城メグリスト

萩原さちこのプロフィール

城郭ライター、編集者。小学2年生で城に魅せられる。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演などもしています。

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三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑦〜鳥取編1〜

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3日目、鳥取の旅です。

これまでの旅はコチラ。
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり①〜序章〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり②〜姫路編1〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり③〜姫路編2〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり④〜姫路編3〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑤〜姫路編4〜
三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑥〜姫路編5〜

 

歴史博物館やまびこ館

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これまで来たことがなかったので朝イチで。
鳥取城の資料なんかもこちらで扱っています。

 

太閤ヶ平&鳥取城(秀吉の鳥取城攻めの本陣&籠城戦の舞台)

本当に素晴らしい城です。

昨秋に城郭研究家の西尾孝昌先生と、鳥取市教育委員会の細田隆博さんに
1日かけてどっぷりとご案内いただいたので、今回はぐっとこらえて断念。
太閤ヶ平は昨年訪れた城の中でも衝撃的なでした。
太閤ヶ平もすばらしい遺構ですが、大防衛ラインが見事!とくに伝羽柴秀長陣跡の南側の三重の空堀は圧巻です。
こちらは玄人向けですので、山城に慣れた方限定ですがかなりオススメです。また行きたい。
太閤ヶ平とその日のことはこちらで→

4月発売のもので太閤ヶ平について書きましたので、発売されたらお知らせします。

 

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太閤ヶ平、なんて珍しい名前なので、ざっと説明を。
ここは、豊臣秀吉が天正9年(1581)の鳥取城攻めの際に本陣をおいた陣城(付城)です。
歴史的価値があり、遺構の状態も良好。
「鳥取城跡附太閤ヶ平」として国史跡に指定されています。
陣城とは、ターゲットとなる城を攻略するために前線基地として築いた城のこと。
領国経営などを行う居城とは異なり、長期にわたる城攻めの際に攻撃拠点になる臨時の城です。

当時の鳥取城は現在とは異なり、久松山に築かれていました。
(現在の鳥取城は、江戸時代に山麓を改築して新たに築かれたもの)
鳥取城から太閤ヶ平までは、わずか1.5キロ。
久松山を取り囲むように70か所及ぶ陣城を配置していて、
いくつかの陣城は、鳥取城本丸からわずか500メートルしか離れていません。
そんな状況下で、鳥取城は飢餓状態に陥っておくわけです。

太閤ヶ平からは、鳥取城を見ることができます。
その距離はまさに目と鼻の先で、拡声器を使えば声が届きそう。
現在では山は木々に覆われていますが、当時は剥き出し。
太閤ヶ平で煮炊きする様子は肉眼で確認でき、匂いも届いていたかもしれません。
逆に、太閤ヶ平からは鳥取城が弱り切っていく様子が手に取るようにわかっていたはずです。
鳥取城が見える場所は舗装された道になっていて、比較的登りやすいです。
ゆかりの地として訪れたなら、この距離感を感じ取ってほしいところです。

 

朝ごはん「カフェ・ダール・ミュゼ」

同じくモニターツアーに参加した歴史コラムニストの上永哲矢さんが
このお店の「鳥取薬膳カレー」がおいしい、とブログに書いていたので、
朝カレーしてやろうと思い乗り込みました。
が!カレーはランチメニューでした…。がーん。
毎日ちゃんとつくっているカレーなら、そりゃそうだ。

 

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「昨日の残りの熟カレーでもいいので…」とはいえず、キッシュをオーダー。
これが意外にも(といっては失礼ですが)、とってもおいしかったです。しかもコーヒーとサラダ付きで500円。
キッシュの決め手は卵と牛乳ですね。やわらかほんわか、ほんのり甘くて舌触りなめらか。
一応、キャッスルビュー。ほのかにテンション上がります(笑)

 

鳥取県立博物館、仁風閣

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こちらは以前じっくり見たのでささっと。
仁風閣はけっこうお気に入りです。
皇太子嘉仁親王の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城の扇御殿跡に建てられた、
旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸です。建造物が好きな人にはオススメ。国の重要文化財です。

鳥取城はいわずもがな。ぜひ山上の丸まで登りましょう。
鳥取砂丘も見えて絶景が臨めます。こちらも写真は昨秋のブログにて。

 

若桜鬼ヶ城(因幡攻めで秀吉が落とした城)

さて、今回は秀吉の鳥取城攻めに関連する城をいくつかまわってみるのがテーマ。

秀吉の鳥取城攻めは、実に緻密で用意周到。
ただ大軍で鳥取城の出入口を塞ぐようななまやさしいものではなくて、
数年がかりで、蟻すら這い出ることができない3重の包囲網を構築しています。
1重目は鳥取城を包囲する陣群、2重目は因幡国内の主要拠点を奪って鳥取城への交通を封鎖する包囲網。
さらにそのまわりに、南条元続や宇喜多直家など寝返らせた有力国人達によって
3重目の包囲網が敷かれていました。

もちろん、兵糧米を事前に買い上げたり、田畑を焼き払うなどの事前工作も完璧。
鳥取城主となった吉川経家は入城した時点で兵糧が圧倒的にたりないことに気づき、
大至急手配していますが、3重の包囲網のおかげで陸路も海路も完全封鎖。
吉川元春に援軍を要請するも、もはや近づく術はありません。すべての後方支援を絶たれていたのです。

そんな経緯をたどっていくと、秀吉が潰していった支城が気になる。
…というわけで、まずは若桜鬼ヶ城(八頭郡)へ。レンタカーを飛ばして、1時間弱です。
この城は、但馬・因幡間、播磨・因幡間を結ぶルートの合流点にあたり、いち早く落としています。
すんごい石垣があるお城でもあります。

 

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前回も積雪で断念したこの城。
1週間前の天気予報で、うすうす気づいてました。。。今回も雪により攻略不能。
右の写真を撮った後アクセルを踏んでみたものの、ノーマルタイヤは5秒後に異変。
この時点であと2.3kmなので、どう考えてもムリです。
徒歩の登城も考えましたが、諸事情あり断念して引き返しました。とほほ。

 

三都城下町物語 官兵衛ゆかりのちょっとディープな城めぐり⑧〜鳥取編2〜 に続きます。