仙台2011〜松島&多賀城〜
仙台へ行ってきました。
松島→多賀城→仙台光のページェント→仙台城、というスケジュール。
仙台と石巻を結ぶ仙石線の車窓にはまだ津波被害の爪痕が広がっていて、
何事もなくガタゴトと走行する電車とアンバランスな感じがしましたが、それこそ復興の証。
塩竈港のあたりは漁船もちらほら見られ、
まるでモノクロの世界に色が差したような、静の中の動が感じられました。
ですが、仙石線の運行は高樹町まで。その先(奥松島方面)は「いつになることやら…」だそうです。
松島の被害は少なかったと報道されていましたが、想像以上で驚きました。
すぐ隣の東松島市は甚大な被害でいまだに大変な状況ですが、
松島では、湾にせり出すように建つ五大堂も流されずそのまま残っていました。
松島湾の島々が緩衝剤となって津波の衝撃をやわらげ、松島を守ってくれたそう。
これもまた、自然の力なのですね。。
朝焼けは、何事もなかったかのように穏やかでキラキラしていました。
思い出の店、五大堂前の松華堂菓子店も元気に営業中。
松島は子供の頃から何度も訪れている場所ですが、なぜか今回時間を費やしてしまったのが、円通院。
三慧殿は一見の価値あり。
伊達政宗の息子、2代藩主忠宗が早世した嫡男光宗のために建立した霊廟です。
寄棟造萱葺の<大悲亭>は、その名称からも愛息を失った悲しみが伝わってきます。
光宗公は将来有望な有能な若者だったらしく、それゆえ暗殺説もあるのだとか。
太平の時代とはいえ、まだまだこういった黒い陰謀は絶えなかったのですね。
この大悲亭は、江戸納涼の亭を解体移築したものなので、
江戸で残っている建造物ははないので、移築によって残った貴重な遺構といえます。
小堀遠州の作庭といわれる庭がまたすばらしい。
こちらも江戸から移築したそうな(池ごと移動!)。
秋の紅葉ライトアップはそれはそれば美しいそうです。
石庭<雲外天地の庭>も、すばらしい。
<地の庭>はなんてことない石畳のようで、3種類の石で人生を表している。
手前から、生まれたままの割石から叩かれ、磨かれて成長する様。
天水橋が架け橋になり<天の庭>と結ばれるそうです。
光宗公に対し、あの世へ行っても精進して立派な人間になるように、との願いが込められているとか。
愛情とは、ただかわいがることではないんですね。
松島を後にして、多賀城へ寄ってきました。
こちらも大変な場所でしたが、現在はだいぶ落ち着いたようです。
多賀城跡のレビューは、改めて書きますね。
この日は秋保温泉に泊まりました。雪見温泉、サイコー。
- お城のこと l
- 11/12/15/23:59
滋賀&京都ゆるり
お勉強モードから解き放たれ、最終日はのんびり湖南&湖西で琵琶湖周辺をドライブ。
大津城、膳所城、白髭神社、大溝城、坂本城、比叡山延暦寺に行ってきました。
滋賀県の方がおだやかで親切なのは、この広くておだやかな琵琶湖を毎日見ているからな気がします。
人のつながりを大切にする方が多い気がします。だから、また行きたくなる。
ユネスコ世界文化遺産の比叡山。やはり延暦寺の根本中堂は素晴らしかった。
1200年守られ続ける不滅の法灯は神秘的。各々が心にほのかな灯火を持ち帰ることができます。
途中からだったのですが、「間を取ること」のお話を聞いてきました。
順境のときも、逆境のときも、何もないときも。
人のせいにしていないか、責任と誠意を持って取り組んでいるか、人を思いやれているか。
いかなるときも一歩踏みとどまり、自信の言動を振り返るとともに周囲を見ること。
当たり前のことですが、ハッとさせられるお言葉でした。
夜は京都に移動して、京都のお友達と楽し〜い京都ナイト。
清水寺&広大寺&知恩院の夜間ライトアップめぐりをして、乾杯!
京都ではポピュラーだという「よこわ」のお造りをいただきました。
全国区ではないことにびっくりしていましたけれど、初めて食べたし、初耳。
クロマグロの幼魚のことらしく、赤身とも中トロとも違う味わい。
とろんとまろやか、でもしつこさがなくて飽きのこないおいしさでした。
ブリしゃぶも、京都ではホームパーティーのメニューになるほどポピュラーなのだそうです。
お酒は伏見の竹酒というのをいただきました。さっぱり。
次回は「ぐじ」というこれまた初耳の京都フードを指南してもらう予定。
まだまだ日本には知らないことがいっぱいだなあ!
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/11/21/23:59
安土のほんまもんツアー【日本最大級の山城 観音寺城を歩く】
安土のほんまもんツアー2011【日本最大級の山城 観音寺城を歩く】に参加してきました。
中世城郭のスペシャリスト、滋賀県立大学人間文化学部准教授の中井均先生の解説で観音寺城を歩くというスペシャルな1日!
前回の【小和田哲男先生と歩く安土城】もかなり贅沢なツアーでしたが、
またしてもこんな夢のようなプランを実現するとは、安土観光協会さん、すばらしい!
前日は浜松で講演を聞き、翌朝には滋賀で出迎える。
私、まるで中井先生の追っかけのようでした(笑)
今日はたっくさんお話できて楽しかったですー。
中井先生の説明は要点がまとまっていて、トークのテンポがよく私の頭に入りやすい。
そして、さすが関西の方(大阪ご出身)といいますか、ちょいちょいおもしろネタを挟まずにはいられないようで、楽しいです。
こんなことをいうのは失礼かもしれませんが、山城にいるときは本当に楽しそうで、まるで少年のようなんですよね。
私の職業まで覚えてくださっていて、記憶力もよいのでしょうが、
人のつながりを大事にされていて、まず人がお好きなんだなあ、と思いました。
以前は時間のない中でさら〜っと見学に終わってしまったので、少し時間をかけて歩けた観音寺城。
といっても広大な敷地なので、今日歩けたのもほんの一部。
写真(上段左上)のレプリカでいうと、左の小さな山が安土城で、右の大きな山が観音寺城。
安土城でキツい方は、観音寺城はかなりハードです。
観音寺城は、日本で最初の総石垣の城とされている安土城以前に存在した、
安土城の目と鼻の先に位置する、石垣のある山城。
そして、城が軍事施設だった戦国期において
近江守護佐々木氏が居を構えたこと山上都市であったことが研究上断定できる
ミステリアスで貴重な中世の山城です。
なぜ、できたのか?安土城との違いや関係性は?中世城郭としての特徴は?存在意義は?技術的なポイントは?
疑問と感心が尽きない、山城好きならもう大コーフンの城なのです。
山城に慣れてくると審美眼みたいなものが養われきて、
素人さんなら素通りするただの道のあちらこちらに城郭のかけらを発見できるようになりますが、
やはりまだまだ気づかないことやわからないことだらけで、発見と驚きの連続。
専門的な考察はできませんし、先生のそういったお話にはうなずき感心するばかりでした。
暗渠や開渠、埋門や門跡を部分的に見るだけでなく、そこから全体像を考察したり、
山全体から縄張りや曲輪の存在意義を見ていけたのがとてもおもしろかったです。
コースは石坂→観音正寺→観音寺城跡→教林坊。
城内は御屋形跡、布施淡路丸、三の丸、本丸、平井丸、池田丸というコース。
本丸が頂上にないという極めて稀な城ですが(かつて観音寺があったという推察が深まる一因)、
頂上にもいずれ行ってみたいものです。
ランチは、治産地消の安土弁当。
安土商工会安土献立部会さんによる特別メニューです。
赤こんにゃく、ニジマスの甘露煮、琵琶湖産川魚煮、近江牛のしぐれ煮のほか、
湖魚と地場野菜の揚げ物、地鶏の串焼き、老蘇産もみじ玉子の出し巻き、そして私の大好きな丁字麩も。
安土はうまいもんもいっぱいです。
滋賀には1,300の城があり、とても制覇しきれません。
(※滋賀に限らず、各県1000くらい城があるといわれます)
安土の夕陽を見ながら、「ああ、滋賀に住みたい!」とまたしても思ったのでありました。
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/11/20/23:59
第18回全国山城サミット in浜松
【第18回全国山城サミット連絡協議会 浜松大会】に行ってきました。
サブタイトルは<徳川・武田争奪の城郭群を生かしたまちづくり>。
前日の日記で述べた通り、静岡には移り変わりと変化の激しいすばらしい城があふれています。
内容はざっと、
・小和田哲男先生の基調講演「徳川・武田の抗争と遠州の山城」
・加盟自治体による全国の山城紹介など
・シンポジウム
浜松市文化財課「二俣城・鳥羽山城における近年の調査成果について」
中井均先生「徳川・武田・今川が競った城郭郡を活かしたまちづくり」
加藤理文先生「高根城の復元整備とまちおこし」
辰巳均さん「国民文化祭・城跡フェスティバルの経験」
・パネルディスカッション
と、それはそれはもう、興味のつきない学び多き1日でした。
城の専門的な話に食い入るように聞き入ったのはもちろんなのですが、
行政向けの<文化財を生かしたまちづくり>の議論に思いのほか聞き入ってしまいました。
人間ひとりひとりが《財を持つひとつの社会・企業である》と考えるならば、
地域活性化のファクターには共通事項が隠されている。
いかに効率よく仕事をまわし、人生を豊かにしていくかのヒントが。
それにしても、知識や経験を増やすことも必要ですが、人の話を聞き考えることも大切ですね。
背中をバシーンと叩かれた気分でした。
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/11/19/23:59
静岡の城めぐり
山城サミットに先立ち、駿河城、田中城、掛川城、浜松城、二俣城、鳥羽山城をくるり。
群雄割拠の時代、駿河・三河・遠江が今川氏から徳川氏のものへと変わるまで、
東海地方では約10年間武田VS徳川のの攻防が続くわけですが、
その時代を中心として城郭も変化し、今川、武田、徳川、豊臣と、
名立たる名将が奪い合い手を入れていきます。
その変貌を追うのがまたおもしろい。
静岡は軍事施設としての名城がたくさんあるだけでなく、
中世山城の調査もいち早く行うなど、文化財の保存整備事業がすばらしい!
それなのにいまいち知名度が低いのは、歴史的な派手さのなさ、家康不人気、
ぐいぐい前に出ない県民性のせいなのでしょうか・・・。
ひとまず次回は犬居城&丸子城に行きたいー。
諏訪原城、山中城、高天神城も再訪希望。
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/11/18/23:59
高知3城めぐり
小豆島からびゅーっと移動して、高知に寄ってきました。
先日高知城の原稿を書いていて不明なことがあったので、ちょいと調べに。
高知城、今回は時間をかけてじっくり登城できました。
その後歴史博物館など寄りつつ、岡豊城&浦戸城へ。
桂浜の素晴らしい夕陽で1日を終えました。今日も晴れ女でした。
レビューはいずれ書きます、という決意表明を匂わす写真たち。
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/11/07/23:59
小豆島 石の歴史シンポジウム
小豆島 石の歴史シンポジウム
「大坂城の石垣普請と瀬戸内の石切丁場」
~世界最大級の大坂城石垣を支えた島石の魅力を求めて~
に参加してきました。
5日は、シンポジウム。各分野のスペシャリストによる基調講演やパネルディスカッション。
6日は、石切丁場跡をめぐる「石の道探訪」と、瀬戸内の海と石をめぐる「石の里クルージング」。
石の写真ばかり載せられても、さっぱりなんのことやらわからないことでしょう。
ああ、1枚1枚ストーリーがあるんですが。しかも、かなり厳選の写真なんですが。
濃密すぎる石の歴史、いずれ書きたいなあ。ちゃんと記事を書きたい。
ひと言でいうと、「大坂城の石垣はスゴイ!」ってことです(ざっくり)。
歴史的石造構造物として価値があり、現代の専門家から見ても技術面で学ぶことが多いそう。
姫路城は世界“文化”遺産なんですが、大坂城はポイントというか存在意義がベツモノで、
世界“土木”遺産として価値がある、というのが結論です。
城を支える石材の魅力と、石材からひも解く城郭史のおもしろさ、
土木遺産の価値についてしみじみと考えさせられました。
このイベント、今年が大坂城天守閣復興80周年ということにちなむようで、
大坂城の石垣の材料である小豆島の上質な石とその文化を掘り下げる企画。
大坂城は「太閤さんの城」などと言われていますが、
秀吉時代の大坂城は地下に埋まっていて、現在の姿は徳川時代のもの(天守は昭和です)。
徳川秀忠の命による天下普請、つまりは現代でいえば国の一大事業なわけで、
一大名が築いた城とは比べ物にならないほど、いろんな意味でハイレベル。
そして、その背景にはおもしろい情勢や人の動きがあるわけです。
文化財として世界遺産レベルの価値があるかどうかは私には判断できませんが、
国指定の遺産がありながら、まったく知られていないのがもったいないなあ、と思いました。
たいていの人が、小豆島=オリーブ&醤油、では?
城や歴史や島や石が好きかとかではなく、観光地としても知名度の低さは否めない。
歴史好きが「こりゃスゴい!歴史的価値がある!」と叫んでいても、
マニアの世界のマニアトークでしかないんですよね。
何事も、価値を伝える、知ってもらうというのは、道のりが長く難しいですね。
宿泊した旅館が先生方と同じで、移動のマイクロバスも先生とご一緒!
車内で繰り広げられる先生方のストーントークはアツいものがありました。
わかりやすく説明してくださり、勉強になるというより、感心と発見の連続でワクワク。
先生方の専門分野が違うので、石材としての魅力、力学的な観点、歴史的な意味などなど
サイドストーリーもさまざまでとても楽しかったです。
- お城のこと l
- 11/11/06/23:59
利神城の思い出
撮影&取材で、3泊4日で播磨へ行ってきました。
うぉー!楽しかったー!!
発売日や内容などの詳細は、開示できるようになったらお知らせしますね。
すげーいいもん書いてやるぞー、と。
うれしかったことは、2時間ほど取材した方に「あなたには5時間かけて話したい」といわれたこと。
ああ、なぜ時間には限りがあるのだろう。。私も聞きたかったよー。
ショックだったことは、利神城が入山禁止だったこと(こちらはプライベート)。
時間をやりくりして、車をぶっ飛ばして行ったのにー。
いや、数年前から入山禁止だという情報がなくもなかったのですが。
こちら利神城。
頂上に、天守台らしき石垣が丸見え!
これだけの山城でありながら、近世城郭ということではありませんか。
「利神城」の看板の脇にも、立派な石垣がチラ見え。
ほかの登城口からだったら登れたのかなあ。。
そうそう、利神城の麓で、仕方なしに土塁と石垣を遠巻きに見ていたとき、
ふと視線を感じると思ったら、鹿さんがいました。
襲ってくる気配も逃げる気配もなく、しばし見つめ合ってしまいました。
「のどかな田舎町ゆえ、人慣れしているのかなあ」と思ったら、道の駅にこんなノボリが・・・!
つぶらな瞳のかわいいあの子も、ミンチにされて、じゃがいもに練り込まれて、
油でカラッと揚げられちゃうのね。シュールだー。
城メグリスト
忍城とレトロ探訪
今秋映画が公開される、忍城が舞台のベストセラー小説「のぼうの城」。
その舞台・埼玉県の行田市で近代化遺産や生活文化について学ぶモニターツアーに参加してきました。
綿が豊富にとれる行田は、足袋の里。
全盛期には数百の足袋屋が軒を連ね、全国のシェア8割を誇ったそうです。
文献をひも解いていくと、どうやら江戸時代後期からすでに盛んだったらしい。
利根川と荒川に挟まれ、かつ街道に沿ったこともあって、栄えたんですね。
いまだ、行田の足袋というと、常用者からは一目置かれるのだとか。
足袋は1人の職人が全行程を通してつくるのではなく、分業制。ミシンも部位ごとに違います。
重厚な断裁機、かかと部分を丸く縫い合わせるミシン、仕上げの調整。
職人さんの手にかかると、魔法のように足の形になっていく。
つま先を縫う<つま縫い>専用のミシンが、これまたすごい!
今のミシンと違って、縫いはじめがハンドルというのがいいですね。
かつては<つま縫い>専門の女工さんもいたそうです。
かつての工場を改装した見学館。
ぼーんぼーんと音が鳴る壁掛け時計、ミシンのペダル、消火器、本棚、ハンコ、棚。
ゴツゴツ木のそろばん、細かいものにいちいち味があって、興味津々。
壁の標語「買う人の身になってつくりましょう」に、仕事の原点を垣間見ました。
ハマってしまったのが、製品化した足袋についてくる、このラベル。
なんて遊び心があるんだ!
壁一面に貼られたコレクションを、舐めるように見る私。
「ランダムに写真を撮ると、自分好みものばかりになりそう」と思いながら撮りましたが、まさにその通りになりました。
こういうの、人の好みが出ますね。
昭和初期の印刷インキの色も好き。大量生産でなかったころのよさですね。
休憩室も、いい感じ。
めんこのように、足袋のラベルを模造誌に貼付けてコレクションしているんですね。かわいい!
窓枠や鍵穴もステキです。
****************************************************************
街あるきタイムは、城あるきタイム。
なぜ、この場所のこの道がこんなに細いのかとか、ここは門跡だったんだな、とか
知らず知らずに城下のがわかってしまうのが城好きの性。
このあたりは区画整理されてないんだなーとか、
城の正面玄関へ続くメインストリートだなーととか。
おそらく一般の方にはただの道が、城好きにとっては発見の小径です。
忍城内の残存物は、土塁と数えるほどの石材などですが、
建物がないからといって、見どころがないというわけではない。
城下の繁栄を見れば、城の姿が見えるというものです。
キャッチーな広告、石づくりの蔵、洋風屋根の写真館。
明治、大正、昭和のレトロデザイン探訪でした。
****************************************************************
今回のツアー参加は、
久々に再開を企画している私主催のオリジナルお城ツアー「城メグツアー」の下見だったわけですが、
主催側、参加側のいろいろが学べて、一挙両得。
帰宅後、ほろ酔いで書き出したりした1日でした。
私なら、どういうフレームづくりをするか、エッセンスを入れるかを延々と。
もちろん、もっともっとお城に特化した内容で。
それから、ものごとはテンポが大事なのだと実感。
楽しむにも、学ぶにも、満足度につながるのは心地よさですね。
行田は、MAPをもとに探索したら、楽しさがアップすると思う。
発見って旅の重要なファクターだけど、ゼロからの発見は難しい。宝探しにはヒントが必要。
- お城のこと l
- 11/10/15/23:59
【春風亭昇太と登る鎌刃城址】
【2011 湖北“センゴク”セミナー 現地セミナー 春風亭昇太と登る鎌刃城址】に行ってきました。
前々から行ってみたいと思いつつ、未踏だった鎌刃城。こんなにも魅力のある城だったとは!
鎌刃城については、文献も購入したもののまだ目を通していなかったりもするので、また改めて。
ひとまず、ざっくりとこの日の感想などを書きますね。
芸能界きってのお城好き、昇太師匠。なんと自作(!)の足軽衣装で登場。
さすが、人を楽しませる達人ですね。
この格好で、登ってました。さすが山城マスター。お城へのリスペクトと偏愛を感じます。
鎌刃城は、西は琵琶湖の水運、東は美濃、南は京、さらには越前へ続く北国街道の分岐も近い交通の要衝。
江南の六角氏と江北の京極氏・浅井氏によって争奪戦が繰り返された歴史があります。
つまり鎌刃城は、湖北と湖南の境目だった、この国境の城なのです。
そりゃもう、どっちも欲しかったことでしょう。
東山道番場宿から徒歩1時間。
なぜこんなところに?という場所に突然ある標高384mの山城ですが、
登れば納得、北には京極氏の居城上平寺城、浅井氏の居城小谷城、そして南には佐和山城が丸見えという好立地。
こんなにも絶妙にして奇跡的な立地なのにも関わらず、
登城前は、どの山が鎌刃城なのか、遠巻きに見るとあまりよくわからないから不思議。
しかも、おもしろいほど佐和山城を見下ろせるのにも関わらず、佐和山城からは鎌刃城は見えません。
これは本当にもう、これも含めて鎌刃城のすごさというべきマジック。
堀切。人がいると、大きさと傾斜がわかっていいですね。
コースから逸れて、見に行ってみた大石垣。
思いのほか危険なエリアで、1人で行っていたら、滑って急降下して死んでました。
一緒に行ってくれたマニアの方、助けてくれた地元の方、ありがとうございました。
昇太師匠は<近江お城大使>に任命されました!記念樹?に私も名前を書いてきましたよ。
元滋賀県米原市教育委員会、元長浜城歴史博物館館長で、
NPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」理事長、滋賀県立大学教授中井均先生は、
平成10~14年の発掘調査に携わってこられた方なのですが、
その時の成果は貴重なもので、直接お話を聞けて嬉しかったです。
調査から証明された建物の構造や発掘物、推定される廃城の時期をはじめ、
やはり特筆すべきは、主郭虎口の一直線の大規模な石垣と石段。
これは、織田信長が安土城で総石垣の城を初めてつくったという定説を覆すもの。
つまり、安土以前に、安土にこんなにも近い場所で石積みの技術があり、
戦国時代に総石垣の城が存在した、ということです。
穴太積みとは異なる、石と石の間を粘土で埋める工法だというのも興味深い。
織田信長による「破城」という歴史の片鱗も、明らかになっています。
さて、昇太師匠といえば、食事も取らずに1人で大堀切の写真を撮りに行ったりと(マイデジカメ)
ただの山城マニアになっていたのが好感度大でした(笑)
もちろん、人気者ゆえに、写真やトークに応じて大忙しだったのですが、
お城愛を抑えきれなかった瞬間があったようでした。
その様子を微笑ましく見てらした中井先生も微笑ましかったです。
ランチの時間が惜しくて、大石垣に膨大な時間を取られたせいで見逃していた、門周辺へ。
「こんな門跡は初めて見たよー!」と大コーフンでした。
思わず1人でザクザクと裏側まで散策してみました。
昇太師匠がうまい表現をしてらっしゃいましたが、「石垣」ではなく「石張り」ですね。
土塁のまわりに、まるで補強タイルのように石を貼付けていくような。
下山した途端、地元の方に
「ヒルたくさんいたでしょ?大丈夫だった?靴の中入ってない?」と5人から聞かれました。
どうやらこの時期はヒル大発生シーズンらしい…先に言ってよ。。
知らなかったおかげで、果敢に攻められてよかったです。
————————————————————————————————–
午後は、『春風亭昇太のおも城噺』。
こちらは、米原市民の方もたくさん来られてました。
そして、昇太師匠と中井先生のトークショー。これもおもしろかった!
昇太師匠の城の“個性”を見る、という独自の楽しみ方を語る姿に共感しつつ、
どうすれば城のよさを伝えられるか、継承できると思うか、みたいなお話は
私も大いに興味がある部分だったので、考えさせられたりもしたり。
————————————————————————————————–
と、イベントはここまでだったのですが、ご厚意で、昇太師匠の歓迎会にも参加させていただきました。
泉市長をはじめとした米原市のみなさま、伊吹薬草の郷文化センター副館長、伊吹山文化資料館長の谷口さま、
安土考古博物館の大沼副館長、佐和山城研究会の田附さま。
文化財や地域と密に携わり、日々継承と発展に尽力されている方々とのお話は、
どれも興味深く、勉強になることばかりでした。
今まで知らなかった近江の魅力にも、たくさん出会えましたし。
本当に貴重なお時間をいただきました。ありがとうございました。
谷口経済環境部長さま、囲炉裏の宿へのツアー、ぜひ実現いたします!
そして感激といえば、この湖北グルメ。
西番場ふるさと味の会のみなさまがつくってくださった郷土料理の数々です。
味の会は、ふるさとの味の伝承と開発を目的に、年齢を超えた触れ合いや地域の活性化に貢献されているそうです。
どれだけ心のこもったお料理だったかは、写真を見ればわかりますよね。
調理室の使用開始時間が13時になっていたので、半日かけて準備してくださったのだと思います。
なによりもうれしいのは、こういうおもてなしの心ですね。
どんなに高いお店に連れていかれるより、私はこちらのほうがうれしい。
湖北にはおいしくて珍しいものがいっぱい。東京では、あんまり知られてないんですよね。もったいない。
左から/
○長浜の郷土料理「焼き鯖そうめん」。
焼き鯖を甘辛く炊き込んだだし汁で、そうめんを煮込んだもの。私の大好物です。
○滋賀グルメの代名詞「鮒寿司」。
素面ではとても食べられませんが、日本酒のアテにはたまらない。
ちなみに素材の質や製造法によって味も値段もピンキリだそう。こちら高級品!
○1200年超の歴史を誇る「丁字麩の辛子酢みそ和え」。
加賀の治部煮に入っているような生麩とも、仙台麩(油麩)ともひと味違う、
もちもち食感となめらかさ。
私の中でKING OFお麩かもしれません。
○近江八幡発祥「赤こんにゃく」。
派手好きな信長にちなんだ色だとか。なにげに、意外とおいしい。
○琵琶湖生まれの「ビワマスフライ」。
琵琶湖にしか生息しないマス。味が濃くて、甘くて、脂ノリノリ。
○地元産馬肉の薫製「さいぼし」。
○関東の私からすると関西の味「豆腐の田楽」。
○地元産大根のとのハーモニーがたまらん「合鴨ロース」。
などなど。
そして、近江お城めぐりの新名物(?)、石垣団子。ネーミングがすばらしい!
滋賀のおいしい地酒もたくさんいただきました。
泉市長はじめ、米原市のみなさまが次々にいらしてお酌してくださいました。
みなさん間違いなく偉い方々なのでしょうが、気さくで楽しく、愛がある。
そして、2人以上になると芸人のよう(笑)いたるところで<米原漫才>が繰り広げられていました。
昇太師匠と。とてもやさしく楽しい方でした。
中井先生はお城界では有名な先生ですが、気さくでお話もおもしろく、
とってもステキな方で、すっかりファンになりました。
「僕も城メグリストになりたいなあ!」と言ってくださってうれしかったな。
ご紹介などもしてくださって。人がお好きなんでしょうね。
米原市の方にノセられて、恐れ多くも握手ショットも。中井先生、失礼しました!
近江のお城と近江の国がさらに大好きになった、夢のような1日でした。
城メグリスト
- お城のこと l
- 11/10/02/23:59