城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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第10回米子城跡整備検討委員会

 

米子城跡整備検討委員会。
新年度の計画に加え、いよいよ、三の丸の整備・活用の計画案も出てきました。
先に見つかったすばらしい米蔵や石組敷石水路も、うまく知ってもらえるといいな。

 


ついにグラウンドが全撤去されていて、感無量!
なにより感激なのは、これまで壁となっていたスタンドが取り払われたことで
一般道から否が応でも圧巻の石垣が市民の目に入るようになり、認知度や関心が高まっていること。
山上の石垣も少しずつ間伐されてきたことで、
城下町からも仰ぎ見ることができるようになりました。
先の調査では内堀の位置も確認され、内堀越しのリアルな景観もよみがえりつつあります。

1ハギワラ分(5尺)地中から現れた表中御門枡形の石垣、1周ぐるり!見事!
2ハギワラ分(10尺)埋まっていた二の丸北東面石垣も、顔を出した上に特殊部隊によりこんなにきれいに!圧巻!

枡形1周はできないけれど、上からは見られますよ。
面による積み方の違いもおもしろいところです。

⁡米子市により丹念な調査と愛ある整備が進んでいます。
すばらしい遺跡を未来に繋ぎ地域の誇りを育てるために、拝命したからにはできることを模索したいと思います。

 

尾高城の発掘調査

国史跡を目指して発掘調査が始まった、米子市の尾高城。
調査区域の本丸・二の丸は私有地につき立入禁止ですが、注目はしてほしいので許可を得てシェア。
(それ以外のエリアの広範囲、草が刈られて恥ずかしいほど丸裸に!今、見応え抜群です!)

 

 
 

 

・本丸と二の丸間からは、エントランスのような謎の空間が出現
・本丸東面は栗石が散乱しているものの積石の落石はなし。中村さんによる米子城への転用か?
・本丸および二の丸の出土遺物から生活の痕跡は確認されるものの、礎石はなし。…テントで優雅な生活してたのか?
・礎石は本丸南西側で一部確認されたものの、1列のみ
・本丸北東側の土塁は、石積みを伴って数段に分かれる。段差部にわざわざ石を積んでいる
・土塁は排水用の窪みを伴うもの

本丸と中の丸間の枡形に接続する虎口がメインゲートだとすると、
本丸南東面にも石を積んでいてほしいところ。
しかし落石もなく痕跡はなし(てか積めないと思う)。
本丸北西側の虎口との役割の違い、それに伴う形状の違いはとても興味深い。
防御と示威のバランス、というか。。
そしてその手法は勝手に思っているものと違うのかもしれません。

廃城と破城の定義ってちょっと解釈がおかしくなっていて(研究者ではなく一般人がね)、
案内板の記述とは(ときに報告書も)現地の状況と辻褄が合わないと感じることが多々ある。
そんなことも思案しつつ…
情勢を考えると、米子城へ移転後も継続して使われたんじゃなかろうか。居城ではなくなっただけで。
などと考えてしまいました。
それはそれで、どういう使われ方をしたのか気になってきますけれどもね…。

 


大きく絞って3段階(国衆・杉原・中村)。
その改変すら解明するのは難しいとは思うけれど、
それこそが、さすが西伯耆の要と唸らされるおもしろさ。
そして、尾高城から米子城へとつながっていくことが、この地域の歴史に触れる上で大切なところ。
米子城のすばらしさや意義に直結する、地域を深く系統的に知ることができる城だと思います。
こういうところを、ゆくゆくは地域の方に知っていただきたい。伝えたいです。

 

 

米子市ではすでに赤色立体地図も撮影していて、照合しながら現地を歩くと本当におもしろい。

公開されたときも、わかりやすく理解してもらえる大きな手がかりになると思いました。


以上、市の見解でもなんでもなく完全な素人私見ですんで勝手に言わせといてくださいな。

 

前島の大坂城築城残石群

なんとキタ…荒々しい採石場なのか。
松江の堀尾さんと鳥取の池田さんがたくさんいました。

 

まわりきれなかった。ここまた来たい。

 

テレビ東京 「東京GOOD」WEB特別版「お城」出演

俳優・写真家の櫻井圭佑さんと、
世田谷城→滝山城→江戸城へ。
八王子城と浄福寺城と奥沢城のお話しも聞いてもらいましたよ。

テレビ東京で放送されている東京都提供のテレビ番組
「東京GOOD」のweb特別版。

こういう番組が、世田谷城に来てくれる時代に…!
字幕の解説がちょいと間違ってるけれども笑、ありがたくめでたいです。

ぜひぜひぜひ、ご覧くださいー!

 

     

写真家でもある、アートな視点の櫻井さん。
山城にすら美を見出してくれたのがとてもうれしかったです。
うれしい感想をたくさんくれました。

 

JR東日本「大人の休日倶楽部」2022年3月号

JR東日本「大人の休日倶楽部」2022年3月号。
特集「奥羽の雌雄が決するとき」を書きました。
発行部数116万部。…そんなに読まれていると思うと恐ろしい。

⁡唯一の、城以外のお仕事。
しかし、スキルの高いみなさんとチームで紙媒体をしっかり制作する楽しさを、久々に味わえて楽しい。
こういう仕事を増やしたい。
なにより、2年ぶりに特集を書かせていただけてとてもありがたく幸せでした。

この2人の比較はちょっと新鮮。
義光を取材していると、政宗がチャらく思えてこなくもない。笑
しかし、価値観の相違というか、重んじるものの優先順位の違いというか、
現代社会にも通じるトップの手腕が見えてきて。
そういう意味では、2人の生涯と歴史的経緯を並列比較するのはおもしろかったです。
…そのへんはあんまり書けなかったですけど。

最上義光サイドの取材先の皆様には好評とのことでとてもうれしいです。

あと、雌雄は決していないのにメインタイトルが決められていたので、
文章の落としどころが難しかったのが思い出です。笑


ぜひご覧ください。
読んだらそっと感想を聞かせてくださいな。

 

BS11「偉人・素顔の履歴書」に出演しました

すっかり忘れてました。。
2月26日(土)20:00〜放送、
BS11「偉人・素顔の履歴書」に少し出演しました。
萩原20個分の高石垣の上からお届けしています。

見逃し配信してるそうなので、
ぜひご覧くださいませませ(3月21日まで)。

全国無料放送BS11「偉人・素顔の履歴書」
第19回『主君を7度も変えて出世した戦国武将・藤堂高虎 編』

 

上平寺御城下ゲストハウス「うむ」

やっと来られました!
ちえさんが昨夏オープンした「上平寺御城下ゲストハウス「うむ」」。

伊吹山山麓の京極氏館そば、上平寺地区の空き家をリノベーション。
一棟貸し切りで一日一組限定、「山城」「戦国」をテーマにした宿泊施設・地域拠点です。

すべてに細やかな気配りと思いが詰まっていて、そこに引き寄せられる人の愛が宿っていて。
センスのよさに加えて、あたたかさがあふれていました。
古きよきものに命を吹き込むような。
ちえさんの人柄をそのまま具象化したような。

旅好きだし仕事柄いろいろなところに泊まるけれど、「また必ず泊まろう」と思える宿は実は数少ない。
ちえさんがこれを読んでいるから書くのではなく、本当に居心地よく、また帰りたくなる空間でした。

信楽焼の浴槽、浴室の床と壁からは檜のよき香り。
寝室は、やさしい照明と吹き抜けでゆったり。

広い和室では、仏壇をリメイクした棚からスクリーンが登場し、トークイベントをすることも。
サイトでは、プレオープンイベントで中井均先生や太田浩司先生がお話しされたようすも見られますよ。
今回雪に埋もれて見えなかった、
石垣を積んだかっこいいエントランスなどの写真もステキなので、ぜひ見てみてください。

 

⁡⁡夜な夜な語ったけど、話したりないな。
近江の人は、まっすぐであたたかい。
いろいろな方に会ってお話できて、おいしいものもたくさんいただいて、最高のステイでした。

ハンモックの上から熱く語ってごめんなさい。笑
聞いてもらった野望はひとつずつ必ず形にして、ひとつ成し遂げたらまた訪れて、
ハンモックの上から次の野望を聞いてもらおうと思います。

ちえさん、次はBBQでお願いしますね(雪で庭のBBQスペースがまったく見えなかったけど!)

 

 

京極氏館の登城口という好立地。
京極氏館→庭園→上平寺城→弥高寺、は私的ゴールデンコース。
登りたかったし案内したかったんけれど、豪雪につき断念。
豪雪で山麓の居館すら行けなかった。
てか、登城口の看板も埋もれていて説明すらできなかった。笑

うむ泊のツアーやりたいな。関ヶ原も近いしね。

 

近江にて

雪にはしゃぐ関東人。笑

連日濃すぎて、ありがたすぎて。
テンション上がって眠れぬこの数日in近江です。
スイッチ入りましたよ、わたし。⁡

 

徳川大坂城東六甲石丁場

 

高所から切り出し。
からの、切り出されて落ちた石(岩)。

徳川大坂城の石垣の故郷(のひとつ)。
徳川幕府の権力の絶大さを感じます。

標高約200mから谷間には矢穴石が散見されるけど、
現状見られる採石場は標高450〜490m。
中腹に膨大に広がっていると思われます。
作業行程が見えない。…というか、広大すぎて見きれない。
⁡明日に持ち越し。


小豆島とも伊豆とも違うなあ。
技法だけでなく、何もかも。
疑問のまとめ甲斐があります。

 

大坂城の刻印石

2時間くらい経つと目が慣れて、
この距離でも刻印石を見つけられるようになるな。笑

 

この案内板(2枚目)の前、
立ち止まる親子も多く、刻印石ってやっぱり興味を持ちやすいのだな、と。
しかし。
しばし聞き耳を立てつつ観察してみたところ
「なんか意味があるんだね」的なつぶやきが3組。
熱心に読み込んでいたお父さんも
「松江とか金沢とか、いろんなところから石が運ばれたってことかぁ」と。
せっかく立ち止まってもらえたのに、これって…。

この案内板を批判しているわけではないですよ。
むしろすばらしいと思ってます。
だからこそ、
どうやったらこのおもしろさを伝えられるのか、とか
この案内板結果的に無意味でかわいそうだな、とか
まだまだやることたくさんあるながんばれ私、とか
考えててしまう、って話です。