただいていて、
ここは訪れてみたいと思っていた場所。
サイガさんの解説のおかげでより堪能できました。感謝。

とくに楽万の上砦、尾根上東西に延々と伸びる土塁は圧巻!
東側の斜面は、竪土塁のように伸びていく。
東西2つの砦があり、どちらも昨日つくったかのように明確で虎口もくっきり。
とりわけ西の砦は大規模な空堀が周囲にめぐって、横矢が掛けられる凸部もあったりと完成度高し。

荒神の上砦も行ってみたいものです。

 

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グラビア撮影風。

 

岩屋城踏査会2〜岩屋城〜

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2日目は岩屋城、そして岩屋城付城群(妙福寺ノ上砦&楽万の上砦)!

 

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岩屋城の見どころは、二の丸大堀切と“てくのぼり”と呼ばれる畝状竪堀群。
この畝状竪堀群、とても不思議。
東側の山腹の長方形の区画に、まるで畑のように12本掘られている。
幅約5m、深さ約2m、長さ100mとのこと。

 

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でもって、いただいたこの写真。ワタシ、何がしたかったんだろう(笑)?